俺の事情

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俺の事情

 電話を切ってちょうど五分後に、樹は俺の部屋に戻ってきた。バツの悪そうな顔をして「ごめん」と言いながら玄関で靴を脱ぎ、キッチンまで俺のあとをついてくる。 「焼き鳥食べるの忘れてただろ」  実は俺も忘れてたんだ。思い出してレンジを開けたら、良い具合に焼けていた。  もう一度、樹に定位置に座らせて、串刺しにした鳥皮を皿に載せてテーブルに置く。  まさに焼き鳥の屋台の前を通ったときのような、香ばしい匂いがする。  俺たちは焼き鳥を口に含んだ。一人一本だ。少ない。  口の中に、じゅわっとタレの甘じょっぱい風味が広がる。それと同時に鳥皮のパリパリ感と、おこげの苦味が混じる。  クソうまい。顔がにやけた。 「クソうめえ」  樹が感心したような声を上げる。 「だろ?」 「タレの焦げ付きが最高だな」 「だな」  年相応な言葉とやり取りにホッとする。  樹は満足そうに口を動かしている。本当に美味しかったんだろう。  次はリンゴだ。俺はリンゴの皮を包丁で剥くのも好きなんだ。凹凸なく滑らかに剥けると、よし! って思う。  まず四つ切にしたら、蜜だらけだった。よし、当たりだ。早く食べたいから猛スピードで皮を剥いて、皿に載せてテーブルに持っていく。  椅子に座りながら、手に持っている一切れを食べる。噛むとシャクシャクと音がする。雪の積もった道を歩くときの音みたいで、リンゴを食べるといつも思い出す情景がある。  俺が小学五年生のときだ。東京で珍しく大雪になって、長靴を履いて近所の友達と学校に向かっていた。途中、背後で俺の名前を呼ぶ声がした。母親の声だった。  振り向くと、あの人ははしゃいだように笑って、丸めた雪を投げてきた。俺の友達がいる前で。恥ずかしかったけど、それよりも驚きの方が強かった。多分、雪道だから心配してついてきてくれたんだ。そんなことするタマじゃないのにな。普段は。あの人はいつだって、親父に抱かれることしか考えていなかった。一人息子の俺に関心を向けたことなんて一度もなかったのに、あのときだけは俺を見てくれていた。  今振り返ってみると、欠片くらいの愛情は俺にも向けてくれていたんだな、と思わなくもない。身の回りの世話と食事の準備はいつもしてくれてたんだ。ただ、そういう当たり前のことが吹き飛ぶぐらい、ヒート時の母親は強烈だった。俺の存在を無視して、親父と一週間部屋にこもってまぐわっていたんだからな。  親父が満足いくまで相手をしなくなってから、あの人はすぐにαの男と浮気した。何人目かの浮気相手を「運命の番だ」と言い切って大騒ぎした末に、親父と離婚して家を出ていった。浮気相手のαも妻子がある身だった。あっちも家族を捨てたらしい。最悪だ。  離婚後、親父が全くダメージを負ってなかったのが救いだった。親父は母親に愛情はあったけど、執着はしていなかった。だから出ていかれてもケロっとしていた。Ωの母親としては、そういうあっさりした親父の態度が物足りなかったんだと思う。「私を囲い込んで部屋から一歩も出させないような男が好みなの」と捨て台詞を吐いて、親父と俺のもとを去っていった。だったら最初からβの親父とくっつかなきゃ良かったのに。  俺は物思いに耽りながらも、リンゴを二切れ食べ終えていた。真ん中に置いた皿には、まだ二切れ残っている。 「あ、まだ食べてないのかよ。残りは樹のだよ」 「好きじゃないって言っただろ」 「好き嫌いは良くない」  リンゴ一切れを掴んで、樹の引き結ばれた唇に持っていく。すると、すんなり口を開けて齧ってくる。一瞬見える、きれいに並んだ白い歯に、首筋がゾクッとした。こいつとキスしたんだよな、三ヶ月前に。セックスも――そう思ったら、腰のあたりまでゾワッとした。マズいな。樹とヤッて以降、誰ともしていないから、溜まっているのかも。  邪な気持ちをさっさと追いやり(そういうのは得意)、樹に二切れ、食べさせてやった。デザートタイムが終わると、樹が財布を取り出した。 「今日の夕飯代いくら」 「三百五十円ちょうだい」 「わかった」  一応、夕飯を振る舞ったときは、お金をもらうことにしている。材料費もバカにならないし。  その後、食器洗いを樹に任せて、俺は押入れの奥にある客用の布団を一式、取り出した。三年前に買ったものだ。親父がいつかやってきて居つくかもしれないって思って。今日、使えてよかった。無用の長物にならなくて済んだ。  ベッドの横に布団を敷いて、キッチンに移動する。食器を半分程度洗い終わっている。俺は樹の隣に立って、洗剤の泡を流す係に徹した。  仲良く食器洗いを終わらせたあと、先に樹にシャワーを使わせて、その間に洗濯機を回して(樹のワイシャツも)、樹に貸す服を準備した。 「あ、やっぱ小さい」  樹が俺のスウェットを着たら、やっぱりサイズが小さかった。パツンパツンでツンツルテンだ。間抜けな格好に笑いながら、俺は浴室に向かった。  便座の蓋の上に脱いだ服を置いて、バスタブの中に入ったとたん、ふう、と息が漏れた。ようやく一人になれた。  俺はシャワーを流しながら、自分の股間に手を持っていった。さっきから自慰がしたくて堪らなかったのだ。  バスタブの縁に座って、すでに兆していた性器を手で包み込んで擦り上げる。瞼の裏に浮かぶのは、樹の口から覗く白い歯。 「っふ……」  手の中のものは速攻で硬くなって嵩が増していく。熱い快感がこみ上げてくる。これはすぐイく。腰がブルッと震えた。追い打ちをかけようと指に力を入れたところで、急にドアを開ける音が聞こえた。  俺はハッとした。いつもの調子で、ドアに鍵をかけるのを忘れていた。シャワーカーテンも開けっ放しだった。最悪。  ドアを開けて中に入ってこようとする樹と、もろに目が合った。 「あ――悪い」  樹が気まずい顔をして目を逸らして、今度はあらぬ場所に視線を向けてくる。 「邪魔して悪かったな」  俺の股間を見ながら言うなよ。手の中のものは、イくタイミングを逃して困惑中だ。少し勢いがなくなった。  シッシと、空いた手を振る。口をきく気にならない。恥ずかしすぎて居たたまれない。 「手伝うか」 「はあっ?」  頭おかしいのか、こいつは。俺はイライラしてきた。 「さっさと出てけよ」  強い声が出た。だけど樹はビクついたりしなかった。  貸したスウェットを上下ともさっさと脱いで、樹が俺に近づいてくる。相変わらず均整の取た格好良い体が、俺の視界を埋めていく。  自分のものを握り込んだまま止まっている指を、樹がやんわりと一本ずつ剥がしていく。それで、樹がきゅっと俺のを握り込んできた。俺より大きい手、長い指。  樹の手淫で、俺の性器はまたイく寸前まで煽られる。腰がゾワゾワして、両方の太ももがブルブル震えた。強い射精感を覚えて、俺は目を閉じた。 「あ――あ!」  樹の指で弄られた先端が、狂おしいほどの熱を宿して、そのまま放出まで追いやられる。俺は樹の手の中で果てた。  久々の射精の気持ちよさに、体の力が抜けていく。はあはあ、と呼吸を繰り返す。近くにある樹の腕に体を支えてもらう。  もういいや、気持ちが良かったから許す。 「俺も」  シャワーの音に紛れて、樹の乞うような声が聞こえる。 「は?」  マジかよ。俺のを弄ってたら、その気になったのかよ。困るよ。  でも、イかせてもらった負い目があったから、俺は樹のものを手で包んだ。硬い。ちゃんと勃起してる。不覚にも鼓動が速くなってきた。やばい、興奮している。  他人の一物なんて触ったことないけど、自慰の要領でやれば良いか。樹はΩの男としたことがあるんだろうけど――そこまで考えたら、針で刺されたみたいに胸が痛んだ。首を振って、変な考えを頭の隅っこに追いやった。  硬い樹の性器を、緩急を効かせて上下に擦り上げる。と、更にそれは膨張して、はち切れそうになる。 「イけそう?」  俺が声をかけると、樹の体がブルッと震えた。手の中のものも、これ以上ないくらい熱くなった。 「秋生」  呼吸混じりの声で呼ばれて、樹の顔を見る。切なそうに眉を寄せて、俺を見つめてくる。苦しそうな、熱に浮かされたような目で。  ドクンと胸が鳴った。それと同時に、樹が射精した。手の中がドロっとなる。  樹の顔が近づいてきて、気がついたときには唇が重なっていた。  ちょっと――どさくさに紛れてキスするなよ。そう思うのに、キスに応えちゃっている自分がいる。舌が入ってきても拒めない。  お互いの呼吸が混じって気持ちが良い。  体をもっと支えてもらいたくなって、樹の背中に腕を回すと、ぎゅっと抱き返された。それがきっかけなのか何なのか。俺たちは異様に盛り上がって、のぼせるまでお互いのものを愛撫し合って、射精に導いた。
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