願はくは墓の上にて夜死なむ

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願はくは墓の上にて夜死なむ

藤宮叶芽——彼女は虚な表情を浮かべ、一人夜道を歩いていた。 ある時を境に希望のすべてを失った彼女は、 最期にどうしても行きたかった場所で人生を終わらせる決意を固めていたのだった。 「……着いた」 叶芽の目の前には、趣のある寺が建っていた。 辺りに人気が無いことを確認すると、 叶芽は物音を立てぬよう寺の裏側の墓地へと向かった。 この寺には、叶芽の人生を大きく決定づけた人物が祀られている。 『藤宮家は、直江兼続様に仕えていたご先祖様が 兼続様から目を掛けてもらったことで、戦国の時代以降も繁栄し続けた一族』 『兼続様は素晴らしい武士だった。 身を削って民達の暮らしの為に尽力し、皆に敬愛される生涯を送った。 ご先祖様はそんな兼続様を心から敬愛し、自身もまた兼続様のように生きようと、一族皆が清廉潔白に生きることを誓ったのだ』 『だからな、叶芽。 お前も藤宮家の名に恥じぬ人間として、真っ当な生き方をしなければならない。 でなければご先祖様と兼続様が、あの世で悲しんでしまう』 一族からそう言い聞かされて育った叶芽は 真っ直ぐに生き、後ろ暗いことが一つもない清廉潔白な人生を歩み続けてきた。 それが自分の人生の責務であるように思っていたからだ。 一族の教えを疑うことなく生きてきた叶芽だったが ある日突然、そうして手に入れて来たささやかな幸福すべてを失ってしまった彼女は 直江兼続とその妻が眠る墓の前にすがるようにして跪いた。 「私、あなたに恥じるようなことのない生き方を通してきました。 そうすれば、幸せになれるのだと信じていた——」 叶芽は墓石に刻まれた名に向けて語りかけた。 けれど……私の人生が幸せだったのか、 本当は自分でもよく分からない。 何が自分にとっての幸せなのか分からないから 一族の言う幸せになるための生き方を信じて守ってきた。 そして今は、その幸せというものを全て失くしてしまった。 「——私、ちょっと頑張り過ぎた人生だった気がします。 私は周囲の期待に応え続けてきたけれど、自分の幸せがどんなものかを考えることをおざなりにしてしまったせいで 今はもう、何も執着するようなこともなくて……。 ここで人生を終わらせてもいいように思えるんです。 だから最期にあなたに—— 感謝と、それから文句を言いに来ました。 あなたのおかげで、私は真っ当な人生を歩むことができました。 そしてあなたのせいで、私は真っ当な人生しか歩むことができませんでした。 あなたが同じ時代に生きていたなら、あなたに直接そう伝えたかった」 叶芽は力なく微笑んだ後、すぐに項垂れた。 「ごめんなさい……あなたのせいなんかじゃない。 私が、そういう生き方しか選ばなかっただけ。 全ての責任は私にあることは分かってる。 だけど死ぬ間際まで自分を責めるのは苦しくて仕方がないから、 どうかあなたのせいにさせてください——」 叶芽は顔を上げると、墓石のすぐ側に生えている老木の太枝にロープを括り付けた。 明日、私を見つけたお坊さんはショックを受けるだろう。 偉大な人物の墓の真上で、なんと無礼な真似をした不届き者だと罵るかもしれない。 ……お坊さんには申し訳ないけれど、それでも構わない。 今まで、誰にも迷惑をかけないよう息を殺して生きてきた。 誰かに『お前は悪い人間だ』と言ってもらえたら もっと違った生き方ができたかもしれない……。 叶芽が地面から脚を離し、意識が飛んだ直後—— 彼女は自分の人生を狂わせた相手と、真正面から顔を突き合わせていた。
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