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29 剣客と蛇:Swordsman,VS Snake
海里が一歩踏み出すと同時に、見えない斬撃。
見えないが、その正体を感じる。極細の、単分子ワイヤー状のデーモンAIが朝比奈を切り裂こうとするのを斬り捨てた。
デーモンAIというのは、その強度自体は防壁に依存しているらしい。
「だんだんこの変な感覚にも慣れてきたぜ……一定距離で自動攻撃なンか……カドクラの海里さんよ。あんたのこのデーモンAIとやらには、名前はあンのかい?」
踏み込んで海里に斬りかかりたいが、一度や二度であればともかく、無数に見えない攻撃が飛んで来たら、まだ対処しきれる自信がない。
攻撃圏内へは入れても一歩が精々。そこからまだ海里まで五メートルはある。
剣の間合いには遠い。
「デーモンAIのデータに記されていたのは【怒りに燃えて蹲る蛇】――ニーズヘッグと言うそうだ」
そう、海里は答える。
「怒りに燃える……なんだって?」
『ニーズヘッグは北欧神話に出てくる、世界樹の根を齧っているドラゴンよ』
「そりゃまた……主人思いの、学とユーモアのある悪魔さまで……」
そんな軽口を叩いていると、海里はおもむろに咲耶に電磁加速ハンドガンを向けた。
今度は――キィンッ! という甲高い電磁加速ガンの射撃音。躊躇がない。
デーモンは木の根を齧る蛇だという話だが、主人の方は容赦なく殺しに来ている。
それを朝比奈は【身体強化】で加速し、強引に射線に滑り込んで弾き飛ばした。危うい。
朝比奈など、自動攻撃に任せて置けばいいと言う算段。
「おいおい、タイマンの最中によそ見はいかンぜ……」
「お前は咲耶を守りたい。私は咲耶を殺して、デーモンAIの種を一気にニュートウキョウにバラ撒きたい。そういう話だろう?」
「いや、そういう話ではあるンだがね……まったく」
朝比奈が咲耶の楯になる様に立ち、構える。
【此花咲耶】はもうすでに朝比奈の身の丈を優に超えて、その山羊の頭と女性の身体のような本体は、巨大な幹のようになっていた。
両腕の当りから伸びた枝葉は、途中から無数に分岐して、所どころ【冬寂雪花】を咲かせながら蔦のように、あちこちへと伸びてその先は見えない。
その下で咲耶は、縮退粒子演算器に接続し、もたれ掛る様に伏している。
しかし、海里はあと数歩進み、自身のデーモンAIの射程内に入れれば、朝比奈を切り刻むことも出来るのに、それをしなかった。
「なんでだ……? それ以上進むと陣笠の旦那も【怒りに燃えて蹲る蛇】の攻撃圏内に入ってしまうからか?」
よくよく見れば、海里の周囲半径六メートルほどの範囲だけ、ぽっかりと浸食されていない空間になっている。
見れば、マキシは【怒りに燃えて蹲る蛇】の攻撃圏内に転がっていた。
最初からそのつもりでそこに寝かせたのだろう。気絶していると思しき部下の男も、その影響範囲内だった。
蛇のデーモンの発動条件は恐らく、有効範囲内での海里への攻撃行動。
攻撃の意思のようなものに反応するらしく、剣を構えて踏み込めば、それだけで見えない斬撃が飛んでくる。
『マキシちゃんの拘束具、解除できるわよ――』
「すまン、ちょっと待ってくれ弁天姐さん」
どうするか。起こせばマキシは、躊躇なく海里を攻撃しそうだが、やってほしいことは別にあった。
朝比奈は段取りを頭に描く。
向こうの目的がこちらの殲滅ではなく、咲耶を殺し【此花咲耶】を暴走させることであるなら、こちらの目的は咲耶を救出し、ここから逃亡することだ。
「陣笠の旦那を起こす方は?」
『難しいわね……昏睡誘導系のAIアプリは除去できたけど、このデーモンAIをどうにかしないことには、咲耶くんの意識まで辿り着けない』
「そいつを、マキシの嬢ちゃんに頼めンか?」
『伝えることは出来るけど……』
「拘束具を解除する前に伝えてやってくれ、あの位置で海里を攻撃しようとすると、おそらく【怒りに燃えて蹲る蛇】ってのに斬られる」
『分かったわ』
話が終わるのを待っていたかのように、海里が一歩前に進み、蛇のデーモンの自動的な単分子ワイヤーの攻撃が、朝比奈を襲う。
それを斬り払った瞬間、今度は朝比奈を狙って、電磁加速ハンドガンを発射。
返す刀で、極超音速の弾丸を弾き飛ばした。
衝撃で、ビリビリと空気が震えている。
「話はついたかしら?」
下がろうとする朝比奈を追って、更に一歩踏み込む海里。
朝比奈を絶え間なく、海里の蛇のデーモンの自動斬撃が襲う。
背後には【此花咲耶】、前は【怒りに燃えて蹲る蛇】の攻撃範囲。
かといって身を躱すわけにもいかない。
海里は斬撃を斬り払う様子を観察し、姿勢が崩れた隙を突いて、こんどは咲耶を狙って射撃。
その弾丸を再び、朝比奈は野球の悪球打ちのように弾き飛ばした。
しかし息つく暇もなく、すぐに【怒りに燃えて蹲る蛇】の自動斬撃が朝比奈を襲う。
「なかなかしぶといわね、朝比奈さん?」
「死なねえンが取柄でな」
自動斬撃はやはり、朝比奈のバイオリズム――あるいは殺気のようなものを検知して攻撃しているようだった。
踏み込もうと気を張れば、機先を制するような早いタイミングで襲ってくるが、受けに回ると今度は後の先のような一定のリズムでの攻撃に代わる。
正体が分かったところで、これを突破することは出来ないが、今の朝比奈の仕事はここで海里を引き付けることだ。
正確には蛇のデーモンと違い、唯一、海里の意思で狙うことの出来る電磁加速ハンドガンの銃口。
それがこっちを向いていれば良い。
海里の背後でゆっくりと立ち上がるマキシ。
それを視界の端で見ながら、朝比奈は更に踏み込んで、蛇のデーモンの単分子ワイヤーを斬り払った。
ゆっくりと巨大なヘラジカのデーモン【金鹿竜】が組み上がっていく。
デーモンAIが組み上がる瞬きの時間でいい。
海里の【怒りに燃えて蹲る蛇】は反応していない。
だが――
「マキシの拘束を解いたのか」
後一瞬、角が組み上がれば、例の光線砲が発射される、その直前で海里は気がついた。
その銃口をマキシに向けようとするのを見て、朝比奈は単分子ワイヤーの攻撃を斬り払いながら、一気に海里の懐まで踏み込む。
「嬢ちゃんはやらせンよ」
海里のデーモンの領域のほぼ中心。朝比奈に逃げ場はない。
「正気か、貴様」
「度胸試しだ――俺のデーモンAIとやら、聞こえてンなら粋がって見せなッ!」
チキチキと音が鳴って、朝比奈と長光剣を繋ぐ、鎖のようなデーモンが伸びて増えた。朝比奈の右腕が、鎖のデーモンに覆われ、生身の腕には不可能な速さで稼働する。
朝比奈を包囲する、無数の、空を裂く蛇のデーモンの単分子ワイヤーを、分裂したかのように空を切り裂く鎖のデーモンの白刃が、そのすべてを斬り払った。
「く――ッ! やるじゃないか朝比奈薫!」
その度胸試しに、海里は敗北した。
これまで王のようにそこへ立っていた海里が、思わず後ろへ飛び、電磁加速ハンドガンの銃口を朝比奈に向けて立て続けに引き金を引く。
鞭のようにしなる朝比奈の右腕と白刃は、その極超音速の銃弾も弾くでなく、すべて真っ二つに斬り捨てた。
朝比奈は海里を、戦士の領域に引きずり下ろしたのだ。
「嬢ちゃん今だ、やっちめぇッ!」
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