奈落のアルバータ

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奈落のアルバータ

 うちのクラスの担任、木野(きの)先生は美人だ。具体的に言えば、先生が担任になったクラスの男子の半分の成績がわかりやすく上がるくらい、とでも言えばいいだろうか。生徒たちの成績がいいと先生の評価も上がるし、実際千葉先生はわかりやすく喜んでくれる。それを見てますます男子どもの士気が上がる、といった具合である。なんともまあわかりやすいループだ。  四十代とは思えぬほど若々しく、声がなんとも艷やか。髪の毛も肌もいつもつやつやしてるし、笑顔がなんとも少女のようで可愛らしい。そんで、ついでに言えば蜜柑っぽいいい匂いがいつもしている。まあそんなわけだから、思春期の男どもが色めき立つのも仕方ないと言えば仕方ないことなのだろう。  俺もまた、そんなわかりやすい男子の一人であったりする。ぶっちゃけ、先生に遭遇する確率が高いので、予鈴が鳴るよりずっと早く学校に来ていると言えばわかるだろうか。  中学二年生になった今年、先生のクラスに当たることができた俺はひそかにガッツポーズをしたものである。隣のクラスになってしまった親友の櫻庭(さくらば)が悔しさのあまり、クラス発表の場で俺の足を思い切り踏んでいたほどだ。馬鹿力に思い切り踏まれて、正直めっちゃ痛かったし靴は汚れたので散々だったがまあいいことにしよう。いや、やっぱり全然良くはないのだけども。  そんな先生は、朝早く来るとランニングしている姿を学校の近くでお目にかかることができるのだ。先生の家は学校からかなり近い場所にあるらしい。七時くらいに学校に来ると、いつも近くをジャージ姿で走っているのだ。ひとしきりランニングしてから、出勤するのが若さを保つ秘訣なのよーと彼女はいつも笑っている。 「おはよう森君!いつも早いわねー。まだ七時なのに!」 「おはようございます、先生」  いつも貴女に会いたくて来てるんですよ、なんて言えない。流石に恥ずかしすぎるからだ。  ジャージ姿の女となんてダサいだろ、と思っている人もいるかもしれない。実際首元までぴっちり着込んでいるので、露出が多いわけでもない。が。  それがいいのだ、それが。ジャージは綺麗な女性が着ると存外生えるのである。健康的な足の長さ、ゆったりとした布地でもわかるスタイルの良さ。昔はモデルをしていた、なんてことを冗談交じりに語っていたことかあるが、案外的外れではないかもしれないと思う。何より、普段まとめている髪がランニング中はポニーテールになっているのだ。こう、ぐらっと来るものがあるではないか。相手は年上の、それも先生相手にこんなことを思うのは不埒かもしれないけれど。 「ランニングって、辛くないですか?しかも出勤前にするのって」  学校の門の前で先生に会うと、俺はいつも裏門の方までの短い距離だけ先生と一緒に走ることにしている。そのタイミングだけは、憧れの先生と二人だけで話せる特別な時間だった。 「長距離走って、小学校の時から苦手で。先生は結構長い距離走ってるみたいだし、疲れないのかなって」 「そりゃ疲れるわよ。でもそれ以上に得るものがあるの」 「得るもの?」 「そうよ。私、河川敷の方からここまで走ってくるんだけどね……って川沿いのアパートで家族と住んでるからなんだけど。季節ことに景色が変わるから、全然見ていて飽きないの。風を感じて走るのって滅茶苦茶気持ちいいしね」  それに!と彼女は嬉しそうに続ける。 「私も年だしダイエットは続けないとー!先生が綺麗な方がみんなも嬉しいでしょ?」 「あはは」  今でも十分綺麗だと思いますけどね。そんな言葉を、俺はひっそりと飲み込んだのだった。
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