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 昭和四十年代の東京は、まだ田舎であった。  都心から少し遠い調布や府中あたりには田んぼや畑がいくらでも広がっていたし、雑木林もいたるところに点在していた。  超高層ビルもまだ珍しい時代で、小高い丘や学校の屋上に登れば、地平線を遮る建物の数は少なく、富士山や丹沢山系が一望できたのである。  あれから何十年もたち、今は、当時の面影はどこにもない。新しい道路ができ、超高層マンションが林立し、広大な田畑は野球場10個分の大型商業施設に変貌した。ありとあらゆる場所に街の光があふれ、どこを探しても暗い場所は無くなった。  東京のチベットと呼ばれる檜原(ひのはら)村でさえ、コンビニは24時間の光をまき散らし、奥深い山の中でようやく暗闇に閉ざされることができる。  これは、僕が小学校五年の時に体験したエピソードの一つである。  当時、僕は調布市内に住んでいた。家の塀の向こう側は田んぼと畑、五十メートルも歩けば雑木林が広がっていた。数十年後には雑木林の上を中央高速自動車道が完成しているのだが、そんなことは夢にも思っていない時代である。  雑木林にはクヌギ、コナラ、ブナ、栗などがわさわさと生えていた。これはどういう事かというと、クワガタムシやカブトムシの宝庫を意味した。雑木林は誰かの私有地かというと、そうではなくて、入会地(いりあいち)のようなものだった。だから、夏になると、僕は近所のともだちと虫採りに向かった。クワガタムシなどは夜行性で昼間はあまり捕れない。そこで早朝か夜が、狙い時になるわけだ。  前置きが長くなった。  七月上旬の、雨上がりの蒸し暑い晩だった。  夜九時に、僕は友だちのヒロシと優ちゃんの三人で虫捕りに雑木林へ行く約束をした。ところがヒロシは昼間にスイカを食い過ぎてお腹を壊し、優ちゃんは親戚の用事がどうのこうので、結局、僕ひとりになってしまった。  夜の雑木林を、たった一人で行くのは、さすがに抵抗を覚えた。しかし、雑木林の勝手は熟知している。どのクヌギにはカブトムシたくさんいるとか、あのコナラの(木の幹の穴)にはゴキブリがよくいるとか、そんな類の情報を、僕たちは共有していた。  僕は装備をチェックした。  懐中電灯よし。  長袖着て、長ズボン穿いているからよし。  捕獲用の箱よし。  虫刺され用の軟膏よし。  僕は出発した・・・  
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