応為

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 ――次の日 「おはようございます……」 誰に言うでもなく、小声で呟きながら大学の製作室に入る。美大も4年生となれば講義はなくなり、卒業製作のみがカリキュラムとなる。だからいつ登校して、いつ下校しようと一切の縛りはない。 カタン……。 周囲に気を使って、なるべく音を立てないように椅子を引く。 目の前にあるのは、真っ白のカンバスだ。 さて、どうするか。 溜め息を吐きつつ、ぼぅと腕組みをする。 ……自由に描いて己を表現しろ、と言われてもねぇ。 保育園の頃から絵は得意だった。いや、絵『だけは』と言った方が間違いない。他に勉強が出来るでなし、運動が得意な訳でなし。 しかし、絵だけは誉められる事が多く、必然的に暇さえあれば絵を描いていたものだ。 こうした場合、世間の『親バカ』とされる人種は『画才がある』と喜ぶのだろうが、うちの母親は違った。 不思議な事に絵のコンクールで賞をもらったりしても、あまり嬉しそうではなかった。 その理由は、高校受験を控えた時に判明する。 ある日、家に帰るとキッチンに見慣れない男がいたのだ。真っ白な頭に皺だらけの顔。どう見ても70は越えている。 その日、私は初めて自分に父親がいる事を知った。目の前に座る、この目付きの悪いジジイが『父親だ』と。 稼ぎが安定しない水商売の母親に、裏から生活資金を提供していたのだそうだ。 「絵が出来るそうやな。なんぼか見せてもろた」  開口一番、出た言葉が『それ』だ。「はじめまして」も「今まで顔を見せなくてすまなかった」もない。 そして。 「将来は美大を目指すって? ええやろ。学費は出したる。その代わりワシの家に来て、ワシの仕事を手伝え。みっちり仕込んだる」 この『親父』を名乗るジジイが『名画の贋作者』として裏世界の有名人である事を母親が白状し、やっと納得した。私の『才能』がこの父親から受け継いだギフトである事。そしてそれを知った親父が私をこの道に引き込もうとするのを、母親が望んでいなかった事を。 母親は私に平凡でも真っ当な世界を歩いて欲しかったようだ。  作られた贋作がどうなるのかは知らない。美術館が本物を修復する間の仮設展示用に使う場合もあるだろうし、研究用のダミーとして使われるかも知れない。または雰囲気だけでもと願う蒐集家が買うのかも。いや、大抵の場合は……。 さて、どうするか。 悩んだ時間は、5分に満たなかった。 「分かった。仕事、手伝えばいいんだろ? 行くよ」 母親は号泣して『そんなに美大へ行きたいか』と迫って来たが、私にそれほどの目的意識あった訳じゃない。ただ子供ながらにそれが自分の運命であるのだと直感したからなんだ。 そうして私は、父と共に生きる事を決めた。
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