第1部 1 夏の森へ

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第1部 1 夏の森へ

 道路はなだらかな登り坂で、行手には真っ青な空と、巨大な入道雲が広がっていた。道の左右には明るい黄緑の木々が続き、木の葉を通り抜けてくる光がキラキラと瞬いている。片手で軽くハンドルを持ちながら、私は運転席の窓を開けた。夏の熱気と共に、気持ちの良い高原の風が吹き込んだ。抱えていた悩み事が、いとも簡単に吹き飛んでいく気がした。 「ラピュタだ!」と、後部座席の蒼太が大きな声で言った。 「ラピュタ? どこどこ?」その隣に座った茜が尋ねる。 「ほら、あの雲。ラピュタは大きな雲の中にあるんでしょう?」 「ほんとね。すっごく大きな雲だね」  私は前方を見たまま、後部座席の妻と子の声を聞いていた。ルームミラーにちらっと映る息子に向けて、言葉だけ投げかけた。 「うん、あれは入道雲だね」 「入道雲ってなに? ラピュタと違うの?」と蒼太が聞いた。 「入道雲というのは、雷が起きる雲のことだよ」と私は息子に説明した。  蒼太は急に不安そうな声になって、 「雷が来るの?」 「大丈夫。ほら、こんなに晴れてるでしょ?」と茜が息子をなだめ、ミラー越しに(余計なことを言うな)の視線を投げてきた。 「ラピュタは雷雲の中にあっただろ?」と私は言って、すぐに慌てて「でもほら、あんなに遠くにあるからね」と付け足した。   私、正木和也と妻の茜、五歳になる息子の蒼太。私たち三人の家族は、神戸市にある自宅を出て北へ走り、兵庫県と鳥取県の県境地帯、氷室高原にある別荘地を目指しているところだ。七月半ばの日曜日、天気は快晴で、愛車である青いミニバンの調子も順調。何の問題もない……と思っていたら、蒼太が急にしくしくと泣き出した。
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