一. 藤の花がゆれる

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一. 藤の花がゆれる

 生暖かくなった風が男の頬を撫でていった。  甘美な芳香が鼻をくすぐる。  目の前では、樹齢が500は超えるという藤の巨木が、誇らし気に花を揺らしている。  白と紫のグラデーションは見事で、巻き付かれている榎の緑と相まって実に美しい。 「これは、はるばる来た甲斐があったな」  男は、カバンからフルサイズ一眼のカメラを取り出すと、しゃがんだり立ったりしながら夢中でシャッターを切り始めた。 「おかしいな」  30枚ほど撮った頃、男は目を擦った。  首をかしげながら、気を取り直して再びファインダーを覗く。 「ヒィッ」  今度は思わず声を上げた。 「ん、お兄さんどうなさったね」  近くで藤を鑑賞していた、野良着の老女が声をかけた。 「何でしょう。今、木が動いた様に見えてしまって」  男は、少し笑いを浮かべながら答えたが、その声には怯えが混じっていた。  先ほど枝を張った藤が、まるで蛇のように見えたのだ。  ウネウネと動いて木に絡みつく蛇。  長く垂れさがり風にゆれる花房を波打つ鱗のように感じてしまったのだ。 「くくくっ。お兄さんのご先祖様には神職でもいらったのかねぇ。あながち見間違いとも言えないよ」  目を輝かせた老女は、藤の幹に近づくと指で軽く叩いた。 「どういうことですか」  気になる言葉に、男は眉を顰めて訊ねた。 「私は、そんな風に見えたことは一度もないんだけどね、私のじい様はこの木を『蛇藤』と言っていたんだ」 「『蛇藤』ですか」 「ああ、これは遠い昔に蛇が姿を変えた木だって言い伝えがあるのさ」  知りたいかい。と老女の目が問いかけてくる。  見間違いにしては、妙に生々しかった蛇の残像を追いながら、男も藤の木肌を撫でる。 「よろしければ教えて頂けますか」  好奇心が勝って、老女にお願いしてみる。  案の定、彼女は嬉々として「蛇藤」の昔話を語り始めた。 「むかしむかし、あるところに……」
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