ルール1 困っている人は助ける

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ルール1 困っている人は助ける

 困っている人は助ける。  小学生の道徳の時間に教わる、もっとも当たり前の善人たる行動ですが、それを実践している大人を、私は母以外に見たことがありません。私自身、大人になるにつれ、様々な理由からこのような善行をできないようになっていました。大人は、何に対してもその裏を見ようとします。体裁を気にしているのではないか、何が見返りを求めているのではないだろうか――と、良くないことばかり考えてしまいます。  子供の頃は、何も考えずに行動していたことが、できなくなってしまうのが大人。私は、この頃そんな風に考えてしまうのです。  その日は学校の帰り道で、ちょっとした出来事がありモヤモヤとしていた。イライラとは違い、心がモヤモヤとする出来事。家に帰っても治まらず、私はそのことを考えていた。  学校の帰り道、いつものように仲良し三人組で下校していると、道にうずくまる男性を見かけました。年齢は四十代ぐらい、胸の辺りを抑え苦しそうにしている。人通りの多い道でしたが、誰も男性に声をかけることはなく、風景のように通り過ぎていた。理由は明白で、その男性の身なりがみすぼらしく、誰も関わりたくない様子でした。  しかし、男性があまりにも苦しそうなので、声をかけようと提案すると、二人は困った顔をしました。 「やめておこうよ」 「でも、苦しそうだよ。死んじゃうかもしれない」 「わかるけれど、あの格好だよ。関わらない方がいいって」 「でも……」  そんなやり取りをしていると、通りかかったおばさんが男性に声をかけ、しばらくして救急車が到着。男性が救急車に乗るのを見届けると、私は胸を撫で下ろすと同時に、言いようのない罪悪感にみまわれました。心にモヤモヤと黒い塊がのしかかり、まるで重しのようでした。  友達二人も同じようで、そのあとは口数も少なく帰りました。  夕食のあと、あの男性を助けることが出来なかった自分が嫌になり、誰でも助ける母に尋ねました。 「お母さんは、いつも困っている人を助けるけれど、迷ったりしないの?」  ビール片手に、テレビに夢中な母が私に言いました。 「はあ? あんた、そんなこと考えて生きてるの? 難しい生き方をしているね。いいかい、目の前に困っている人がいたら助ける、それだけのことだよ。そんな当たり前のことに、あれだこれだと考えてる暇なんてないよ。私が、助けたいから助ける。それだけのことだよ」 「……」  私が助けたいから助ける。あまりにも自己中心的でシンプルな考え方は、母らしいといえば母らしい答えですが、世の中がそう単純でないことを私は知っている。 「でも、その考え方だとただのお節介じゃない? 誰もが、助けて欲しいと思っているとはかぎらないじゃない」  母は、手に持っていたビールをテーブルに置き、私の方を向いて言いました。 「相手がどう思っているかより、私がどうしたいのか――それが大切なんじゃない。私の人生だもの、私がどう思ってどうしたいか、それだけのことだよ。目の前で困っている人を見かけて何もしない。そんな生き方を、私の中の私が許してはくれない。困っている人を見かけた時、あなたの中のあなたは、何て答えるのかな?」 「……」  母の話を聞いて、私は何も言えなくなってしまった。何の恥ずかしさもなく、堂々と自分を語れるその大きな姿は、母が人から好かれる由縁なのでしょう。母が男だったら、間違えなく惚れていたかも知れない。真っ直ぐで、混じり気のない純粋な心。対象的な私は、恥ずかしい気持ちでいっぱいになりました。  そんな時、母のスマホが鳴りました。どうやら男友達のようで、ニ、三回相槌をすると「わかったよ」と告げて、電話を切りました。 「ケイタの奴が、彼女にふられたらしくて落ち込んでるから、ちょっと行ってくる」  そう言って、面倒くさそう上着を手にし、母は家を出て行きました。今も何も考えず、自分の中の自分が行動させてるのでしょう。  一人残された私は、静かな部屋で自分に問いかけました。私の中の私は、何と答えるのでしょうか……。
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