僕と握手 後篇

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   次の週末も、その次の週末も、花梨は菜々ちゃんと共にヒーローショーにやってきた。 「シノブブルーさん、こんにちは!今日も来ちゃいました!」 「シノブブルーさん、ラストで走り去る時の(お尻の)筋肉の動きが最高でしたよ!」  もちろん俺は声すら出していないから、花梨が尻でアクターが判別出来るという話は本当らしい。握手を済ませると、次はお決まりのセリフだ。 「じゃ、背中こっちでお願いしまーす!」  俺は(背中じゃなくてお尻だろ……)と思いながら、いつもより尻をキュッと締めて後ろを向く。  そうして公演の度に娘に尻を撮影されていたものだから、今日は花梨と握手をした後に、俺は何も言われないうちに、くるりと後ろを向いてしまった。慣れとは恐ろしいものだ。 「ありがとうございますっ!ではいつも通りお願いしまーす!」  パシャシャシャシャシャシャシャ ! いやいやちょっと待て、いつもとぜんぜん違う音がする。 俺が思わず振り返ると、いつもはスマホを構えているはずの花梨の隣には、本格的な一眼レフカメラを構える菜々ちゃんがいた。 「へへ、凄いでしょ!念願の一眼レフをついに手に入れたんですぅ〜!」 「すみません、びっくりさせちゃいましたか?一眼レフで撮った写真が欲しいので、菜々に代わりに撮ってもらってるんです!新品だからさすがに貸して貰うのは怖くて……あ、ちゃんと後ろ向いて下さい!」  改めて後ろを向くと、花梨が「違う、もっと後ろから、舐めあげるように連写して!」と菜々ちゃんへの指示を出す声が耳に届いて、俺はさすがにげんなりした。そして、ステージ袖から顔を覗かせて笑いをこらえるザキさんと目が合って、更にげんなりしたのは言うまでもない。 「おお!お前、熱狂的なファンまで出来て、良かったじゃねーか!」 「良かないですよ!あれ俺の娘なんですよ……。」 「あの尻フェチガールか!?」 「妙なあだ名付けんで下さいっ!」  楽屋に戻ると待ち構えていたザキさんにさっそく絡まれる。 「今の子はカメラになんぞ興味があるんだなぁ。レセプションパーティーの余興の景品で貰ったことがあるが、てんで使いこなせん。」 「ザキさん機械も疎いんですか。で、今日は急にどうしたんです?」 「おお、そうだった。朗報だぞ、後任が決まった!」 「え、あ、シノブブルーの!?もう決まっちゃったんですか!?」 「なんじゃ、お前が後任を探せっちゅーから急いだと言うのに。」 「あ、すんません……。で、いつから交代です?」 「次の日曜から入れるそうだ。だからお前は土曜で終わりでいいぞ。」 「えっ、そんな急に!?」 「なんだ、この仕事に愛着でも湧いたか?」 「い、いやそういうことじゃ……。」 「古い付き合いの事務所からな、期待の新人の度胸付けに丁度良い仕事はないかと話があったもんだから、この話をしたら飛びついてきてな。悪いがもう契約も進んじまっておる。土曜の公演が終わったら挨拶に来るそうだから、悪いが色々アドバイスして引継ぎしてやってくれ。」 「引継ぎまで俺がやるんですか!?」 「仕方ねぇだろ!俺はこういった子ども向けのショーは専門外だ。短い期間とはいえ経験者のお前が適任じゃねーか!」 「わーかーりーまーしーた、やりますって!……あ、でも代わりに、ひとつお願いがあるんですけど……。」 *** 「もしもし、美奈子?」 「もう、だから通話はやめてってば。」 「明日の夜のほんの数分で良いんだ。誕生日プレゼントを渡したいから、花梨に会わせてくれないか?」 「何よ急に?それに花梨、夜は勉強を頑張っているから会ってくれないと思うわよ。成績上位を保つことを条件に、菜々ちゃんと毎週末遊んで良いっていうことにしてるの。」 「大丈夫、ほんの数分だから。それに、俺からのプレゼントが何か伝えれば、きっと来るはずだよ。」 「えっと……お父さん、久しぶり。」  美奈子たちの家の最寄り駅で待っていると、花梨が気まずそうに近づいてきた。後ろに立つ美奈子がそんな花梨の様子を見てくすりと笑っている。プレゼントに釣られて来たことがバレバレなのだが、そんな姿も愛らしい。  俺からすると、ヒーローショーで毎週末会っているのはずなのに、あの興奮した状態の花梨ばかり見ていたので、の花梨に会うのは久しぶりな気がしてしまうという不思議な感覚だ。   「良く来てくれたね、花梨。ちょっと早いけど、お誕生日おめでとう。」  ザキさんが持て余していた一眼レフを譲って貰ったから、ラッピングもなく商品箱のままなのだが、花梨の目はもうこのプレゼントに釘づけだ。 「ありがとう!……でも、なんで私の欲しいもの分かったの?」 「え、あー……、ママに聞いたんだよ。」  美奈子がけげんな目を向けてくるが、スルーしてくれる。 「そっか……ありがとう、すっごく欲しかったから本当に嬉しい!大切にするね。」 「それは良かった。じゃ、今日はこれ渡したかっただけだから。遅くにごめんな。気を付けて帰るんだぞ。」 「あ……、うん。じゃぁ、バイバイ。」  俺は二人に向かってグッと親指を立てて見せると、名残惜しい気持ちを振り払うように、二人に背を向けて改札へと駆けた。次の土曜日、きっと花梨はあのカメラを持って見に来てくれることだろう。 「花梨、どうしたの?」 「……あ、ううん!何か変な感じしたんだけど、何だろ……。それより、お父さんさぁ……絵文字にあるサムズアップって言うんだっけ?よくあのポーズするけど、ちょっとダサいよね……。」 「あはは、確かにそうねぇ。でも、お父さんとお母さんが若いころは結構お決まりのポーズだったのよ。」 「ふぅん。さ、早く帰ろ!帰ったらすぐこの一眼レフをセットアップしなきゃ!」 ***  そして迎えた土曜日。俺のシノブブルーとしてのショーも無事に終わり、いよいよ最後の撮影握手会の時間となった。  列に並ぶ花梨は、俺がこの前あげた一眼レフカメラを大切そうに首から下げている。時々モニターを覗き込んでは菜々ちゃんとあーだこーだ言っているのは、撮影の設定でも調節しているのだろう。 「こんにちは、シノブブルー!花梨もとうとう一眼レフを手に入れたんですよぉ~!これでやっと自分の好きなアングルのお尻を高画質で撮れるねっ!」 「やだ、改めて言うのやめてー!!それに、変な意味じゃなくて純粋に造形美として好きなだけなんだからー!」 「もぉ~、何を意味の分からないこと言ってんのよぉ~。」  いつものように賑やかな会話を聞きながら、握手をするために手を伸ばすと、花梨がいつものように手を握ってくれた。  今度はいつ花梨の手を握れるのか、もうそんな日は一生来ないんじゃないかと思うとつい、いつもよりもしっかりと手を握り返してしまった俺は、慌てて手をほどいて後ろを向く。 「じゃぁ、シノブブルーさん、そのままでお願いしますっ!」  パシャシャシャシャシャシャシャ !  パシャシャシャシャシャシャシャ !    二人で一眼レフを連写しているらしく、いつもよりシャッター音が増えている。俺がその音が鳴りやむタイミングを待っていた、その時だった。 「あっ、私のお財布!ドロボー!!」  花梨の声に驚いて振り返ると、花梨が男と財布を引っ張り合っている。撮影に夢中になっている花梨の鞄から財布を抜き取ろうとしたらしい。 「くっ、くそ、離せッ……!」 「きゃっ!!」  泥棒男はあろうことか花梨を突き飛ばし、財布を奪った。そして、周りに居たスタッフがその財布を取り返そうとして駆け寄るのを威嚇するように、なにやら大声で喚きながら、ポケットから折り畳み式ナイフを取り出した。  周りの客たちはみんな悲鳴をあげながら泥棒男のそばから離れ、親たちは子どもを庇うように抱き寄せている。花梨も菜々ちゃんと共に、犯人から遠い位置で身を縮ませ、震えていた。 「追いかけて来たらブッ殺すぞォ!!」 「やめなさい、刃物を捨てなさい!!」  スタッフが迂闊に手を出せずにいるのを良いことに、男はナイフを振り回しながら、逃走するためにじりじりと後退して出入口の方に近づき、扉に手をかけた瞬間思いっきり―――――    ドォン!!!  思いっきり、外側から蹴り開かれてきた扉にぶつかった。  実は、泥棒男が逃げるために出入口に近づいていることに気づいた俺は、バレないようにこっそりとステージの脇からホールの外に続く関係者用通路を使い、出入口の外側に先回りして、男の足音と喚き声が近づいたタイミングで全力で扉を蹴ったのだ。  泥棒男は扉になぎ倒されるように転び、その拍子に手からナイフが落ちて客席の下に滑り込んだ。俺はすかさず泥棒男に飛び乗り、花梨を突き飛ばしたことへの報復に数発殴りを入れさせてもらう。スタッフたちもそれに続いて飛びかかって数人がかりで拘束し、通報により駆け付けた警官が泥棒男を連行して行った。 「シノブブルー、すごーい!」 「あたりまえだよ、シノブブルーはをけすのがとくいなんだ!」  図らずも、シノブブルーのキャラクターを反映したような攻撃に、子どもたちは大興奮で口々に賞賛するのでさすがに照れてしまう。 「シノブブルーさん!怪我はありませんか!?」  駆け寄ってくれた花梨に、大きく頷いて返す。「君は?」と言うように指をさすと、 「私も、尻もちついただけで、全然大丈夫です!本当に、ありがとうございました……!このお財布、前にお父さんから貰ったものだから……。」 「……!」  花梨が無事だったことへの安堵と、花梨が大切そうに抱える見覚えのある財布を見て鼻のあたりにツーンと何かが込み上げてきた俺は、慌てて親指をグッと立てつつ身を翻して、駆け足でステージを後にした。 「待って、シノブブルーさん!!」  花梨が呼ぶ声が聞こえたが、さすがにこの嗚咽を我慢できる自信は無かった。 ***  こんなに暇な日曜日は久々である。ヒーローショーは準備も手間取るため会場入りも朝が早かったから、その反動で今日は昼過ぎまで眠りこけてしまった。  昨日のあの騒動の後、引き継ぎをした後任となる若手役者はスラッと背が高く、ステージ映えしそうな奴だった。ただ、尻は薄いので、花梨の好みではないかもなぁ……なんて変なことを考えかけて、かぶりを振りながらベッドから起き上がった。  ピンポーン  こんな時間に何だ?宅配便か?と考えながらひとつ欠伸をしていると、 「お父さーん、いるー?」 「え!?花梨!?」  俺はパジャマ代わりのスウェットのまま玄関を開けた。 「なんだ、まだ寝てたの?」 「ど、どうして花梨がここに!?」 「お母さんに住所聞いたの。あの……一緒にお昼ご飯でもどうかなって思ってさ。」 「え!?」 「この前、プレゼント貰うだけ貰ってバイバイしちゃったから……。あ、でもお父さんが奢ってよね!?」 「いや、もちろんだよ!今着替えるから、ちょっと待ってて。すぐそこのファミレスでいいか?」  ファミレスに着くと、正午に近い時間とあって席はあらかた埋まっていたが、2人なのですぐに小さなテーブル席に通された。 「はい、メニュー。遠慮せず好きなの頼んでいいぞー。」 「ありがとう……って、これキッズメニューじゃん!私もうお子様ランチなんて食べないよ!?」 「あ、そうかそうか、つい昔の癖で……。」  寝起きの俺はサンドウィッチプレートと、花梨はエビとアボカドの乗った、いかにもお洒落そうなパスタに、それぞれドリンクバーを付けて注文した。 「花梨は何飲みたい?コーヒーと一緒に取ってくるよ。」 「あ、じゃあ私、アイスティー。ミルクとガムシロップもね!」 「オレンジジュースじゃなくていいんだな?」 「もー!」  拗ねるような声で抗議する花梨の声を背中に受けながら、ドリンクを取りに行く。ふと「お父さんがシノブブルーだったんだぞ」と言ったら花梨はどんな反応をするのだろうという考えが頭をよぎった。  しかし、やっぱりヒーローが正体を明かして自分の功績をひけらかすのは野暮というものだろう。花梨が認めてくれたシノブブルーの名が廃る。  さて、ドリンクを持ってテーブルに戻ったら、花梨と何の話をしようか。 ***  からかうように笑いながら、ドリンクバーに向かうお父さんの後ろ姿を私は目で追った。  寝起きに来ていたスウェットから、細身のストレッチジーンズに着替えたお父さんは、やっぱりお尻の形が良い。今日の新しいシノブブルーも悪くはなかったけど、ちょっとお尻が薄すぎたなぁ。私にとって理想的なシノブブルーは、サムズアップがちょっとダサくて、でもとっても娘想いなお父さんだ。 ー完ー  
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