3985人が本棚に入れています
本棚に追加
/108ページ
―――……
「……………は?」
はい!と渡されたビニールには総菜とは別に怨ね、もとい、気合でも入っているのだろうか。
それ程の熱気を見せるパート安藤さんの迫力は背を反る程凄まじい。その上、その安藤の肩越しに見えるのはこちらを陰ながら見守っているつもりの他のパート従業員達。
一体何が起こっているのか、理解し難い忠臣だが、
「いい!?やっぱね、何を言ったって、恋愛って経験を積む事だと思うのよっ!」
「え、ちょ、な、に、何のこ、」
「一度駄目でも、次があるのっ!こうなったらもう数打ちなさいっ!絶対にいい所に当たるからっ!」
「か、数、っすか…」
「そうよっ!ことわざでもあるじゃないのっ!!数打ちゃ当たるとかってねっ!!」
無駄打ち上等よっ!!!!
「そう、っすね…まぁ、」
「大丈夫っ!!次の新しい挑戦って大事なのっ!!頑張りなさいっ、くよくよしないのよっ!!」
「な、るほど…」
目の前でぐっと持ち上げられた親指の指紋をマジマジと見やる彼は取り合えず頷き、『ありがとうございます…』とだけ礼を言うと頭を下げて店を後にした。
その後ろ姿を生暖かい視線で見送り、バックヤードからバタバタと集まってくるのはパート達。
「どうだった?大丈夫そうっ?」
「何か言ってた、あの子っ」
心配そうな表情とは反対に一仕事終えたと言わんばかりに額の汗を拭っている安藤さんの姿は清々しい。
「いやー、良い事したわっ!やっぱり失恋には新しい恋よねっ!!」
「そうよね、失恋の傷は新しい恋で癒すとかよく言うし?」
「コロコロ変えるのもどうかとは思うけど、やっぱ彼女とか恋人って頑張る原動力とかになるものねっ」
「いいなぁー、何か羨ましいぃー」
あはははははっと甲高くも、どこか逞しさが滲み出る淑女達の笑い声が響く店内は、今日も明るく朗らかに時が過ぎるのだった。
しかし、だ。
一方此方と言えば――。
「数、か…」
一体何を思ってあのパートの奥方達がアドバイスしてくれたのかは、この際置いといて、多分心配してくれているのだろうと容易に想像はつく。
色恋に慣れていないだけ、顔に出ていたのだろう。
そう、
(俺ってそんな下手くそに見える、とか…満足させられない童貞に見られてる、って感じか?)
あのパート達は相手が利桜と知らない故に、普通に忠臣が女性と付き合っており、満足させられない男として不甲斐なく見えていたのかもしれない。
それを前提に思案する忠臣の脳内に浮かび上がったのは、矢張りこなせば上手くなるのだろうか、と言う至って真剣な下問題だ。
「こなす…こなすかぁー…でも次があるか分からんのになぁ…」
誰かを使って練習する訳にもいかないのが、この問題の最大の難関。
もっと経験もあれば、なんて今更思った所で後の祭りどころか、カーニバルも起こらない。
(でもな…)
折角頂いたアドバイス。
出来るだけ活用させていただきたいなんて、要らぬところで出てきた勿体ない精神に背中を押された様なこの気持ち。
ぶらりと貰った総菜を揺らす帰り道に決意は新たに、
「一応勉強だけはしとくか…」
耳と目から鍛えて、脳に叩き込もう。
うんうんと一人頷く忠臣とパート先の女性達。
互いの思いが何となく意味を違え、韓流ドラマ並みのすれ違いを起こしているのは明確なのだが、そんな事誰も気づく訳もない。
*****
風呂上り、濡れた髪のままリビングに出て来た忠臣に手招きをするのは利桜だ。
「な、に?」
色々と考えすぎてしまっていたからか、びくっと肩が揺れるのも仕方が無い。
緊張を滲ませ、声まで上擦る忠臣だが、それでもそろりと近づくと利桜の座るソファの隣へと腰を下ろした。
「明日、何か予定ある?」
「予定?あ、いや…特別…」
二人で過ごせるのかと期待してました、と言えない辺りがチキン具合が伺える自分に自己嫌悪しか湧かない。
しかし、そんな忠臣をくすっと笑う利桜から伝わる空気は何処までも優しく感じる。
幼い頃と同じその甘やかす様なそれは思わず眼を閉じて、うっとりとしてしまいそうだが、
「じゃ、余裕はあるか」
その言葉にはっと顔を上げた。
「余裕?何が?」
「俺も明日は休みだしさ」
「あー…うん」
だから?
きょとんと瞬きする忠臣にまた笑う声が聞こえる。
「やっぱ自分好みにしたいって思うのは男の性じゃない?」
うっそりと形の良い唇が三日月を象っていくのを見惚れる忠臣は一瞬その意味に気付かず、反射的に頷きそうになるも、いや待てと掛けるは自制。
もしかしてーーー
だが、早とちりだったならば滑稽以外の何物でも無い。
「…好み、とは?」
空気が読めない勘の悪い奴だと思われるかもしれないが、お伺いを立てる忠臣の顔に熱が集中する。
そこに利桜の細くて長い指が明らかな意味を含んで撫でる感覚にぞくりと腰に走った痺れ。
心臓が痛いと勘違いする程早く打つ。
「今日は俺の部屋に来るんだよ」
決して否と言わせない声音と灰色の宝石の様だと思っていた綺麗な眼が鈍い色味を見せる。
頷くだけしか出来ない忠臣だがそれが正解だったのかなんて、きっと利桜だけしか分からないのだろうーー。
最初のコメントを投稿しよう!