第1話・残り香は殺意を招く

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第1話・残り香は殺意を招く

深夜遅くに泥酔して帰宅した弟を玄関に出迎えた兄は、造作の整った怜悧な鉄面皮(てつめんぴ)剣呑(けんのん)な殺意をのぞかせた。 「真司、オマエ……いつから香水なんか付けるようになったんだ?」 「はぁー? んなコジャレたもん、オレが付けるワケねーじゃん! なに言ってんの、アニキー?」 ロレツのまわらない舌でまくしながら、真司は、ケタケタと笑って兄の胸に寄りかかった。 「ったく! こんなベロベロになるまで、誰と呑んでやがったんだ」 敦司は、盛大に舌打ちしながら、さりげなく真司の肩に鼻を寄せた。 真司の息からまき散らされるアルコール臭に隠れて、品のいい控え目なフレグランスが、ほんのわずかに(ただよ)う。 真司自身のものでないとすれば、それは、他の誰かの香水の移り香だということだ。 しかも、ささやかな香気が控え目ながらもシッカリと存在をアピールしているということは、香水をまとった衣服が、それ相応にシッカリと密着する状況があったと容易に推察される。 衣服同士がシッカリ密着するということは、すなわち、その衣服をまとっている人間の肉体同士が、着衣ごしにシッカリと密着するということに他ならないワケで。 敦司には、落ち着いたベルガモットノートをベースにしたノーブルなその匂いが、宣戦布告を告げる狼煙(のろし)のキナくさい残り香にしか感じられなかった。 ノーテンキなヨッパライは、兄の全身からメラメラと立ち上る不穏な殺気に少しも気付かず、はしゃいだ声をあげた。 「明日、店が休みだからっつってさぁー。ミヤさまがゴチしてくれたんらぁー」 「なんだ、その"ミヤさま"ってのは?」 「ミヤさまはぁ、お花屋さんの店長さんれーす!」 「オマエのバイト先の?」 「そう! 優しくってー、お上品でー、美人でぇー、だーかーらぁ、ミヤさまっつーの!」 「自分の店のアルバイトをヘベレケになるまで酔いつぶすなんて、ろくなオンナじゃねーな」 「ちっがーう! ミヤさまはオンナじゃねーの! 美人だけど、オトコなの!」 真司は、なめらかな頬をめいっぱいふくらまして怒ってから、またヘラヘラとキゲン良く笑い出した。 「オレがぁ、マジメに仕事ガンバってるからっつってぇ、すげぇーホメてくれたの! そんでさぁ、客に花を勧めるときに役に立つからっつって、ハナコトバとか教えてくれてさぁー。ハナコトバって知ってる、アニキー?」 「………」 「なあ……アニキー?」 「……なんだ?」 「歩くのメンドくせぇから……ベッドまで運んでってくれよぉ」 真司は、兄にしがみついて、アルコールで弛緩(しかん)きったトロリとしたマナザシで上目づかいにネダった。 敦司は、こわばった視線をフッとやわらげて、うっすらと上気した弟の柔らかな耳に唇を押し当てながら、ツヤヤカな低い声でささやく。 「それは、オレを誘ってると解釈していいんだよな?」 「…………っ!」 一瞬で、酔いがフッ飛ぶ。 真司は、兄の腕の中から弾けるように飛びのくと、 「お、おやすみっ、アニキっ!」 そう叫ぶなり、イキオイよく階段を駆け上がった。 やがて、シンと静まり返った階上の廊下から、バタンとドアを閉める音に続いて、ガチャリと内側から鍵をかける音がヤケに大きく響いて聞こえた。 敦司は、フンと不機嫌(ふきげん)に鼻を鳴らしてから、自分も階段を上がって私室に戻った。 それから、おもむろにデスクの前に座ると、ノートPCで『花言葉』というワードをググっているうちに、白々と夜が明けた。
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