第十話 終わらない物語の約束はあなたと共に

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第十話 終わらない物語の約束はあなたと共に

     聖ワシリイ会の神官長の死体だけ、顔が潰されていた。そのことに不自然さを覚えなかった自分のうかつさに史朗は舌打ちした。  自分と背格好が似た人物をあらかじめ用意したのだ。なにも分からず殺された彼も哀れだ。それはあとで聖ワシリイ会の神官長が、雑用係として数年も前から雇っていた人物と判明したのだが。  そうして死人として自由になった彼は、他の三人の神官長を殺したのだ。人々に暗示をかけるのは簡単だっただろう。この大神殿に彼はずっといたのだから、少しずつ少しずつ食べ物に毒を混ぜるように人々の心をむしばんでいったに違いない。  しかし。 「大神官長だけは闇の魔法をもってしても、お前の自由には出来なかった。そうだな?」  篤い信仰心と鋼のような心を持つ者には、闇の魔術は効かない。そう、ヴィルタークの背に今、かばわれている大神官長のような人物には。  史朗の言葉に祭壇の前に立った聖ワシリイ会の神官長……いや、闇の魔術師と言うべきか。それがニヤリと笑う。 「さすが賢者殿は察しがいい。だから、このときを狙ったのですよ。王が代替わりする儀式には旧神殿の祭壇の扉は開く」  そして闇の魔術師は「おっと、安易に動かないほうがいいですよ」と史朗の後ろにいるヴィルタークを見る。史朗が会話するあいだに、彼は闇の魔術師のすきをずっと狙っていたのだ。  黒いローブの魔術師と同じく、祭壇の影に身を潜めていた人物が二人立ち上がる。それは神殿に仕える修道士見習いの少年二人だ。手に持った短剣を同時にお互いののど元に向ける。その目はうつろで、完全に操られていることがわかる。 「少しでも動けば、かすかな魔法の気配でも、自死するように命じてあります」   卑怯な手段だが、ヴィルタークにも史朗にも、それは有効だった。動けない二人に魔術師は「くくく……」と嫌な笑い声をたてる。 「この旧神殿にはあの血文字の仕掛けをしてすぐに身を潜めたのか?」  ヴィルタークの言葉に、闇の魔道士は「そのとおり」と勝ち誇ったように言う。 「私の神官長の端くれですからね。旧神殿への隠し通路ぐらい知って居ますよ。あなた達がその道を封鎖したときには、すでにここにいたわけです」  大神殿の扉に血文字の挑発文の事件のあと、一旦延期となった儀式を強行することとなった。そのときに旧神殿のまわりには、当然厳重な警備がしかれた。  大神官長の指示で、旧神殿への隠し通路の入り口にもだ。戦乱の暗黒の時代に神殿の宝物を守るために、その通路は作られたという。 「なぜ、旧神殿の祭壇の扉を開くのにこだわる?いや、三人の神官長の命を奪ったのはなぜだ?」  いつも穏やかな大神官長らしくない厳しい問いだった。それに魔術師は「こんな薄汚れた者達の血肉でも使い道はあるのですよ」とローブの袖から三つの固まりを取り出し、そして、それを自分の足下に、正三角形を作って取り囲むようぽとりぽとりと置いた。 それに大神官長が「まさか……」と息を呑む。ヴィルタークは眉間にしわを寄せて、そして、史朗はこの魔術師の狙いが、自分が考えたものと同じだと悟る。  それは三つの心臓だった。いや、心臓の宝石というべきか。血の色に輝く結晶となっていた。闇の魔術に人血の結晶化というのがあるが、心臓をそのままそうしたのか。  そして、三人の神官長の心臓には、それだけの魔力が秘められている。魔術師が低く響く呪文を唱えると、彼の周りを取り囲んだ真っ赤な心臓の形をした結晶が、闇色の光を放つ。  それはいなずまのように瞬いて、祭壇の向こうの開いた扉。その光の中へ。くっきりと闇の魔法紋章を浮かび上がらせる。  瞬間、黄金の光の輝きは一転して、暗黒の闇へと変わった。その光景に「おお、なんということだ……」と大神官長がうめくようにつぶやく。だが、この鉄の意志の人は、ただ驚愕しているだけではなかった。ひざまずいて、頭を垂れて女神への祈りを唱え始めた。「老いぼれが!無駄だ!」と魔術師があざ笑う。  「どういうことだ?」とヴィルタークが訊ねるのに史朗は「光と闇の魔法紋章は表裏一体だって、前、言ったよね?」と返す。 「この旧神殿の祭壇に祀られているのは、女神アウレリアではなく、光の賢者の力そのものだ。その光を触媒として、あの魔術師は世界の果ての海に沈んでいる闇の賢者の力を引き出そうとしてる」  どうして、ここに光の源があるとわかったのか?それは神官としてこの大神殿に入りこむ前だったのか、それとも後だったかは史朗にもわからない。  わかるのは、闇の強大な力をこの魔術師が呼び出し……そして。 「一応、警告する。その力はお前の身にはあまるものだ。破滅しか、もたらさないぞ!」 「異世界の賢者がほざくな!私はこの強大な闇の力を手にして、闇の宗主様そのものに……」  言葉が途切れたのは、魔道士を取り囲む三角形の結界。その中へと闇の力が流れ込んできたからだ。黒いローブの身体が闇に一瞬包まれる。  が、ローブがはじけるように破けて、たちあがる煙のごとく、魔道士の身体がみるみるふくれあがっていく。瞳は血の赤の光を放ち。なによりおぞましいのは、ふくれあがる身体と同様に、彼の頭に無数のねじれた角が生えていく。 「おお、これが真の闇の力。すばらしい」  そう言う声もまた、ひび割れた、雑音混じりのものだった。「ひぃ」と小さな声に史朗は気付いた。  魔術師が変化したことで呪縛が解けたのか。二人の修道士見習いの少年はカラリと短剣を取り落として、この目の前の異形に震えていた。 「おまえたちは用済みだ」  初めの二倍ほどにふくれあがった身体。異様な筋肉の盛りあがりに血管の浮き出た青黒い肌となった腕を異形が振るう。  それだけで、近くにいた少年の首、二つは飛んだだろう。だが、史朗の後ろから飛び出した長身が、少年達を両わきにかかえて、その凶悪な攻撃から逃れた。 「ヴィル!」  史朗は少年達を抱えて後ろに逃れる、ヴィルタークの前へと出て防御結界を展開する。異形の腕の攻撃の風圧からだけではない。同時に放たれた闇の雷光を防ぐ。  しかし、その結界にかなりの衝撃が走るのを体感して顔をしかめる。それに重なるように、輝く光の魔法紋章が展開する。子供達を大神官長の横へと避難させたヴィルタークだ。  「今は脱出するのは無理だね」と横に並んだ長身に史朗は言う。彼が「ああ」とうなずく。 「ムスケルが張った結界と、聖竜騎士達が張った二重の結界だ。奴の攻撃を防ぎながら、突破するのは難しいだろうな」  闇の教団から旧神殿を守る結界が逆に足枷になった形だが、史朗は「あと、もう少し保てばいい」と答える。  じっと、まだまだふくれあがる異形の身体を見つめる。 「もう、あの身体は保たない」  「なに?」と訊くヴィルタークの声と「ぐぁあああ!」という異形の声が重なる。 「な、なぜ、身体が、カラダガァアア!!」  それは断末魔の絶叫だった。巨大な身体がみるみる砂のように崩れていく。それに史朗が「あたりまえだ」と異形となった魔道士にはもう聞こえないだろうが告げる。 「闇の賢者の力に並の人間の身体が耐えられる訳がない」  叡智の冠に、火水風土の四大元素、光の力、そのすべてがあってこその闇の力だ。それだけを取り込めばすぐに崩壊はやってくる。  それこそ闇の魔術師が取り込んだ闇の力はごくごく一部のはずだった。それでこれだ。  その闇の力も、開いた扉の向こうに吸い込まれて消える。  そのはずだった。 「コノママデハ、オワレヌヌ!」  半ば崩れた身体から叫び声があがり、黒い固まりとなった闇が飛んだのは、大神官長の横にいる少年の一人だった。  緋の聖女と呼ばれた闇の魔女。そのときの断末魔と同じ。彼女は自決し、自分が洗脳した人々を同士打ちさせるという惨劇をもたらしたが、それだけではなかったのではないか?と史朗は瞬間、浮かんだ考えに戦慄した。  闇の教団が迫害され分散しながらも絶えなかったのは魔術に長けたものたちが、次々と人の精神を乗っ取って伝承していったのかもしれないと。  そうだ。魔法王もまた、死して人々の精神を渡り歩き、最後にはアウレリアの宰相ヴィルナーとなって異形の魔王となりかけた。  それが闇の教団が滅びなかった理由か?などと悠長に思考している場合ではなかった。  闇は少年に向かい真っ直ぐに飛んでいく。史朗は一旦張った結界を解除して、さらに少年の前に張り直そうとしたが間に合わない。  それより先に動いたのは。 「ヴィル!」  彼がその広い背で少年をかばった。黒い固まりの直撃を受け、闇が彼の身体に吸い込まれる。  闇の教団の邪悪な意思なだけではない。賢者の闇の力も一部取り込んだそれを。  駆け寄ろうとした史朗に「来るな!」とヴィルタークが叫んだ。 「それより、その少年達と大神官長を外へ!」  うずくまったヴィルタークの額には脂汗が浮かんでいた。だが、史朗を真っ直ぐ見た瞳は、意思の力に輝いていた。 「早く!」  その声に鞭打たれるように、史朗は「こっちへ!」と少年二人と大神官長を入り口へとうながす。  幸いにも結界は二重ではなく、何故か一つとなっていた。それを打ち破り史朗は少年達と大神官長と共に外へと。 「ヴィル、待ってて!絶対戻るから!」  そう叫んだ。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  一方。  「聖ワシリイ会の者達ばかりがなぜ!?」と、神官達の戸惑う声に、ムスケルが思わず「それよりこっちの結界を張るのを手伝って欲しいんだけどな!」とぼやいた。  旧神殿を取り囲むように結界を展開していたムスケルと聖竜騎士団だったが、そこに大神殿へ無言、無表情で不気味な雰囲気でやってきたのは、修道僧や修道女、まだ年若い少年や少女も混じっていた。  彼らはいきなりこちらの二重の結界の中に入ろうとした。ムスケルがとっさに、聖竜騎士団達の結界を彼らへと向けさせて、自分の結界のみで旧神殿をおおい続けた。  しかし、旧神殿からふくれあがる不穏な空気が、張った結界越し、びりびりと伝わってくる。いくらムスケルが攻撃はからっきしだが、防御特化型でもこれはヤバくないか?と思ったときに、旧神殿の結界が一部破られた。それと同時に扉が開く。  そこから飛び出したきたのは大神官長に史朗、そして見知らぬ少年二人であることに、ムスケルがその糸のように細い目を、かすかに見開く。 「おい、シロ君。これはどういう?うわっ!」  開いた扉から目にも見える黒いもやのような闇が飛び出そうとするのに慌てる。が、それは矢のように飛んできた輝くなにかによって、内側へと押し込められる。  それは燃えあがる炎の魔法紋章となって、開いた黄金の扉の向こうに見える闇が出るのを押しとどめている。  とんでもない炎の魔力の結界だ。史朗が“彼女”に「女神アウレリア!」と呼びかける。それは修道女姿の若く美しい娘だ。 「どうして、ウージェニーさんの姿に?」 「この娘に身体を貸してもらったの。ちゃんと呼びかけて許可は得たわよ!」  神官達は「おお、ドロティアにアウレリア女神様が降臨なされた」などと彼女に向かい祈りを捧げているが「いや、だから、結界張るのを手伝ってくれよ」とムスケルがぼやくが。  しかし、同時に聖竜騎士団の結界破ろうと、体当たりや手で叩き続けていた、修道僧や修道女達が全員ぱたりぱたりと倒れて意識を失う。 「どういうことだ?」 「旧神殿の中にいる、闇の魔術師が倒れたんだ。その精神制御が効力を失ったんだ」  「彼らはもう無害だ」と言って、史朗は炎の結界に覆われた黄金の扉へと再び戻ろうとする。それにムスケルが「どういうことだ?シロ君」と声をかければ。 「ヴィルがまだ中にいる。みんなに代わってあふれた闇の力の直撃受けたんだ」 「おい、それは」 「助けないと」  さらに一歩、炎の結界へと進んだ史朗に「叡智の賢者!」と呼びかけたのは、ウージェニーの身体を借りた女神アウレリア、いや、炎の賢者というべきか。 「私達はずっと心残りだった。あなたをあの崩壊した世界に残したことを」  「こんなときに言うべきことではないでしょうけど」と彼女は悲しげに微笑んだ。 「あのときはそうするしか道はなかった。生き残った者達を箱船に乗せて、私達は旅立つしか」 「そう、箱船を送り出す。それが僕の役目だった。そこに悲しみや、まして、僕を残して去って行く君達に対しての憎しみなんかもなかったよ。  それが僕の生まれた意味だったからだ」  育成槽を出された瞬間から、自分のやるべきことはわかっていた。それが自分の素体となった叡智の賢者の意思だったのか、刷り込みだったのか、わからないけれど。 「だけど、今は違う。僕は僕の意思でヴィルを助けに行くんだ。だってヴィルを愛しているから」  冷徹な賢者の判断からすれば、この旧神殿ごと漏れ出た闇を封じてしまうのが最善なのだろう。この中に入るのは自殺行為だと、もう一人の自分がいたらせせら笑うだろう。 「二人で必ず戻ってくる。でも、万が一戻らないときは、この神殿ごと封じて欲しい。あなたなら、それが出来るはずだ、アウレリア女神」  「よろしく頼むよ」とそう言って、史朗は火の魔法紋章を発動させて、女神の結界を乗り越えて黄金の扉の向こうへと消えた。 「……恋も知らなかったクセに。戻って来なかったら承知しないんだから」  女神は微笑み、そして旧神殿の周りを炎で取り囲み漏れ出ようとする闇を封じた。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  炎の結界を越えたとたん、濃密な闇に息が詰まる。  ヴィルタークは祭壇のむこうにうずくまっていた。奥の扉は閉まっている。闇に身体を冒されながら、この人はそれをしたのか……と胸が痛む。 「なぜ来た?」  聞いたこともないような苦しげな声。闇が内で暴れているのだろう。  ましてこの人は闇にけして侵されることのない。心の持ち主だ。光の魔力というより、太陽そのもののような。闇を受け付けるわけがない。  だから、闇に乗っ取られることもないが、身の内で暴れる闇に苦しめられ続ける。  彼が死ぬまで。 「あなたを助ける……ううん、一緒に助かるために来たよ」  そんなことはさせないと、史朗は膝をついてヴィルタークに抱きついた。「触れるな!」なんて悲しいことをいう唇に、唇を押し当てる。 「ふ…ぅ……」  そして彼の中にある闇を分かち合う。ひりりと喉が焼けるむような感覚。それは触れあった肌からも。  「なにを考えている!」と唇をひきはがされて「でも、もう触れちゃった」と史朗はヘラリと笑う。 「今さら出ていけなんて無駄だよ。あなたの中の闇ももらっちゃったし」 「一緒に死ぬなど俺はゴメンだぞ」  史朗がヴィルタークの闇を今、触れあっている部分からも吸い取っているから、彼が前よりは楽そうに会話しているのが嬉しい。史朗のほうがちょっと、いや、かなり辛くて「はあ……」と息をつく。 「お前だけでも……」 「だから今さら、それに僕は心中するつもりはないよ」  触れあっている場所から闇が侵食する。だが同時にヴィルタークの中にある光の魔法紋章も発動している。光と闇が互いを相殺し合い、ぶつかりあってる。 「ヴィルの中に僕の光の魔法紋章がある」 「そうだったな」 「闇は欠けたままだった。そりゃそうだ。ヴィルは光そのものだもん。  だけど、ここに闇がある。だから、これを僕の魔法紋章にして定着させれば……っ……」  びりっと全身に走ったしびれに息が詰まる。心臓が止まるかと思った。いや、止まったかな?あわてて光の魔法紋章をさらに発動させて、どっと自分に押し寄せる闇から、心臓を守ったけど。 「おい、大丈夫か?」  やはり自分と触れていると良くないのだと、ヴィルタークが史朗の身を引き剥がそうとするのに、史朗は彼の首に両腕を回してしがみつく。 「ダメ…だよ……助かるなら…一緒……」 「シロウ……」 「本当は時間をかけて紋章は作るん…だけ…ど……急いで作らなきゃ…だか…ら…ヴィルと僕…の…魔力を混ぜ合わせて……」  光しかないヴィルタークの身体から、逃れるように史朗の身体に闇の力が襲ってくる。一部だけ漏れたとはいえ闇の賢者の力なのだ。それは純粋で濃くて冷たくて本当にこのまま身体が凍えそうだ。 「わかった」  だけど、ヴィルタークが抱きしめてくれると、ぽうっと胸の奥が温かくなる。唇を重ねればそこからもキラキラ輝く光の力が入ってくる。  衣をはぎ取られて、重ねた胸。鼓動も一緒になるようだ。ドクンドクンとヴィルタークの力強い心臓に、自分も励まされるみたいにトクントクンと。 「神聖な……神殿で…こんなこと…したら……神様の罰…あたる……かな?」  まあ、その女神様の顔は良く知ってはいるんだけど……。  「それこそ今さらだろう?」とヴィルタークの唇を胸に押し当てられて「あ……」と史朗は声をあげる。  ヴィルタークがなかに入ってきて、その熱といまだ自分の身体をむしばむ闇とのせめぎ合いに、気持ちいいのか苦痛なのか?いや、やっぱりこの人と抱き合うのは幸せだとぼんやり思う。  「このまま…死んでもいい……かな?」なんて言ったら「馬鹿、二人で生き残るんだ」と言われた。 「うん、二人だから、約束だから」 「ああ、誓いだ」  両手の指をはなれないとばかりに絡ませてきつく握りあって、それからもう何度目かわからない、口付けを交わした。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  窓の外はなにもない暗い空間。誰いない通路、数え切れない部屋にも、機械人形がカタカタと動いている以外、生きているものはいない。  自分以外。  ああ、ここは……と史朗は思う。  崩壊した次元をさまよう魔法城だ。  箱船は旅立ち。自分一人がそれを送り出すために残った。  淡々と暮らす日々。魔道具によって必要な栄養と水は無限に生み出された。感情もなく言葉も発さないが、住空間を快適に保つ自動人形達も働いている。  心はいつしかマヒしていたのかもしれない。自分一人しかいない世界が当たり前で、それが寂しいとも……。  寂しい?  どうしてそんなことを考える?  自分はこの世界に一人のはずだ。誰かなんているはずもない。  誰か?  誰?  そのとき、ふわりと史朗の前に光が現れた。反射的にそれを捕まえようとして、するりと逃げた。  史朗?  シロウ……。  それが自分の名前だ。  光を追い掛けて、呼びかける声に答える。 「ヴィル!」  と。    ◇◆◇ ◆◇◆ ◇◆◇  ぱちりと目を開けば「起きたのか?」と安堵の声。裸の腕に抱きよせられて、両頬に口づけられた。それから次に唇。 「うんっ……」  ひとしきり舌をからめられて、このまま流されてもよかったけど、でも、状況確認が必要だと、厚い胸板に手をつく。 「ヴィル、僕達、助かったの?」 「当たり前だ。それが約束だっただろう?」  寝台の中。四方の天蓋のカーテンは下ろされているが、ここが大神官長宮殿で国王代理にあてがわれた部屋だとわかる。もう幾日も、一緒の寝台で過ごした。 「えーと、あれから?」 「お前は俺の腕の中で気を失ったんだ。そのときにはもう闇の気配はなかった。  お前が呼吸して心臓を動いていることにホッとして、俺はお前を抱えて旧神殿の外に出た」  外に待ち構えていた人々は歓声をあげて喜んだというが、ヴィルタークは「まずシロウを休ませたい」とこの寝室に籠もったのだという。 「それからどのぐらい?」 「丸一日か?お前がいつ目覚めるか、気が気じゃなかった」  それでこの人は互いに裸で肌を合わせて、魔力循環しながら待っていたのだろう。  そのヴィルタークの胸には、史朗の魔法紋章である光の紋章があいかわらず、まばゆく輝いて見える。  そしてヴィルタークの視線は史朗の胸に、自分の光の紋章を見えることの人にも見えるのだろう。 「ともに生きよう」 「うん、約束したでしょ?」  史朗の胸には闇の紋章が小さく光を放っていた。
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