ひよこシュレッダー

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 高田さんは熟練のひよこ鑑定士だった。高田さんが押し流されるように退職した後、私もすぐに辞めてしまって、今はパン屋でバイトをしている。  高時給に惹かれて選んだのは小さな採卵養鶏場だった。気弱そうな社長直々の面接で「女子高生にはキツいかもしれないけど大丈夫かな」と言われたが首を縦に振った。  コンクリート打ちっぱなしの薄暗い作業場で、手元だけをぼんやりと照らすライトが高田さんの背中に影を作っていた。声をかける間もなく、深い皺の刻まれた無愛想な顔に「ここ」と促され、作業台の前に並んで立った。箱に詰められたひよこが大量にうごめき、ぴい、ぴい、としきりに鳴いていた。 「こっちの空箱にメス、そっちにはオス。メスは三十匹たまったらあの棚」  高田さんはひよこを一匹つまみ上げ、両手で黄色い羽毛をかき分け、「こっち」と言った空箱に放り投げた。一匹目のメスを手放すと同時に、もう片方の手では二匹目を掴んでいた。今度は「そっち」の箱だった。そうやって二つの箱にひよこが詰め込まれていくのを、ただ眺めていた。雌雄の選別は一匹につき二秒とかからなかった。あまりの手早さに、触れているのはただのパフォーマンスで、実は気まぐれに仕分けているのではないかと思うほどだった。 「おい、そろそろ三十匹じゃねえんか」  数えるのを忘れていた。慌てて指差しで数え上げる。ひよこはその小さい体で思いのほかよく動く。よちよちと歩き回って、まだ数えていないひよこの中に紛れてしまう。十まで数えてやり直し、十三まで数えてやり直し。何度も振り出しに戻されて、焦れば焦るほど、ひよこはあざ笑うかのように指をすり抜けた。  高田さんは新たな箱を引っ張り出している。もたもたしていては追いつけない。三十匹はいるだろうと見当をつけて棚に移した。過ちは繰り返せない。今度は高田さんの手から離れるひよこを注意深く数えていった。  一、ニ、オス、三、オス、オス、四、オス、五、六、七、八、オス…… 「オスがあふれるな。あれ、スイッチ入れてこい」  高田さんが顎で指した銀色の機械は箱型で、私の腰くらいの高さだった。上から見ると四方が滑り台みたいになっていて、中央の穴に向かって滑り落ちる作りになっている。穴の上には鈍く光る刃が大量に取り付けられ、その先は真っ暗でいくら目を凝らしても何も見えなかった。  側面をぐるりと探すと小さなつまみが突き出している。カチリと傾けると機械は唸りを上げた。いつでもどうぞとばかりに刃は高速で回転し始めた。 「そこに入れとけ」  それだけ言って高田さんは作業に戻った。指示の確認をする間など無かった。  こんもりと盛られたひよこ達を抱え上げると、箱からころんと転げ落ちた一匹が何の抵抗も無く滑り台を滑走する。一瞬だった。ザッ、と音がしたかと思うと、もうそこにひよこの姿は無かった。手品でも見せられたようだった。小さな塊が(まばた)きをしている間にどこかへ空間転移しているようにも思えた。今まで目にしたことの無い摩訶不思議な現象に釘付けになった。  先陣を切った一匹を追うように、ひよこ達は次々と穴に飛び込んでいく。ステンレスの滑り台を打つ音、ザッ、ザッ、と刃と刃の隙間を通り抜けられる大きさに刻む音が、絶え間なく繰り返されている。 「ぼさっとしてねぇで。七匹入れたぞ」  そうだ、重要なのはメスの数だ。仕分けられたメスを数えて棚に移し、オスは機械に放り込む。簡単なことだった。数えられまいとしてひよこ達が逃げ回ることを除けば。それもすぐに慣れるだろう。  あっという間に三十匹そろったメスを棚に運びながら、そういえば高田さんは仕分けながらも七匹数えられたのだから、私は必要ないんじゃないかと思った。  ひよこ鑑定士というのは通称で、正式名称は初生雛鑑別師という。  鑑別師への道のりは長い。まずは養成所の入所試験。受験資格は、高卒または同等以上の資格、身体強健、視力は一・〇以上、色盲ではなく、二十五歳以下の者。合格者は数人程度。養成所では五ヶ月間に及ぶ講習。その後、研修生として孵化場で孵化作業を手伝いながら鑑別研修を一、ニ年行う。そして、予備考査、高等鑑別師考査に合格し、鑑別登録証をもらって、ようやく職業鑑別師になれる。ところが、鑑別師の需要のほとんどは海外にある。ひよこの小さな体には、アジア人の小ぶりな手が必要なのだという。  ネットで検索を始めたのは鑑別師になりたかったからではない。そもそも、ひよこのうちに雌雄を分ける必要があるのかと疑問に思っていた。たどり着いたのは、畜産技術協会のサイトだった。 『ひよこ((※紹介文参照))は、ある程度育てば、外形や鳴き声などから、だれでも、オス、メスの区別が、分かるようになります。しかし、雌雄が、自然に、分かるまで、待っていては、その間の、えさ代、あるいは、施設が、大変ムダです。 そのため、一日でも早く、オス、メスを、鑑別して、目的に応じた飼育ができることが、一番よいわけです』  合理的な説明なのに、たくさんの息継ぎが苦しそうで言い訳じみて見えた。 「辛くないのか」と訊かれたことがある。立ち作業だし、動くものを数えていると目がしばしばしてくるし、ひよこの入った箱を持って行き来するのも疲れるけれど、辛いというほどではなかったので、そう答えた。高田さんはわざわざ手を止めて私の顔を覗き込み、「お前は長続きしそうだな」と言った。  週に二、三回程度でも、一ヶ月もすれば作業には慣れた。手を動かしながら雑談できるようになっていた。 「どうやって見分けてるんですか」 「肛門を見るんだ。ここに突起があるだろ。こっちがオス、こっちがメス」 「違い、なくないですか」 「そんなすぐ分かったら鑑別師なんか要らねえだろう」 「確かに」  高田さんは雌雄の見分け方だけでなく、ひよこの行き先にも通じていた。  採卵鶏のメスは育雛場(いくすうじょう)に出荷され、ブロイラー用種のオスは食用として肥育される。白色レグホーン種は誰もが見慣れた白い殻の卵を産む種だが、オスは肉用にもならないため、殺処分される。動物園にワニの餌として出荷する養鶏場もあるらしい。 「昔はカラーひよこなんてのもあった。オスの毛を染めて祭りの露店で売るんだ」 「へぇ、かわいい」 「もう見かけねえな。動物虐待だって騒ぐ奴がいるんだよ」  遅かれ早かれだってのにな、と高田さんはこぼす。その手は雛の行き先を決めている。捨てる神であり拾う神。ひよこは生まれ持ったラベルで()り分けられていく。そこでは容姿も才能も個性も努力も役に立たない。商品として販売価値のある雛か、製造コストになる初期不良品か。結果は予め決まっている。雛達は順番を待っているにすぎない。高田さんが仕分けるのは白色レグホーン種だけだ。行き先は二つしかない。こっちの箱、そっちの箱。育雛場に召される雛、落下傘部隊になる雛。卵を産み続ける雛、露店にも並ばない雛。生き延びる雛、死にゆく雛。生き雛、死に雛。  棚ではひよこたちが高らかに大合唱し、シュレッダーは厳粛な駆動音を響かせている。  勤め始めてもうすぐ五ヶ月を迎えようとしていた頃、高田さんが退職した。  作業場に入ると真っ暗だった。ひよこの声もシュレッダーの刃が回る音もしなかった。場内を歩き回って社長を見つけると、「今日出勤だっけ、ごめんごめん」と、申し訳なさのかけらも感じさせない口ぶりで私に駆け寄ってきた。 「高田さん、辞めちゃったんだよ」 「そうですか」 「匿名でクレームのメールが来ちゃってさ。『いまだにひよこを粉砕機で殺処分しているなんて残酷だ。やめるつもりがないなら新聞社に垂れ込む』って。こんな小さな会社、風評被害に遭ったらひとたまりもないからさ、シュレッダー使うのやめましょうって話をしたんだよ。あの一台を廃棄すれば済む話だからさ。そしたら突然辞めるって」  他にも鑑別師がいるのは知っていた。あの作業場は高田さん専用だった。定年も間近な年齢、会社で一番の古株。高田さんのやり方に逆らえる人なんていなかったのだろう。社長でさえも。クレームが来たのは会社にとって好機だったのかもしれない。 「それで君の仕事のことなんだけど。作業内容も時給も高田さんが決めていたから今後どうしようかなと思っていて。別の仕事なら用意できるけど時給は下がっちゃうかな。どうする?」  提示された時給はコンビニのバイトよりも低い額だった。辞めます、と言うと社長は「そう、迷惑かけちゃったね」と、ほっとした顔をした。その様子を見たら、メールが本当に外部からのものであるか疑わしく思えた。 「シュレッダーの代わりに、どうやって処分してるんですか」 社長は虚を突かれたようで、一瞬目を泳がせた。 「出荷できないひよこはバケツに入れておいて、ビニール袋でまとめて窒息させるんだ」  そうですか、じゃあ失礼します。他に言うべきことは無かった。 「でもさ、ほら、シュレッダーよりは、ひどくないでしょ」  やたら息継ぎの多い言葉を背に、その場を後にした。  夫婦経営の小さなパン屋の割に、時給はまあまあといったところだ。屈強な体付きの店長が焼き窯を担当し、奥さんがフルーツを盛り付けたりチョコクリームを絞ったり。私はできたてのパンを店頭に並べ、値札を付け、レジを打つ。「せっかくパン屋で働くのだから」と、たまごサンドの調理も任された。エッグスライサーで茹で卵を切り刻むのは初めての経験だったし、自分の舌で確かめながら調味するのも楽しい。  切れ目の入った茹で卵を銀のボウルに放ると、白身と黄身はバラバラになった。 「この卵、もし生まれていたら、オスとメスどっちだったんでしょうね」  横でチョココロネを作っていた奥さんは豪快に笑った。 「なあにそれ、面白いこと考えるね。ああそうだ、冷蔵庫に期限切れの卵があったら、裏の生ごみ袋に入れておいて」  冷蔵庫にはパック詰めの卵が大量に並んでいた。パックに油性マーカーで日付が書かれている。期限切れは一パックだけだった。  プラスチック製の業務用ダストボックスは、二十四時間常に日陰になりそうな裏手で、人目につかないようにひっそりと佇んでいた。蓋を開けてごみ袋に卵のパックをそっと投げ入れる。  もし、この蓋を閉めなかったら。この卵からオスとメスが一匹ずつ生まれて生ごみ袋から抜け出したら。もちろんどちらも白色レグホーンのひよこだ。鑑別師の目を逃れて成長し(つがい)になる。私は初めて野生のにわとりを目にする。やがてメスは胎内に命を宿す。産み落とされた卵は孵卵器など必要としない。親鳥の体温で温められて自然に孵化する。生まれたひよこはオスかメスか。私にはそれを見分ける(すべ)が無く途方に暮れてしまう。いつの間にか高田さんが横に立っている。木陰の下で小さなライトがぼんやりと光る。高田さんはひよこの肛門を丹念に観察する。時間はいくらでもある。かつての手先なら三十匹の箱をいくつも並べられるほどの時間をかけて、ようやく「オスだ」と告げる。とても穏やかな顔つきだ。まるで長年の苦役から解放されたように晴れ晴れとしている。私の手にひよこが託される。柔らかな羽毛、驚くほど血潮を感じる熱と、確かな鼓動。オニキスのような澄んだ純黒の瞳で私を見据えて、ぴい、と一つ鳴く。 「生ごみの場所分かったぁ?」  奥さんの威勢のいい声が響いた。 「大丈夫です」  整頓された棚の上、無数の刃の向こう側、精肉コーナーの片隅、露店のテントの下、ひしめき合うビニール袋の隙間、食パンと食パンの間、生ごみ袋の中。それらにどれほどの違いがあるのか、私には分からない。 「君達は、遠まわりしただけなのかもね」  袋の口を固めに縛り、蓋でしっかりとダストボックスを閉ざした。
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