【戦場にて】

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【戦場にて】

「ラシッド将軍、死なないで」  涙にくれた少女の指先から溢れる、癒やしの光。  あたたかく、慈愛に満ちて、強い願いが込められている。  その光に包まれているだけで、死への旅路が安らかなものになる心強さがあった。 (出血が多すぎる。内臓も損傷して、手足の感覚もない。この子の回復魔法では追いつかない)  自分は死ぬだろう。  戦場に倒れた以上、覚悟は出来ている。  ただ、自分の命を必死につなぎとめようとしているこの少女の前で息絶えるのが、申し訳なかった。  白金色の髪に、星の煌めきを浮かべたかのような紫水晶の瞳。秀でた額に、形の良い鼻筋から唇までのラインには、爽やかな色香をまとわせている。十歳をいくつも過ぎていないだろうその年齢に似合わぬ、迫力のある美貌の少女。  後方支援の回復役に「天上の美姫」がいるとは耳にしていたが、ついに雌雄を決するであろうという激戦の最中(さなか)、彼女は前線まで出てきて、傷ついた兵たちの間を駆け回り回復魔法を施していたらしい。  白のローブは土埃と血糊で汚れ、大きな瞳からはぼろぼろと涙がこぼれ続けている。 「死なないで、ください……。私には、力が足りない」  嗚咽と嘆き。血が滲むほど強く唇を噛み締めながら、魔法を行使し続けている。その顔色はすでに蒼白を通り越して、死人と区別がつかぬほど。 「シャルといったか、君は……。俺は死ぬ。これ以上の魔法は無駄だ。君が倒れてしまう」 「あなたは……!! 足手まといの私をかばって、ひどい怪我を……っ。そのあなたを放り出して、私ひとりおめおめと生き延びることなど」 「おめおめでもなんでもいいから……、生きろ。俺は君を、生かすために……」  たすけたんだ。  言葉にならずに、ごぼりと喉から血が吐き出された。  少女の瞳から、涙腺が決壊したかのように涙が溢れる。 「いやだ……、生きてください。こんなに、どうして私は無力で……」  視界が暗い。  夜の国が迎えにくる。  もはやほとんど何も見えない中、胸元に手を入れて、首から下げていた布の小袋を取り出した。 「これを」  故郷にいる自分の家族に、届けて欲しい。  届けるつもりで、君は生き延びて欲しい。  そこまで言葉には出来ずに、視界は完全に闇に閉ざされてしまった。   「これは……」  薄れゆく意識の中で、少女が何かを言っていた気がするが、もう聞き取ることはかなわない。  1万騎を束ねるラシッド・ザマナン将軍、戦場にて帰らぬ人となる。享年二十九歳。  その亡骸には、回復魔法の使い手たる神官の少女が、無力感に打ちひしがれたまま、やがて腐敗を始めても離れずにずっと寄り添っていたという。  これは、物語の始まる約二十年前の話。  * * *
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