あとがき

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あとがき

 クノップフはベルギーの象徴主義の画家です。先に挙げた参考作品に描かれている町のモチーフは、ベルギー北西部の州都ブリュージュといわれています。  象徴主義というのは、目に見えるものを写実的に描くのではなく、むしろ目に見えない人間の内面、感情などを象徴的に表現しようとしたもの……と言われていますが、実際は主義主張の例にもれず一言で片づけられない流派なので、ぜひ調べてみてください。  今回は久しぶりに長編小説にとりかかる前の、準備運動みたいな作品を書こうと思って、さらりと書かせてもらいました。  その際に一度やってみたかった手法「浮かんできたものをとりとめなく書く」というものを試してみました(この手法にはちゃんとした名前があったように思うのですが、今わからないので、今度判明したら追記しておきます)。  違う画家になりますが、シュールレアリズムという別の流派の画家であるエドガー・エンデは、作品を書く際にわざと部屋を暗くして何日も閉じこもり、浮かび上がってきたイメージを絵に描き起こしていたそうです。そこから彼は「ロマンティック・シュールレアリスム」と呼ばれていたとか。  これに似たようなものを一度自分の小説でもやってみたかったので、あえてほとんど編集せずに、クノップフの絵や逸話をいくつか見ながら浮かび上がってきた世界と文字、そうして自分の抱える問題みたいなものをそのまま素描するような形をとってみました。象徴主義みたいな感じで。  また妹が出てきているのは、クノップフには最愛の妹がおり、ちょっと異常なくらい彼女に執着を抱いていたと言われたためです。この作品では妹があまりポジティブな印象でもって描かれていませんが、それはただ単に私の匙加減です……クノップフはもう少しポジティブに妹に接していたんじゃないでしょうか。知らんけど。  最後にクノップフから離れて、私個人がこれまで考えていたことの話をしますが、今の自分が見てる世界は元の世界の自分が見てる狂気幻想なんじゃないかと思うときがあります。  思考実験の「水槽の脳」と同じようなジャンルの話です。元の世界の私は実は病院かどこかに入院していて、ずっと眠り続けている状態であって(あるいはずっと起きているけど現実のものは見ていなくて)、狂った私が見ている世界が今の現実世界なんじゃないかな~と考える時があるのです。  結構昔から考えている話だったので、水槽の脳の話を見たときは「おんなじようなこと考える人が世の中にはいるもんだなあ」と思ったものでした。ほかにもおのずから思考実験を生み出していた方々って、実はそう少なくないんじゃないかと思います。  私は今キーボードをたたいているけど、それは幻想の世界の私であって、元の世界の私は薄く笑いながら虚空に向かって指を動かし続けているのかもしれません。  私は今自分が正気だと思っているけど、それは幻想の世界の私がそう考えているだけであって、元の世界の私がすでにそんな状態なら、今の私が正気か狂気が判断するのに何の意味があるのでしょうか。  この作品の彼女にとって、滅びた町並みのほうが元の世界だったりしたら面白いですよね。妹って何だったんでしょうね。  も、付き合いきれないのでこれで終わります。  ここまで読んでいただいてありがとうございました。
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