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子供の頃、岩手の山に囲まれたところにいた。
ほとんど年寄りしかいない、買い物も自動車で買いに行かないと行けないくらいの、あれはもう、村だった。
その村には子供が数人しかいなくて、それでも仲の良い悪いは生まれる。残念なことに俺はあぶれ者で、大体一人で遊んでいた。
だけど一人だけ、古い神社に行くと遊んでくれる子がいた。
長い艶やかな髪の、小さな女の人。
その人はいっつも神社にいて、俺が行くと話したり、遊んだりしてくれた。
あの人といる時だけが、楽しい時間で、あとはつまらないものだった。
だけどある日村から追放されてしまった。
理由はわからない。村の年寄りが大声で早く出ていけと言っていたのを今でも覚えている。怖くて顔を見られなくて、俺はずっと自動車の後部座席で丸くなって震えていた。
そんな俺を抱きしめながら、「大丈夫、あなたは何も悪くないのよ」と泣きながら言ってくれた母さんと、無言で自動車を走らせていた父さんの背中が、三十を超えた今でも脳裏に焼き付いている。
今あの人は、どうしているだろう。
そんなことが気になったのは、岩手に出張することになったから。
ずっと忘れていたのに、岩手と聞いた瞬間に、全てを思い出してしまった。
仕事が早く片付いたら、行ってみようか。そういえば、あそこは何処だったんだろう。正確な場所は、なにせ子供の頃のことだから、覚えていない。
調べても、それらしい村はヒットしない。
きっともう、忘れるべき記憶なんだろう。
そう思って、出張へと臨み、滞りなく終えて、止まっているホテルに戻ろうとした時、ふと、歴史資料館と書かれた、古いながらも綺麗な建物が目に入り、足を向けると、そこには、記憶の中の、あの神社の写真があり、そこが今は廃村になっていると知った。
地図を見て、今いるところからそう遠くないことを知る。
少し悩んで、レンタカーを借りて、そのまま行ってみることにした。
もう誰もいない。あの人だっていなくなっている。それでも、どうしてか、行かなくてはいけないと思った。
この目で見れば、きっと何かに決着をつけられると信じて、アクセルを踏んだ。
日は暮れだし、空が紅色になった頃、俺は故郷にたどり着いた。
畑も何も荒れ果てているけれど、全てが懐かしい。
そして、ひときわ目立つ神社へと自動車を走らせる。
鳥居は、近くで見ると今にも壊れそうだ。
誰も手入れしていないせいだろう。子供の時の記憶より、不気味さが増していた。だが懐かしさが負けるほどではなく、境内へと足を踏み入れる。
鬱蒼とした木々に囲まれた、小さな神社。周りから中を見ることは難しいし、境内から見える外は、入り口の鳥居の向こうくらい。この時間は、夕日がそこから入ってきて、なにかの入り口のような影を造る。
空との距離感がおかしくなる。そんな場所だ。ぼろくなっても、変わっていない。
そして、いつも小さな社の前に、あの人がいた。
今も、いる。社に寄りかかって、眠っている。
「え?」
思わず声を出してしまった。その声に反応して、瞼が上がり、その奥の瞳が、俺を捉えた。
「ああ、戻ってきてくれたのね」
その目に大粒の涙が湧いて、ボロボロと零れていく。
よろよろと立ち上がって、俺の胸へと飛び込んできた。
「あなたは、何故、こんなところに」
「ずっと、あなたを待っていたの。きっと戻ってきてくれるって、信じていた」
抱擁されると、懐かしい香りが鼻を撫で、涙が溢れてきた。
あの頃も小さかったが、自分よりは大きかった。だけど今は、こんなにも小さい。
それなのに。
どうして、影は俺よりも、大きいのだろう。
ぞわりと、全身の毛を逆なでされたような感覚に襲われた。
肩を押して、腕の長さだけ距離を取る。あの頃と何も変わっていない。それが酷く恐ろしいことに、今更気が付いた。
だけど、その悲しそうな顔は、俺の足を縫い付けるようで、なかなか動かない。
逃げなくてはいけないと、頭の中で悲鳴を上げている。それなのに、体が言うことを聞かない。
「また、行ってしまうの?」
気が付けば、俺は彼女を抱きしめていた。
その瞬間、もう戻れないんだという確信が俺の力を奪っていった。
涙がこぼれる。嬉しいからなのか、それとも別の物か。
わからない。それでも、彼女の香りは、頭をくらくらとさせていく。
「嬉しい、あなたも、私との再会を、喜んでくれているのね」
涙で震える声。しかしちらりと見えた影は、醜く笑っているように見えてしまい、ぎゅっと目を閉じると、もうそれから先、俺の意識はどんどんと遠くなっていくのだった。
了
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