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無人の家に帰りつくと、ただいまと、背中からひとり言めいた声が届く。
いつからか続けられている三月の挨拶。最初はありきたりなお邪魔しますだったのに。
俺のかわりなのだという。こうしたら少しは帰ってこられるでしょう? と。
それはちょっとした魔法だった。呼吸を楽にする魔法。
三月がいれば確かにここは空っぽの箱でなく、俺の帰る場所になる。
もうほとんど全部が俺のものみたいな家の中で、明確に俺のための空間である自室に引き取る。
「昜」
呼ばれてそのままベッドに縺れた。
夏服はいい。上着がない分脱がせやすいし、皮膚が近くて温度がわかる。俺の手にはぬるいけれど、決して冷たくはない温度。
「今日はどこまで?」
綺麗な顔にかかる髪を梳いて避ける。
「入れるのは無理かな。あとは好きにしていいよ」
「一回?」
「うん」
「無理してないか?」
慎重に顔色をうかがう。機嫌をという慣用的な意味でなく、不調の兆しを見落とさないために。
「一回くらいなら平気。今はほら、夏だから」
ひんやりとした指先が、お返しみたいに頬を包む。
そのままキスをねだられた。
すべてをうやむやにしようとする三月の手管。わかっていながら流されるのは、三月が俺の理性や気遣いを嫌がるせいだ。
季節が夏であることは、三月にとって十分に、体力を損なう理由になるようだった。
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