カロン

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 七月で、高校二年の夏休みが近かった。  気怠い帰りのホームルーム。 「これからアンケートを配布する」  教卓に手をついて担任が言った。  どこか硬い響きのそれを聞き流し、窓を見る。正確には机をひとつ挟んだ隣、神尾三月(かみお みつき)の横顔を。  三月は深くうつむいて、膝に隠した端末で物語を読んでいた。  それなり、とからい評価を下した本の下巻だろう。あと半分あるんだよねと、昨夜寝しなにぼやいていたから。  眉間にシワを寄せるくせに読むのをやめようとしないのは、もはや三月の悪癖だった。  どうしても結末が気になるらしい。そんなのちょっと調べれば簡単に手に入るのに、三月は必ず自分で確かめようとした。  男にしては白くて綺麗な横顔は、今は垂れた長い髪に隠されている。  目元の柔和さをかき消して余りある、温度のないガラスの瞳。磁器めいた透ける肌に完璧な造詣の鼻と唇。  西洋人形にでもたとえたくなる面差しはいささか整いすぎていて、あまり生き物らしくない。  無機質で、無性的で、精巧で。中身のない置物じみた冷たく凪いだ在り方が、俺はたぶんとても嫌いで、どうしようもなく気になるのだった。  三月がふと顔を上げ、波のない湖面みたいな双眸に俺を映した。視線がうるさかったのかもしれない。  なにしてるのとでも言いたげな微苦笑をひとつ残して、三月の目が机上のタブレットに移る。配られたアンケートを確認するためだろう。俺の端末もさっき光った。  三月が笑うと胸がざわつく。別にそれは笑みでなくても構わなかった。無表情以外の表情や、無関心以外の感情を示されると、頭の奥が痺れるような、心臓がひきつれるような、そういう感じがいつもした。 「届いてない者は?」  教師の確認に沈黙が返る。 「提出期限は来週の金曜だ。きみたちの今後を決めるものだから、ご家族ともよく話し合うように」  ご家族。  耳障りな単語に小さく嗤う。 「国への申請は添付資料を参考に、別途各自で行うこと」  続く注意事項を聞きながら端末に目を向けた。  <小惑星パンドラ衝突に際しての避難方法調査>  アンケートの上部にはなんのひねりもない文句が浮かんでいる。  『きたる小惑星パンドラとの衝突に備え云々』と綴られた文章を読み飛ばし、アンケートの選択肢までスクロールする。  一、宇宙コロニーへの移住  二、地下シェルターでのコールドスリープ  三、その他  その他ってなんだ? おとなしく地球と一緒に滅びるとか?  つまらないことに気を取られているうちに、担任の話は期末試験の日程へと移っていた。  もうじき世界が滅ぶのに、学力なんて測ったところでなにになるというのだろう。SFじみた非常事態のただなかにあって、定められたルーティンを守ろうとする几帳面さは滑稽だった。
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