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真夏の夜の魚たち
もう一度頭を下げて、逃げるようにそこから離れた。
なぜ泣いているのか、結衣は分かっていた。
レイジを好きだからだ。今、はっきりと分かった。
好きな人が、でも辛そうな顔をして、悲しそうな顔して、一人でいて、それなのに自分は何もできない。好きな人には笑ってもらいたいと思うのに。
何もできない自分が情けなくて、悔しくて、泣けてしまう。
「おい」
レイジが追ってきた。顔を見られたくなかった。顔を伏せ、歩く足を速める。アーケードの出口を目指す。早く国道の喧騒の中に紛れてしまいたい。
「待てって」
レイジは前に歩く結衣の前に回り込んで、立ちふさがった。
横を抜けようとする。阻む様に、レイジも横へ動く。
「悪かったよ」
思いがけなく張った声でレイジがそう言って、逆方向へまた抜けようとしていた足を止める。その顔を見た。動揺しているのが、マスクをしている目だけの表情でも分かった。
「うざいとか言って悪かったよ。ついさ、なんか気持ちの整理つかなくて、あんな言い方しちゃったんだ……」
そんなことを真剣に言うレイジは、結衣が正木に言われた言葉に傷ついて泣いてしまったと思っているのだろうか。あっけにとられてその顔を見つめる。そのしぐさの落ち着かなさと、結衣を案ずるように見る目に、小学生の女の子じゃあるまいし、と思った。
「一人で何度か行こうとしてたんだけど、なんか行けなくて、それでつい、上野引っ張り込んじゃって、その勢いで行けたし、だから、感謝ってわけじゃないけど、おせっかいとか思ってないし、うざいとかも思ってないし……」
こんなにしゃべるレイジを見るのは初めてだった。言い訳するように必死に話すレイジに、結衣は思わず笑ってしまった。
今度はレイジがあっけにとられて結衣を見つめる。
「なんだよ」
そしてすねるようにそう言った。
なんだかやっぱりルミコさんに似てる、と思う。
正木のことが好きだよ、と言ったらどんな顔をするだろう。
でも今それを言うのは、つけ入るみたいで反則だ。
もう少し、まだ脆いこの人との関係を丁寧につみかさねていきたい。この気持ちを宝物のように秘めておきたい。海の底の、真夏の夜の魚たちのきらきら光る鱗のように。
「それなら良かった」
結衣はそう言って、微笑んだ。
レイジは目を反らし、照れ隠しのように長い前髪をかきあげた。アーケードを出た向こうの国道を走るヘッドライトがその顔を照らす。少しだけ、柔らかに、笑っているように見えた。
〈了〉
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