真夏の午後、君がいた

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真夏の午後、君がいた

 午後四時になっても一向に気温は下がらない。  アスファルトから透明のゆらめきが立ち上っている。街路樹の影は車道側に移動し、幅の広い歩道に白い日光が照り返した。  図書館の冷房で冷えた肌に汗がじわりと湧く。横断歩道のメロディが途絶え、青信号が点滅する。結衣はうんざりした気持ちで渋滞する国道を足早に渡った。トートバッグの中の本が重い。  近道をしようと、すすけたアーチのかかるアーケードに入った。とたんにひっそりとする。  気温も少し下がったような気がしてほっとした。  閉ざされたシャッターの並ぶ古い商店街、日の射さない道端の、それでもなんとか細々と花をつけようとしているマリーゴールドに水をあげている下着姿の老婆がいた。誰かが猛スピードで自転車で駆けぬける。いつ貼られたのか見知らぬ演歌歌手のリサイタルのポスターがほとんど色を失ったままかつて電気店だった店のシャッターに掲げられている。  そんなものたちを観察しながら、結衣はぶらぶらと歩いた。  正木レイジがいた。  知らぬふりできないくらい至近距離でかつ真正面から目が合ってしまった。  うろたえた。正木レイジはじっと道端に立ったまま何かを見ていた。結衣もまたよそ見をしていて、そんなふたりがほぼぶつかる寸前で顔を合わせ、偶然道で行き会ったときの自然なやりとりを交わしてやり過ごすタイミングを失ったまま立ちすくんだ。 「こんなところで何してるの?」  思わず訊く。  正木レイジは目をそらし、浅く唇をかんだ。  そして背を向け、立ち去った。  別にことさら詮索するつもりはなかった。逃げるような後姿に、悪いことをしてしまったかなと思う。  歩き出そうとして、正木レイジが見ていたものを確かめてみたくなる。立っていたのは狭い路地の入り口だった。  その奥に投げ入れていた視線を思い出し、たどる。  ラーメン屋がある。もつ煮、串揚げと書かれた居酒屋がある。〈スナックありす〉というかなり微妙なネーミングセンスのパブがある。  どの店も閉まっていた。空き店舗なのか開店前なのかよく分からない寂れ具合だった。その先は行き止まりだ。  ふたたび歩き出そうとすると、〈スナックありす〉の紫色のドアが開いた。つい足を止めて、出てきた人を見る。  女だった。ぱさついた赤い髪はパーマがかかっているのか、それともクセなのか、おおきくうねっている。長いその髪を筋張った細い指がかき上げると、化粧気のない小さな顔が現れた。眠そうな目が結衣を見た。何秒間かじっと見つめてしまっていた結衣に、「なんか用?」とけだるそうに、いぶかしそうに、言った。しわがれた声だった。  結衣は何か言わなきゃいけないと口を開きかけるが、適当な言葉が見つからなくて黙り込む。愛想笑いしながらぎこちなく目をそらし、立ち去ろうとして、しかし思いとどまった。  その目が、その口元が、あまりにも正木レイジに似ていたのだ。
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