貝合わせ奇譚

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貝合わせ奇譚

江戸時代。 「姫様、いえ奥方様。貝合わせはつまりませぬか」 乳母が姫に尋ねる。 貝の殻は一対。同じ貝の殻同士しか合うことはない。 故に夫婦仲の良さを込めて、公家や大名家の嫁入り道具 として美しい貝桶や貝が作られた。 姫の貝にもそれは見事な対になる公家の男女の絵が描かれていた。 乳母の問いに姫はふるふると首を振ると、 「殿は今日はどちらへ?」 と乳母に問うた。 すると乳母が沈んだ声で 「今日は松の局の元へと伺っておりまする」 「そう」 姫は興味なさそうに答えた。 そして持っていた貝をぽんっとほおり投げた。 「奥方様、お行儀が悪うございますよ」 「いいじゃないの。誰も見ている者はいないのだから」 あけ放たれた障子の向こうに妙な作りの庭園が 広がっている。 庭園は屋敷から塀まで遠近法を使って石を敷き詰めている。 まるで道のようだ。 そして、その道の真ん中に大きな松の木が鎮座している。 夕刻。 生温かい夏の風が肌を撫でつけ その次にぽつぽつと雨粒が落ちてきて、 庭の道を黒く濡らしていき ザーザーと雨が滝のように降ってきた。 風が強くなり雷の音が近づいてくる。 そして屋敷の側で稲光が走る。 すると、姫はすっくと立ちあがった。 姫の打掛には風神雷神が彩っていた。 「あ、奥方様。お庭へ出てはなりませぬ!」 乳母があられもなく大声を上げて姫を制止する。 すると姫が雨に濡れながら、 「野暮であろう。 妾の一対の使いが迎えに来たのに」 そう言うと、姫は打掛をひるがえして 庭の松へと駆け寄った。 そして松に抱き着くと、雷が松の上へと落ちた。 その光の中で風神雷神が姫を上へと連れて行くのを 呆けるように乳母は見ていた。 ・・・・・・・ 家の者達が駆け付けた時、姫の姿は既になく 松も地面に黒焦げた円形を残しているだけだった。 廊下には貝合わせの貝が一枚落ちていた。 それにはあるはずのない源氏物語の主人公 光源氏の絵が描かれていた。 了
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