さかなのみるゆめ

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「あ、僕じゃないです。本物の父親が来たので、代理は一旦はけますよ」 そう言って木佐さんは智明の肩をぽんと叩くと、そのまま分娩室を出ていってしまった。 その様子が視界の隅に入ってきて、木佐さんに何か言わなきゃ、と思ったそばからまた痛みがやってくる。 「まだいきまないよ〜。まだがまんね」 相変わらずの呑気な声でそう言うと、医師はその場を助産師さんと替わる。 お産は主に助産師さんの仕事で、医師は何かあった時のためと、最後の縫合の時のためにいるものだ。 まだ? まだダメなの? 痛みに襲われ、身体はいきみたがっているけどまだOKが出ない。 早くっ。 とその時、横に智明の気配を感じた。それだけで心が落ち着くのを感じるけど、次の助産師さんの言葉に再び怒りが込み上げてくる。 「お父さん、支度できた?じゃ、いきんでいいよ」 え? なに? もしかして今の時間、智待ちだったの? 僕の中で何かがブチ切れる。その怒りがそのままいきみに繋がった。 「1、2、3、はい、いきんで〜」 助産師さんのかけ声とともに力を込める。 「上手上手。はい、ふーして、もう一回行くよ〜」 助産師さんも医師と同じでのんびりした声。でもその声が耳に心地よい。 「1、2、3、いきんで〜」 んーっと二回目のいきみをしたその時、なにか大きくて温かいものがずるりと出てくるのを感じた。 「生まれたよっ。短く息をしていきみを逃して」 僕は言われるままに、はっはっと短く息をする。 「おめでとう。男の子だよ」 そう言って助産師さんが足の間から顔を見せてくれて、その間に医師が処置をする。 「はいお父さん、ここ切って」 横にいる智明もその誕生に感極まって目を赤くするも、看護師さんにはさみを持たされてぎくしゃくと僕を見る。 僕はやっと痛みから解放されて放心状態だったので、そのままぼうっと智明を見返すだけだったけど多分、その時智明は本当に自分が切っていいのか分からずに僕を見たんだよね。だってまだ誰の子か言ってなかったし。 だけど、それは看護師さんに急き立てられて躊躇する暇も与えられなかった。
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