《142》

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 数正の気配が変わった。巻物を樹林の中に投げようとしている。忠勝は瞬時に察した。蜻蛉切がしなり、穂先が数正の右手首を打った。巻物、縛しめが解け、少しだけ開いて地を転がる。忠勝はそれを素早く拾い上げ、中身を確認した。間違いない。本物の徳川家戦闘必携だ。  忠勝は数正に顔を向けた。 「これはどういうことだ」 忠勝は言った。 「なぜ、これを持って岐阜に来た。そこの男は何者だ」  眦を裂いた数正が顎に細かい皺を無数に造り、じわじわと後退りする。忠勝は3歩、数正に歩み寄った。 「応えよ、石川数正。なぜ軍事機密を持って猿投山を越えた」 「それは」と言ったきり、数正の言葉が止まる。忠勝は更に前に出た。そうすると、頬かむりの男が数正の前に出た。忠勝は歩を止めた。その時、一陣の夜風が横から凪いできて、男の頬かむりが一瞬だけ捲れた。そこで忠勝はぎょっとした。男の頬に無数の痘痕が見えたのだ。癩病。その言葉が忠勝の脳裏をよぎる。この男は癩病に犯されている。 「誰か徳川家の者が引っ掛かってくるかもしれないとは思っていたが」 癩病の男が小さくかぶりを振りながら言う。 「本多忠勝殿とはな。思いの外、大物が釣れたものだ」 「名を名乗れ」 言って忠勝は腰を低くし、蜻蛉切を構えた。 「名乗る必要などないでしょう。なぜなら忠勝殿、あなたはここで死ぬのだから」 癩病男が右手にある松明で闇に円を描いた。それが合図だったのだろう。いくつもの、甲冑の鳴る音が響く。闇から湧き上がるように、武装した兵が癩病男と数正の背後に現れた。 「兵を埋伏させていたのか」 言いながら忠勝は兵の数を目算した。敵の兵数。二百は居ないと思う。
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