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⑥終
ドアが閉まる直前、ガッと長い指が入り込んで、ドアは最後まで閉まらなかった。
長い指からそのままぐわっと手が入ってドアをこじ開けた。
ガンっと派手な音を立ててドアが全開に開けられた。
そこに現れた人を見て俺は息を呑んだ。
幻でも見ているのかと思った。名前を呼んだ人が目の前に助けに来てくれたのだから。
「おい、貴様…。よくも俺の涼介に手を出してくれたな」
助けに来てくれたのは嬉しかったが、奏は完全にブチギレていた。
背後から真っ黒なオーラを放ち、目元は漆黒に染まり、今にも殺りそうな勢いしか感じられない。
助けてもらうはずの俺まで震え上がるほどだ。
「俺の? ああ、コイツが今の恋人か? いいスーツ着ちゃって金持ちそうなの捕まえたな」
圭吾も奏の気迫に押されて声が震えたのが分かった。だが、プライドが許さないのだろう。挑発するように話し始めた。
「黙れ…、貴様の話しなど聞きたくもない」
「おい、お坊ちゃん。言っておくが涼介は俺が捨てた玩具なんだよ。ぼろぼろになるまで遊んで裸で外に放り出して捨てたんだ。その時の顔、素っ裸で泣きじゃくっ……ゔゔっ!ぐほっ…!!」
奏の右ストレートが綺麗に入った。
偉そうに饒舌に語っていた圭吾は、ぶっ飛んでパイプ椅子に突っ込んで床に転がった。
「黙れと言っただろう、クズが……」
力の差は歴然だった。油断していたとはいえ、格闘技をやっていた圭吾がまったく反応できずにモロにくらってしまった。
「か……奏…」
すぐに走ってきた奏は俺を強く抱きしめた。涼介、涼介と名前を呼びながら無事を確かめるように身体中を触ってきた。
「悪かった……遅くなった」
いったん体を離したら、俺の乱れた髪と、口の端から血が出ていることに気がついたようで、奏の目は怒りで真っ赤に染まったようになった。
「殺してやる」
「いっ…いや、それはまずいって……」
さすがに罪を犯して欲しくはなかった。奏の本気でやりそうな勢いに慌てて腕を掴んで止めた。
「これは……、圭吾! どう言うことだ!? 説明しろ!」
「お…親父! 助けてくれ! あの男がいきなり襲ってきたんだ!」
ここで、開かれたままの入り口に新たな人物が現れた。
初老の男性で、話の感じから、圭吾の父親であると思われた。
「アイツはチンピラだよ。俺の金を盗もうとして殴ってきたんだ」
「……それは、本当か?」
「ああ、間違いない。その男は強盗だ」
とんでもないことを言い出したので、俺は焦った。まさか、そんなことを真実だと思われたら大変なことになる。
慌てて訂正しようとしたら、奏の手が伸びてきて俺の頬をむにっと掴んだ。
「うちの息子が大変失礼しました」
圭吾の父親は奏に向かって深々と頭を下げた。
「なかなか困った息子さんですね、天野社長」
「あれはもう息子ではありません。散々庇ってきましたが、もう見捨てることにします。後継を考えていましたが、これでやっと弟に継がせる決意ができました」
「は? なっ…なんだよ! 親父! 何言ってんだよ」
「いい加減にしろ! お前が人の髪を掴んで部屋に引っ張り込んだところは数人に目撃されている。それにこの方はうちの取引先の社長だ。よくもまあ、強盗だと言えたな。さっさと荷物をまとめて家から出て行け!」
「なっ…!! 嘘だろ! 親父! おい! 親父!!」
圭吾は駆け駆けつけて来た会場の警備員達に捕まり、そのままズルズル床を引きずられながら連れて行かれてしまった。
圭吾の父親も奏と少し話して頭を下げながら去って行った。
「裸にして道に放り出せばよかったな。次にあの面を見たら問答無用でそうする」
奏がまだ怒りが収まらないと拳を震わせているところが見えた。
嬉しかったけれど、もう限界で俺は奏の方へ倒れ込んだ。
奏が慌てた様子で受け止めてくれて、すっかり体の力を全部預けた。
「り…涼介!? どうした!? 大丈夫か!?」
「せ…なかとか、殴られて…結構、痛い…かもて…」
安心した途端、ヅキヅキと痛みが走ってきて足元もおぼつかなくなってしまった。
「おい! 涼介! 涼介!」
体の痛みなのか心の痛みなのか、俺は奏に包まれた安心感でうとうととしてしまい、意識が遠のいていった。
完全に落ちる前に奏が俺の名前を連呼して、泣きそうな顔で叫んでいる顔がぼんやりと見えた。
ああ、泣かせるつもりはなかったのに、そんな顔もカッコいいななんて思いながら、頬に手を当ててやりたかったけどもう手は動かなかった。
結局倒れたのは精神的な方だったようで、体の痛みは捻挫程度ですんだ。
病院に連れて行かれたが、入院することもなくその日のうちに帰っていいですよということになったが、自宅に戻ることはできなかった。
「この百万ドルするかしないか分からない景色も、毎日これしか見れないとさすがに飽きるんだけど」
「だめだ。まだ体が治ってないだろう。ここと、ここにも傷がある。まったく、俺の涼介に傷をつけるなんて…。やっぱり殺しておくべきだったな、今からでも遅くないが……」
もういいからと言って、俺は全面ガラス張りの都会の景色をこれでもかと見下ろせる窓から離れて、カウンタースツールに座って新聞を読みながら優雅にコーヒーを飲んでいる男の横へ歩いて行った。
「傷って言ってももうほとんど残っていないかさぶただって。いつまで俺を閉じ込めておくつもり?まだ夏休みだからよかったけど……」
上質なフローリングをぺたぺたと裸足で歩くと汚してしまいそうで気まずいが、大きなシャツ一枚しか用意してくれないので、仕方なくこの格好で歩き回るしかない。
奏のすぐ横まで行くと、手が伸びてきて腰の辺りをぎゅっと抱きしめられた。
「そのかさぶたが取れても、帰って欲しくないって言ったら?」
「それは無理」
俺のズバッとした一言に、怯えた子供のような目で俺を抱きしめていた奏の力がガクッと抜けた。
まったくこんな甘い顔をする男だったなんて、知らなかった。
どれだけ色んな顔を見せれば気が済むのだろうか。
パーティー会場の一悶着あったあの日。意識が戻った俺が帰ってきたのは奏の自宅、セレブ高層マンションの最上階だった。
この階と下の階も持ち物らしく、桁違いの世界にもう頭が追いつかない。
都会の景色が一望できる大きな窓に囲まれた寝室。ここから出られるまで一週間、やっと家の中を自由に歩き回れるようになって一週間。大した怪我でもなかったのに、外出はまだ許してもらえない。
とは言っても、監禁されているわけでもないので出ていこうとすれば出ていける。
それでも俺は奏の側にいるのが居心地が良くて、夏休みということもあり療養なのか軟禁なのか分からないこの状況を受け入れていた。
奏は本当に体を心配しているようで、驚くことに俺を抱くのは控えている。
俺の方はウズウズして仕方がないのだが、自分から誘うこともできなくて体に灯った熱を見ないようにしている。
「無理だ。家に勉強道具も趣味のメイク道具も洋服も全部置いてあるんだから、取りに行くにしても一回帰らないと」
俺の言葉に捨てられた子犬みたいな目になっていた大きな体の男がパッと顔を上げた。
その目がランランと輝き出したのを見て、また新しい顔はやめてくれと噴き出した。
「その前に、お互い言うことがあるんじゃないか? このままだとただのセフレの延長だ」
「セ…セフレ……。そ…そうだな、そんなつもりはなかったが……。確かに……言葉が足りなかった。まったく…涼介の前だと何も機能しなくなる」
数え切れない社員を束ねる企業のトップのくせに、そんな風格を部屋の前に落としてきたみたいに、奏は情けない顔をして俺の腰にしがみついてきた。
「初めて涼介に会った時、ヤバいと思ったんだ。俺はバイだし、確かに褒められたような付き合いをしてきたわけじゃない。それでも男の方がいいと思っていたから、一生結婚するつもりはなかった。それなのに……待ち合わせ場所に立っていた涼介は……ヤバかった。顔がエロすぎて……」
「…………ん?」
「女だと思っていたから、手を出すのはマズイと思っていたけど、エロすぎる顔のくせに慣れていない拙い誘い方だったり、必死に強い酒飲む姿に、何かあるのだろうと気づいていたけれど、エロすぎて我慢できなくなって乗ってしまった」
「ちょっ……エロすぎるって何だよ!」
「だって仕方がないだろう! どストライクで股間に突き抜けたんだよ! この手の話は丁寧に断って終わりなのに、別人が現れて誘ってきて、すごい好みで応じてみたら、それが男だったんだ! 惚れるに決まってんだろう」
俺の腰に顔を擦り付けながら、真っ赤になって話すこの男は誰だったか分からなくなってきた。
逃がさないようにしっかりホールドしているのに呆れてしまう。
「……じゃあ、体が気に入ったってのは、まあ、正直な告白だったわけだ」
「そうだ……。体も顔も気に入った。だから確かめるためにもう一度会いに行って、すっかりハマった。外見だけじゃない、気が強いくせに本当は臆病で、ぶっきらぼうに見えて優しかったり、涼介の内面もめちゃめちゃ好みだった」
今度は俺が真っ赤になる番だった。そんな風に直球で好みだなんて言われたら、嬉しさを通り越してどうにかなりそうだった。
「涼介が倒れた時、怖くて怖くて仕方がなかった。この手を離したら、もう二度と会えないんじゃないかって……、情けない、お前の前だと全然カッコつけることもできない」
「いや、あれはカッコよかった。ほら、あの右ストレート。なんかやってたの?」
「学生時代、ボクシングを少し……」
「カッコよかった。凄かった、奏」
「………もっと言ってくれ。いつでも褒めてくれるんだろう」
だんだん調子に乗ってきた奏は俺を見上げてニヤリと笑っていた。憎らしいくらい可愛く思えて、俺は噴き出して大笑いした。
「最高だよ。大好きだ」
「もう一回」
「フザけんな、奏も言えっ…てっ…うぁっ…!」
くすぐってきた奏に、右ストレートを食らわせようともがいたが、そのまま腰を持ち上げられて運ばれてしまった。
ベッドに転がされてからも、くすぐり合って二人でじゃれて笑い合った。
甘くて幸せな時間だった。
「好きだ」
さんざん俺をくすぐって流した後、奏は啄むようなキスを何度もしてきて、やっとその言葉を口にした。
その時俺は気づいてしまった。
「なんだ狐につままれたような顔をして…。せっかく、一世一代の告白をしたのに」
「何が一世一代だ! 今まで何度言ったか吐かせてやる! だいたい好きな気持ちは過去に置いてきたんじゃないのか? カッコつけた発言を訂正しろ!」
今度はお返しだと俺がマウントを取って、奏をくすぐりだした。
賑やかな笑い声はやがて、甘い声に変わっていくだろう。
やっとお互いの気持ちを伝え合った俺達に怖いものなどなかった。
「で、それはやめないわけだ」
完璧に仕上げて最終チェックで鏡の前で回っていると、横でネクタイを締めながら奏がこぼしてきた。
今日のテーマは白でまとめたスイートエンジェル。俺は得意げな顔でにっこりと笑った。
俺は結局、奏の高層マンションで一緒に暮らすことになった。
好きだし一緒にいたいのが一番だが、溢れかった洋服や小物を、すっきり整理できるような広い部屋は俺にとって天国だった。
そして今日はユーキとしてイベントの仕事があって支度に追われていた。
同じく出勤前の奏と鏡を取り合って、というか俺が独占して朝からひとりで大騒ぎしていた。
「だって、これは俺のライフワークだし。あいつに教わったのとはもう全然違う。はるか先のものなんだ。似合っているんだし、いいだろう」
圭吾のことが絡むと奏はやや不満な様子を見せる。だが、これに関してはもう趣味というか仕事になりつつあるので、俺も譲れない。
「まあ…、女装はいい。好きなら、自由にすればいい。だが、スーツに関しては譲れない」
「は…!? スーツが何だよ?」
急に話が飛んだので、ポカンと口を開けて、真面目な顔で話す奏を眺めてしまった。
「あの日、アイツに絡まれる前から大変だっただろう。涼介のスーツ姿はヤバいんだ。特に正装なんて絶対だめだ。ただでさえ色気があり過ぎるのに、だだ漏れで垂れ流しで…」
「気持ちの悪い言い方するなよ!」
そういえば結菜もヤバいとかなんとか言っていた気がする。こんなに頑張っている女装より色気がどうとか言われるのがよく分からなかった。
「とにかくあまり心配かけさせないでくれ。ただでさえ、最近の俺がおかしいと部下の間で噂が飛び交ってうるさいんだ。あっ、メッセージはなるべく早く返信してくれ、じゃないと会議で暴れるから」
「…………」
毎日色んな方向から愛されて、どこが正解なのか全然分からない。
いい大人のくせして子供みたいな人が愛おしくてたまらなくて困ってしまう。
「俺さ、めちゃくちゃ沈んでいた時さ、唇にルージュを乗せたら生きているって感じがしたんだ。まるで魔法みたいだった。でもさ、俺、本当の魔法を見つけちゃったんだ」
「魔法?」
「そっ、魔法。とっても幸せで生きているって思える特別な…」
俺は何のことかと目を丸くしている奏のすぐ隣に立った。背伸びしてネクタイを引っ張って、近づいてきた奏の唇に自分の唇を合わせた。
「これが俺の、唇にかける魔法」
抜け出せない過去にもがいていた俺。
いつまでもしがみ付く黒い影に飲み込まれそうで怯えていた。
そんな俺を救い出してくれた奏。
そして、奏とキスをする度に、幸せで特別な自分になったような気持ちになれる。
これが本当の幸せな魔法だ。
「………そうか。なら、今日はこのまま、ベッドで全身に魔法をかけてやろう」
奏は俺を軽々と持ち上げて、二人のベッドに運んでしまう。
「ちょっと! 仕事だろう! 俺イベント! 奏は会議!」
「少しくらい平気だろう。客を待たせておけ、男とヤってましたって。俺の方は問題ない」
「俺は主催者、奏は部下に殺されるわ!」
「可愛いことを言うな。俺のテクで殺させたいのか?」
「言ってない! 全然そんなこと言ってないーーーー!」
足をバタつかせて叫ぶ俺を運びながら、奏は愛おしそうに笑っていた。
その顔を見たらほとんど許してしまう気持ちは悟られてはいけない。
「愛してる、涼介」
その言葉を言われたらもう完敗。
だって俺が伸ばした手を掴んで抱きしめてくれた人だから。
後にも先にも奏だけ。
「俺も」
俺は愛しい人にしがみついてキスをした。
全身にとっておきの魔法をかけて欲しい。
願わくばルージュみたいな、真っ赤な痕を期待して。
□完□
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