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 網目のように張り巡らされた無数の河川と千メートル級の山が連なる東南アジアの亜熱帯雨林地帯にミャンガラマ共和国がある。  隣国タイとの国境地帯、クアラン州パウェン。  クアラン族たちは、農耕と河川巡りの観光案内、花崗岩河川で採れる橄欖石(ペリドット)の加工などを生業としていた。  パウェンにはクアラン民族解放軍に守られてきた歴史もある。しかし、近年になって日本資本の流入が始まると、町はにわかに活気を呈してきて、来年には大型のショッピングモールが完成する予定だった。  しかし・・・  硝煙が立ち込める夕暮れ時は淋しい。  崩れた板屋根の隙間から、干し魚を焼く匂いがする。擲弾筒(てきだんとう)を撃ち込まれて鉄骨だけになったビルからは、粥を炊く煙が緋色の空へ細く靡いている。  絶望的な、暗澹たる晩飯どきだ。  何処へ行く当てもない僕は、車輪の潰れたストレッチャーをただひたすら押していた。砕け散ったアスファルトの路面を、いびつな車輪が不気味な音をたてて回っている。僕は力任せにストレッチャーを押していた。そうしないと、車輪の回転が止まってしまいそうで怖かったのだ。  ストレッチャーの上は血の海だった。包帯からあふれた血がまだ止らないのだった。  ともだちのパルジェが地雷を踏んで、くるぶしから先を喪ったのだ。脹脛も裂けており、骨が突き出している。  クアラン解放軍の衛生員が応急手当をしてくれたけど、その唯一の味方も一時間ほど前に国軍に射殺されてしまった。  僕はモルヒネの壜の残量を見る。死んだ衛生員が処方してくれた麻薬鎮痛剤。あと一回分。  パルジェの容態はモルヒネのお陰で安定しているように見えるが、一刻も早く設備の整った病院で治療しなければ間違いなく死んでしまう。だが、病院はどこにあるのだろう・・・町の人々は心配そうに僕たちを眺めるだけで、誰ひとり救いの手を差し伸べてくれなかった。みんな肉親を失い、或いは大怪我を負い、自分たちを守ることで精いっぱいだったから。  <病院はどこにありますか>  僕は出会う人たちに、不慣れなミャンガラマ語で片っ端から訊いていったが、皆同じような答えが返ってくるだけだった。  <国軍の馬鹿どもが、そこにあった病院をバラバラにしてしまったわい・・・>  幼子をおんぶした老いた男が、瓦礫の山を目線で差す。  <国軍に強姦された。もうそれどこじゃないの・・・>  裸にされた若い女性が、暗い眸で悲し気に首を横にふる。  時期、日没だ。空は暗い血の色に染まり始めていた。  どこかで休みたかったが、休めばパルジェの命は無い。送電がストップされているこの町はやがて闇に閉ざされる。夜間、動いているところを国軍に発見されたら間違いなく殺されるだろう。連中は相手が十二歳の子供でも容赦なく銃口を向ける。  僕の不安は的中した。  道路の向こうからエンジン音とともに眩いライトが接近してきた。  ミャンガラマ軍の軍旗を掲げたトラックが目の前で止まった。荷台からバラバラと兵たちが降りた。 「おい、止まれ。動くな。両手を頭の後ろに組んで、ひざまずけ」  自動小銃AK-47の銃口が僕の顔に突き付けられる。  僕は言われるままに従った。  運転台の助手席のドアが開いて、上官らしい男が僕を一瞥し、ストレッチャーの負傷者を眺め、また視線を僕に戻した。 「このストレッチャーはどこから持ってきた?」  上官らしい男は、聞きずらいミャンガラマ語で質問した。 「道端に、あったのを、借り、ました」  僕はカタコトのミャンガラマ語で答えた。  いきなり、僕は銃身の先で頭を殴られた。頭蓋骨がひしゃげるような激痛が走った。
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