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臼桃色のネクタイなんて、柔な男に決まってる。
倉持与吉は、大島冬至を初めて見た時、思った。
「K飲料会社の商品企画部の大島です」
差し伸べられた手を握るのに、与吉は一瞬怯んだ。
笑顔が胡散臭い。茶髪の色素と顔の出来の良さから滲みでる甘さが腹立たしい。
そもそも、江戸時代から続く老舗の酒造会社に「三ヶ月住み込みします」と言ってくる時点で、甘いと与吉は思っていた。
「兄貴、もうちょい、ちゃんとしろよ」
弟の諭吉に肘を突かれた。
もともと愛想が良くないのだから、眉間に皺がよって睨んでいるのは自分でもわかっていた。
だが、三十になってそうそう性格は変わらない。
酒造会社の社長件父、酒造業界でいう杜氏が与吉の父だった。母は与吉が中学三年の頃、亡くなっている。
与吉は、父が母の分も必死に働いている背中を見てきた。また長男として父を尊敬し、父をー杜氏を目指している。
そして今、杜氏から二番手の頭となった。
俗に言う副社長というべきその立ち位置まで上り詰め、人手不足、体力勝負の会社を必死に守るため、頑張ってきた。
昭和堅気の父と経営を任せている弟がこの柔な男の「倉持酒造さんと我が社でコラボした酒を販売したい」という企画書を承諾しなければ、与吉はこの手を握ろうとは思わなかった。
細く長い手先。自分の無骨で男らしい小さな手とは違う。
「よろしくお願いします」
大島の目が見れないのは、与吉は彼と別世界の人間だと思うからだ。
「兄貴がすまないな。よろしく」
後ろから弟の諭吉が前に出て、大島と握手を交わす。二人は大学が一緒だったという。
「いやいや、無茶なお願いをしたのはこっちだから」
わかって言ってきているのが、ますます腹立しい。
「こちらとしても、一人でも今からの繁忙期に備えて人員が欲しかったから助かるよ」
弟が言うのは正しい。酒造の繁忙期は冬季だ。
今は十一月。ここから年末年始問わず、忙しくなる。
関東圏で老舗として生き残っている倉持酒造は、そのブランドとお得意様たちによって経営が成り立っている。
しかし、近年は若者の日本酒離れもあって、雲行きは怪しい。
人手も頭である自分と三役と呼ばれる専門分野の三人のメンバーとパート従業員二名を雇うのが精一杯。弟のみならず義理の妹にも手伝ってもらっているほどだ。
杜氏と三役の年齢は年配だ。頭一人の自分ではさすがに限界が来ていた。だから与吉はしぶしぶ了承した。父も未来を案じて了承したのもわかっている。
「倉持酒造さんの日本酒の魅力を伝えたいんです。我が社とのコラボで、魅力を世の中に広めたい。その言葉に嘘はありません。会社にも、許可を取っています。この三ヶ月みっちり学んで、その中で共同開発をするつもりです。今年の春を目標に販売を目指しています」
大島が胸を張って言っているのを与吉はただ一人腕を組んで聞いていた。
高齢の三役、父ですら、この柔な男に毒気を抜かれたように笑顔である。
どんな手を使ったんだろう?
女性はわかりやすい。パートのおばちゃんや義理の妹の顔つきが明るいのは大島のこの甘くて綺麗な顔と物腰の低さからだ。アイドルじゃあるまい。キツい仕事に住み込みで働いたところで、すぐに根を上げるだろう。
与吉は内心悪態をつきながら、大島を倉持酒造に招いた。
「なんで俺が案内を?!」
「だって兄貴ぐらいしかいないだろ」
大島の挨拶の後、皆は持ち場に戻った。
与吉もそうするつもりだったのだが、足を止めたのは弟だった。
「三役さんたちや親父は高齢だ。嫁さんは子供たちのことがあって、これから出る。兄貴にも仕事があるのがわかるけど、すべての持ち場を把握しているのは兄貴だ。大島に指導できるのは兄貴だと思う」
三歳違う弟は自分と違って頭がいい。経営を任している弟の言葉に兄は弱かった。
「…わかったよ」
「嫁さんが住み込み場所の案内を済ませてもらって、荷物置いたら来ると思うから。事務所で待ってて。俺はこれからお得意様からの呼び出し対応で出かけるから」
「…わかった」
営業も兼ねている弟の負担を考えるとまた何も言えない。与吉は大島の指導などは弟がすると思っていた為、一気に緊張してきた。
いや、なんで緊張するんだ?弟と同い年の男だ。世話をするのはこちらだし。最初の挨拶のようにデンと構えていなければ…。
与吉が事務所の来客用の椅子に座っていると、義理の妹に連れられて大島がやってきた。
「じゃ、私は息子たちのことがあるから、後お兄さんよろしくね」
義理の妹のお願いにも与吉は弱かった。妹もだが、可愛い甥っ子たちは、独身の与吉にとって大切な家族だ。
「ああ…わかった」
「よろしくお願いします」
向かいの椅子に座った大島は笑顔で与吉に話しかける。目を見て話せない。この笑顔が与吉は苦手だ。
「…与吉さんとお呼びしてもいいですか?」
「あ、ああ…」
「…与吉さん、俺のことが苦手でしょう」
「…あ?」
大島のいきなりの言葉にムッとした。同時にようやく大島の目をはじめて直視できた。臼桃色のネクタイが似合う色素の薄い眼をしていた。
「不躾ですいません」
大島は頭を下げた。
腕を組んで与吉は憮然とする。
「…ですが、目を見て話していただかないと、これからお世話になるんですから」
「う…」
こちらの態度も随分と悪いのは自覚している。そこを言われては何も言えない。
「こちらも悪かった。なにせ、こんなことは初めてで」
「老舗の店を守る未来の杜氏の貴方に責任感が一入なのは弟さんから聞いています」
「わかっているならいい。こちらも真剣にやっていただかないと困る」
「もちろんです。日本酒の製造に関して、雑誌やネットで調べました。たくさんの日本酒も飲みましたが、やはり実際に学んでみなければと思いました」
弟から聞いてはいたが、大島は真剣だった。
初対面の印象がどうしてもタイプが違うと線を引いてしまったが、真剣さは買わなければと与吉は腹を括った。
「なら知っているとは思うが、日本酒の製造はとても大変だ。機械でできる部分もあるが、監視は人。人の手を加える部分もある。その説明をしておこう」
席をたち、与吉は酒造を案内した。
米で作られる日本酒は、洗米からはじまり、浸漬。蒸す作業。発酵させる菌を入れる製麹。アルコールを発酵させる酵母。水、酵母、麹米、蒸米をひとつにするもろみの仕込み作業。もろみ、酒、酒粕に分ける搾り作業。酒の成分などの管理し、瓶詰めするまで貯蔵までの細かい作業をいくつも別れている。
その工程を大島はメモを片手に聞いていた。
「機械で管理している部分もある。パソコンは使えるか?」
「はい。使えます。教えていただければ」
「助かる。三役は皆高齢でなかなか把握してくれなくてな。目利きはもちろんすごいんだが…」
若手がいると言うのは心強い。一人パートからと言うことで若手を雇ってはいるものの、三役の元で実技を学んでいるため、こちらには回せない。
初日は、頭である与吉の作業を見ながら、荷物を運んだり、メモをとったりしていた。
最初は大島の視線に緊張していた与吉だが、だんだんと慣れた。
「朝は5時半から夜は9時半まで。交代制ではあるが、慣れるまでは大変だと思う。とりあえず最初は俺の元で作業を学んで、そのうちパソコンの作業から一人でしてもらおうか」
「わかりました」
「力があるんだな」
重いものを持たせて見たら軽々と持ち上げた。線の細さからは想像がつかない。
「背の分があるからでしょうか」
与吉よりも頭ひとつ分大きい。酒造で学生から鍛えられた筋肉質でスポーツ刈りの自分と比べて、大島は同じ男とは思えない綺麗な容姿と細身の体格だった。
「羨ましいな」
「そうですか?俺は与吉さんの方が男らしくていいと思いますよ」
「おい、それは嫌味か?」
「違いますよ。なんでそう受け取るんです?」
「いや、どう見たってオンナにモテるのはそっちだろう」
「モテるモテないで人生が充実しているとは限りません」
「モテることは否定はしないのか」
「否定したら、また嫌味かとか言いそうなので」
「…食えないやつだな」
「たとえ与吉さんによく思われていなくても、仕事はきちんとします」
「いや、決して嫌いなわけじゃない。苦手なだけだ」
それが事実だった。最初の印象は悪かったが、仕事に対する真摯さは買う。周りにいない人種に緊張している為、そう思われても仕方ない対応を与吉はした。
与吉がちらっと大島の顔を見ると、きょとんとしていた。
「どうした間の抜けた顔をして?」
「いや、意外だったので」
「意外?」
「完全に拒まれているのかと」
「それならもうとっくにここにはいない」
「そうですよね…」
顎に手をやって、大島は目を閉じていた。
「何か質問でも?」
「仕事に関してはこれからお願いします。ただ、これはほんの少し期待していまいそうだなと」
期待?一体なんの期待なのだろう。共同開発の商品に対しての期待だろうかと与吉は考えていた。
二週間ほど過ぎると、大島がかなり有能だと言うのがわかった。
作業はすぐ理解して、行動に移す。
知識に関しても疑問に思ったら、きちんと聞く。
この企画にかけているのだと姿からわかる。
一緒に作業をするうち、緊張はするものの、与吉は仕事に関しては前向きに捉えることができた。
「お腹いっぱいだな」
与吉は夜休憩で夕食を食べた後、畳の横になった。
築五十年の天井は古い。住み込み用のこの古い一軒家が酒造の敷地内にある。昔は三役が若い頃住んでいた家に、今は与吉とパートの大家だけが住んでおり、この度、大島もこの家に住み込みをしている。
「人徳か…」
人徳というのは、簡単に手に入るものではない。
与吉は自分と比べて、何もかもを手に入れている大島が羨ましい。
要領もよく、器用で何事もそつがない。
ここまで来るたびにたくさん失敗し、叱られてきた自分とは違う。
だからこそ、あんなに腹立しく感じたのかも知れない。
「…与吉さん。与吉さん!」
いつのまにか眠っていたらしい与吉は、大島の声に目を覚ました。
「ん、ああ?」
「畳の寝跡が付いてますよ」
「仕事は?」
「休憩に行っていいと三役の小野田さんに言われたので」
「そうか…なら俺が…」
「小野田さんが今日は大家と自分であとはするからいいと言ってました。いつも与吉さんに任せきりだからと」
夜番に関しては、三役は家庭がある為、定時には返して大家と与吉が交代でしていた。
大島が入ったからと言って、それは変わらない。
「気を使われたな…」
「失礼を承知で言いますが、体調を崩しては意味がないですよ」
「無礼講なやつだな」
「ここ二週間で与吉さんの大変さがわかったので言わずにはいられませんでした」
大島から心配の表情が見て取れた。
「…今日は小野田さんに甘えるか」
「もう寝ますか?」
「いや、すこし酒を飲んで寝る」
「なら、俺もお付き合いしていいですか?」
ここにきて、初めて家で二人きりになった。
緊張もあって与吉は仕事を盾に大島と二人きりになるのを避けていたのだ。
仕事付き合いとなれば、これは避けて通れない。
「…少しなら」
嬉しそうな笑顔の大島を見て、与吉はやはり目を逸らさずにはいられなかった。
「与吉さん、バツイチなんですよね?」
「…弟か」
「はい。いきなりこの話題を話すのは失礼だと思ったんですが、この話題は人ごとではないので」
「どうしてだ?」
「俺もバツイチなので」
満悦の笑みで不幸を暴露する人間を初めて見た。与吉は固まったまま、日本酒のおちょこを持っていた。
「そんな驚きますか?」
「…いや、まさかと」
「言いましたよね。モテるモテないは人生の充実とは関係ないと」
「なるほど」
「与吉さんがよろしければ、理由を教え…いや、俺から話すべきですね」
「不倫か?」
「俺にどんなイメージ持ってるんですか」
「いや、やっぱりその面だとモテるから…」
「結婚式の日に逃げられた新郎です」
「そんなドラマなことがあるのか?!」
「すべてが滞りなく進んでいたんですが、俺の秘密が前日にバレたんです」
「秘密?」
「はい」
だからどうしてそんなに笑顔なんだろうか。与吉は苦手を通り越して、不思議でしかない。
「知り合いが婚約者に告げ口して、俺がゲイだとバレたんです」
与吉の手からおちょこが滑り落ちる。そんな経験は初めてだった。
再び固まった与吉を見て、大島は声を出して笑った。断じてそんなシーンではないと思うのだが。
「…そんな驚きます?」
布巾でテーブルに溢れた酒を拭く大島の声で与吉は我に返った。
「そ、そらそうだろ!なんでいきなり俺なんかにカミングアウトするんだよ!?」
いくらバツイチ同士の共通の話題だからといって、そこまで言う必要はないだろう。
「自分のことを知ってもらいたいと思った人には隠しごとはしたくないので」
「もし俺が周りに言いふらして、いずらくなるとか考えなかったのか?」
「与吉さんはそんな悪どい人間じゃないって思います。もし俺が…って言ってる時点で言わないんだなって思いましたし」
テーブルを拭き終わって、大島は自分のおちょこの酒を飲んだ。
長く綺麗な指先で飲む姿は、同性の与吉から見ても絵になると思った。
「人の嗜好をとやかく言うほど、古い男じゃないからな。バツイチの理由がそれならなおさらだ」
誰にでも言えないことはある。見た目に反して、大島も完璧な人間ではないとむしろ少し親近感が沸いた。
「…俺はゲイじゃないから全部はわからないがな」
「知ってもらえるだけでいいです。自分の性的嗜好に悩んで苦しんだりしましたけど、それを同情されたいわけじゃないですから…で、与吉さんの理由は?」
与吉の空になったおちょこに大島が新しい日本酒を注ぐ。
「…俺は、構ってあげられなかったからな」
「構う?」
「25歳の頃、身を固めようと知り合いのお見合いで元奥さんと結婚したんだが、その頃から親父が体調崩してな。自分がしっかりしなきゃって、仕事に没頭してたら、ある日離婚届が書いてテーブルにおいてあった」
「それはまたドラマのような…」
「いや、大島に比べたら」
結婚式当日の悲劇なんぞ、想像するだけで逃げ出したくなる。
「まあ、二度とあの経験はしたくないですけど、その場は俺は被害者って体で入れましたからね。後々わかって、向こうの親御さんからクレームあった時の方が辛かった」
深くため息をつく大島に、与吉は新しい酒を注いだ。結婚より離婚の方が何倍も大変であることは、経験したものにしかわからない。
「当人は意外と冷静なんだが、周りのことが気にかかるよな」
「ええ…母や集まってくれた友人たちは未だにこの話題はあまり触れません」
「わかる。俺も出戻りでこの住み込みの家に住み始めた頃は親父や親戚、弟家族、蔵人仲間の視線がな…」
あれから五年。触れはしないものの、やはりいたたままれなくなる瞬間はある。
「もう、恋愛はこりごりですか?」
「考えたことがないってことはそうかもな。第一結婚はもうない」
「俺もです」
「大島なら恋人はできるだろう?」
このルックスならば男女問わまい。
「まあ、それなりに」
「否定しないのかよ」
「本当に好きになっても報われない経験が多いもので」
「本当にモテたいやつにはモテないってことか?」
「そうですね」
大島が情けない顔で笑う。与吉はこの笑顔は苦手じゃないと思った。
「あてを用意します。とは言っても、冷蔵庫に諭吉の奥さんからいただいた浅漬けの白菜ですが」
乾き物だけでは物足りないと思ったのか、大島が席を立つ。
「あれ、切らないといけないからな」
「与吉さん、料理はダメなんですか?」
「今朝、その白菜の漬物切ろうとして、包丁で指を切った」
与吉が手を出すと、左の人差し指に絆創膏が剥がれかけていた。指先には包丁でスッと切れた線があった。
「綺麗に切れてますね。また絆創膏を貼らないと…どこにあります?」
席を立っていた大島は与吉に聞いた。
「棚の上に救急箱がある」
昔から使われている木箱の中に、絆創膏があった。
「消毒液もあるからしておきましょう」
「え?いや、自分でするから渡してくれたらそれで」
大島は与吉の左手をぐっと掴むと意志の強い目をした。
「いえ!やらせてください」
「…わ、わかった」
消毒液を吹き付けるとまだ微かに染みた。
「うっ…」
「我慢してください」
そう言ってまた吹き付けると、絆創膏を取って綺麗に貼り付けた。
最後にティッシュで消毒液で濡れた指を拭いた。
「…やっぱり自分じゃ綺麗にできないから助かった」
「いえ、構いません」
また笑顔で応える大島だが、今までと違って、ずいぶんと楽しいそうな笑顔だった。
「ずいぶん楽しそうだな」
「うーん、隠すのもどうかって思うので言いますが、与吉さんって、俺のタイプなんです」
「え……?!」
与吉は大島には似合いな可愛い綺麗な男が好きなのかと思っていた。
目も細くて、筋肉質な自分のような男臭いタイプは論外じゃないのか?!というか、俺かなり今危険な状態なんじゃ?!
ひとつ屋根の下、三か月。バツイチ同士、フリーでゲイでタイプだと言われた。
いくら恋愛経験が少ない俺でも危険だとわかる!!
「…また固まりましたね」
与吉はクスクスと笑う大島に何も言えない。
「下手に口説くよりもストレートに伝えないと与吉さんは分からないかなと。まあ、何もしません。今のところは」
「い、今のところはって!!」
「下心とは別に、仲良くはしていただきたいですが」
「こんな話をした後に快諾できるか!」
「べつにとって食べないですし。仕事上、きちんと弁えてはいます。与吉さん次第ですけどね」
「俺次第って…なんだよ!」
「ただこうしてたまに飲んでくださると嬉しいです。話し相手くらいになってくれるだけでいいですから」
「本当かよ…」
「与吉さんが本気で嫌なことはしません。嫌ならこうして飲むことももうしません」
大島は本当に与吉が嫌だと言えば何もしないだろう。そう思えるはっきりとした発言だった。
タイプだから牽制しすぎるのもいかがなのか。何より仕事のこともある。完全に線を引いて住み込みで働くには心地よい距離感に越したことはない。
「…本当に俺の嫌がることはしないか?」
「しません」
大島の目は真剣だった。笑顔でごまかさないだけ信憑性はある。
「…考えとく」
「考えといてください」
大島は与吉の空になったおちょこに酒をまた注いだ。
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