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坂道を一番下まで下った先。
壁が灰色にぼやけたアパートの二階で、
まな板は今日も軽快に鳴る。
玉ねぎ、1個30円。豚肉は驚異の198円。
もやしは洒落っ気の11円。
長い坂道を苦労してのぼっただけあって、坂上スーパーのタイムセールは今日も絶好調だった。
使い慣れた包丁で、
わたしは戦利品を美味しい夕食に変身させる。
豚は生姜焼き、もやしはお味噌汁、
あとキャベツで付け合わせ。
無心で千切りをやり遂げると、
畳張りのワンルームは静まり返る。
流し台の時計が午後7時15分を告げていた。
できたばかりの夕食にラップを掛けると、
次はお風呂場にペットボトルを抱えていく。
重りを入れた4本は、
小学生のわたしには少し辛い。
でもその甲斐あって、本来はおへそまでしかないお湯も胸辺りまでせり上がる。
代わりに、ペットボトルに足を乗せて入浴しないといけないけれど。
節水の定番を今日もしっかり実行すると、額を拭うわたしの顔には誇らしげな笑みが浮かんだ。
これでよし、だ。
我が家唯一の部屋に戻ると、
窓の外はとっぷり群青色だった。
卓上に広げた宿題はもう少しだけそのままで、
わたしは開けた窓に歩み寄る。
明るければ、ここからはあの坂道が見える。
ずっと上に建つお屋敷はもちろん見えはしないけれど、道が通じれば充分だ。
窓枠に肘をつけば、
頭の中にうっとりと女神様の姿が浮かんだ。
やっぱり今頃、夕食だろうか。
それともお風呂かな。
きっと湯船は広々として、
大きな窓から星が見えたりするんだろう。
食卓にも、テレビで見るような白いテーブルクロスを引いて、光る食器と薔薇の花瓶。
そうして、あの完璧な横顔の女神様が……。
「んっふふふ」と妙な声が耳に届いて、
わたしはちょっと我に返る。
にやけた頬を歳相応に引き締めて、
虫が入らないよう網戸を閉める。
よしっ、と宿題に取りかかったところで、
玄関がカチャンと鳴った。
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