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 インターホンを押した俺の指からは、莫大な疲労が滲み出す。 人混みに呑まれて来たせいか、紺のスーツがひどく()れていた。 これも社会の重圧を無事に切り抜けてこられた対価だ、と 自分に毎日言い聞かせているが、いつ限界に達するかは知れない。 「随分と早いのね。あれ、鍵は?」 回線越しに妻の不満が感じ取れた。 そうだ、夜遅くの帰宅になっても妻が起きていなくていいように、 今日から渡されていたんだったな。 「あ、持ってるよ。ごめん……」 急いで懐を探り、取り出した鍵で開錠する。 猫背で恐る恐る引いた扉はいつもより一層重かった。 「おかえりなさい」 エプロンをつけた妻が玄関に立っていた。 申し訳なさから、彼女の顔を真っすぐは見られない。 「……ただいま」 「もう気を付けてよね。まだ夕飯作ってる最中だから、先に着替えちゃって」 案外小うるさく言われなかったことに安堵した俺は、 妻に促されるように靴を脱ぎ揃え、自分の部屋へと向かった。
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