戦艦〈シグルーン〉

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戦艦〈シグルーン〉

 これだけ巨大で、主砲を収めた砲塔を備えた軍艦が戦艦であることは間違いない。特に軍艦マニアというわけではないが、以前、隣に住んでいた高校生が『世界の軍艦』という本を持っていて、遊びに行くついでに、よく見せてもらっていたので、多少の知識はあった。イェルドは、高校生が引っ越すときに『世界の軍艦』を貰った。本を欲しがっていたことを見透かされたような気持ちで少しきまりが悪かった。   イェルドはただ目の前の威厳に満ち、それでいて美しい存在に圧倒されていた。我知らず思わず歓声をあげて岸壁を駆ける。流れるようなラインを描く艦尾から艦首までを視界におさめるため、とにかく走った。細身の槍のような主砲が鋭角的な砲塔から真っ直ぐに延び、立ち並ぶ高角砲や副砲が威嚇的に宙を見据えている。高い煙突、指揮をとる前檣楼、後檣楼は山の頂にそびえる城のようにも見えた。  写真でみたソビエト連邦海軍の巡洋艦や正確な戦闘機械であるアメリカの戦艦、日本帝国海軍の鎧をまとった荒武者のような厳めしい軍艦とは違った。その姿は、静かに水面に漂う白い海鳥のように優雅だった。軍艦ではなく、美しい客船のように見えた。    二〇〇メートル以上を走っただろうか。全力疾走したから、肩で息をしている。それにしても、なぜ、こんなところに本や写真でしか見たことのない戦艦が存在しているかイェルドには分からなかったし考えることもできなかった。数年前、ソビエト連邦に敗北したトゥーレでは軍隊が全廃され、駐留しているソビエト連邦海軍は眼に見えないほど遠くの敵を攻撃するミサイルを積んだ巡洋艦が開発され、無限に航行できる原子力潜水艦も配備されたという。そうした軍艦はイェルドたちが普段、近づくことすらできない首都から数キロのところにある立派な軍港にひしめいているはずだった。長い主砲を備え、分厚い装甲を身にまとった戦艦は、最早、過去の遺物でソビエト連邦も保有していない。イェルドは何も知らなかったのでたぶん、ソ連の戦艦だろうと思った。そんなことよりも、イェルドは戦艦をとにかく見たかった。   今度は艦首から艦尾までを早足で歩きながら眺める。岸壁から戦艦にかけられたタラップを見つけた。夢中で走っていた時は上ばかり見ていたから気がつかなかったが、どうやら中に入れるらしい。はやる気持ちを抑えながらタラップを駆けのぼる。  戦艦の中を見ることができる。滅多に見ることのできるものじゃない。これは凄いぞ。  戦艦の煙突の後ろにある後部デッキは水上飛行機の発着場になっていて、クレーンが腕を差し伸べていた。ただ、あるべき水上飛行機はない。 イェルドはデッキを歩き回り、艦首方向へと歩き出す。コツコツと音がする。巨大な軍艦にもかかわらず甲板は板張りだった。少し白っぽく汚れている。巨大な砲塔を早く見てみたい。そう思った時、イェルドは突然、背後から声をかけられた。
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