夕立と僕と先輩と

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「そろそろ夕立の時間だぞ」  小さな丘の上にポツンと立つ木の陰で、どこまでも続いているような青い空をぼんやりと見上げていた僕は、先輩の声でハッと我に返った。  今日も朝から本当にいい天気で、こんな日を「夕立日和」とでもいうのだろう。  僕は立ち上がり、ズボンについた草を払いながら背後にいる先輩の方へと身体を向ける。 「もうそんな時間ですか」  手元の端末を確認すると夕立までのカウントダウンは既に始まっていた。 「それにしても、最近多いですね」 「そうだな」 「上が変わったからでしょうか?」  最後の僕の質問もちゃんと聞こえているはずなのに、まるで僕の声なんか聞こえなかったかのように先輩は何も応えなかった。 「いくぞ」  先輩に促されるまま僕は丘を下り始める。  丘の中腹にある、草木でカモフラージュされた洞窟の入口に入ると、いつもと同じように外の眩しさが嘘のように感じられる。僕たちが見ている外の世界。空や雲、それに木々や風は、もしかすると全て作りモノなのではないか。と、僕は小さい頃からそう感じている。  その考えは、この仕事に就いてからますます真実のように感じているけど、誰にもこんなことは言えないし、言ったとしても真面目に取り合ってくれるような人間はこの辺りにはどこにも存在していないだろう。 「今日はどのエリアなんですか?」  自席に着きながら、僕は隣の席に座っている先輩に質問する。  いつもならすぐに答えてくれる先輩が、今日は何も言わない。一体どうしたんだろう。今日の夕立のエリアに何か問題でもあるのだろうか。  そう思っていると、先輩はゆっくりとこちらをむくと、とても苦しそうに顔を歪めながら僕に向ってこう言った。 「今日はな、ここからすぐの場所なんだよ」 「え?」  ここからすぐの場所と言うと、僕たちが普段お世話になっている村の辺りが夕立の範囲だということだろうか。 「先輩、ここからすぐってことは、ここも夕立の範囲に含まれるということでしょうか?」  僕の声が思わず少し硬くなる。  勤務地が夕立の範囲に含まれることがあるということは何度か噂に聞いたことがあるので、ありえない事ではないということは僕にもわかっている。  でも、本当にこの場所が夕立に?  困惑している僕に、先輩は首を横に振りこう言った。 「ここは今回の夕立では、例外的に範囲外となる」 「あ、そうなんですね。なら……まあ……」  僕はホッとしながらそう答えた。  この場所が範囲外であるならば、任務にはなんら問題はないはずだ。でも、どうして先輩はこんなに難しい顔をしているのだろう。  ああ、そうか。  その時、僕は思い出した。先輩がこの辺りの出身だということを。  ということは…… 「もしかして、先輩の故郷が……?」  僕の問いかけに、先輩は小さく頷いた。 「先輩、大丈夫ですか?もし先輩が無理でしたら、僕一人で夕立を発生させますけど」  端末を確認すると、夕立を発生させるまで残すところ後10分。僕はまだ一人で作業したことは無いけれど、これだけ時間があれば何とか出来るだろう。  そう思いながら画面にマニュアルを映し出した僕は、先輩にぶん殴られて壁際までふっとばされた。 「何するんですか!?先輩!?」  しこたまぶつけた頭をさすりながら立ち上がった僕を睨みつけながら、先輩は肩で大きく息をしている。こんなに取り乱している先輩を見るのは初めてかもしれない。  しかし、これは任務だ。僕たちが夕立を発生させなければ、他の場所の誰かが僕たちのいるこの場所も含めた地域に夕立を発生させるに違いない。 「先輩、正気ですか?」  僕は作業を進めるべく、先輩に非難の目を向けながら自席へと向かう。 「お前は、自分の故郷が夕立にあうってなってもそうやっていられるのか?」  もう一度殴りかかりそうな怒気を纏いながら、先輩が椅子に座った僕に詰め寄る。 「だって、上が決めたんでしょ?撤回命令は出ていないんでしょ?それだったらやるしかないじゃないですか。僕の故郷が夕立に?そりゃ結構なことだ。僕は喜んで夕立を降らせますよ?あんなクソみたいな村、滅んでしまえばいい」  何を躊躇する必要があるのだろう。  自分の生まれ育った場所?そんなものは、たまたまあの場所に産まれて成長しただけという以外に何の意味があると言うのだろう。血のつながった親?別に僕は産んでくれと頼んだわけじゃないし、育ててくれと頼んだわけでもない。親戚なんて自分達が損にならないように余計な口出しをするだけで、自分たちがなんらかの不利益を被ると分かった瞬間もの凄い速さでどこかへ姿をくらますじゃないか。  それに、そもそも先輩はちょっと感情が動きすぎている。メンテナンスの頻度を上げた方がいいんじゃないだろうか。  今回の夕立が終わったら、その辺りを上に報告しておいた方がいいかもしれない。  そんなことを考えていると、先輩は「今回はお前に頼んだ。じゃあな」と言い残すと、コントロールルームから速足で出て行ってしまった。  一体何を考えているのだろう。  とりあえず、夕立の準備をしなくては。  僕はコンソール画面を操作すると、定刻に夕立が発生するようにとシステムに入力を済ませる。  全ての準備が整った。後は時間が来るのを待つだけだ。  そういえば、先輩はどこへ行ってしまったのだろう?  施設内の監視カメラの映像を確認しても、先輩はどこにも映っていない。まさかトイレ?そう思い、トイレの入口からの映像を映してみても、どこのドアも開いていて人がいる気配は全くしない。 「まさか先輩、村へ行ったんじゃ……」  僕はドローンを外に向って飛ばすと、村の方へと急がせた。  僕が村に到着した時、村はいつもの様子とは全く違っていた。  村の住人たちは中央にある教会に集まり厳重に戸締りをしている。その硬く閉ざされた建物からは、何かの歌が聞こえている。この歌は……讃美歌?  この時代にまだこんな文化を残している場所があったとは驚きだ。  なるほど。  先輩があんなにも取り乱したわけがわかったような気がする。  先輩はこの文化に触れて育ったのだ。  人の為に生きることが幸せだと感じながら。  人の痛みを自分の痛みのように感じることが当たり前だと思いながら。  人の幸せを祈りながら。  不思議なものだ。   ーー   時間が来た。    僕はそのまま、村の様子をドローンのカメラを通してずっと見つめていた。  夕立が降り始めると、当たりの音は一瞬にして雨の音に吸い込まれる。    何も聞こえない。  そして全ての物質が溶かされ、その姿が消えていく。  痛みの声が聞こえないのは、夕立が降り始めるとともに意識が飛んでしまうからということを聞いたことがある。僕は体験したことはないけれど、先輩はあの場所で今まさに体験しているのだと思うと、なんだか不思議な気持ちがした。  夕立  それは地上の物質を綺麗に流し去ってしまう為のシステム。  誰がいつ考案したのかも、誰が夕立を降らせる場所を決めているのかもわからない。  ただ、名前の由来だけは僕たちにも伝えられている。  この世界では昔、夏の夕方に突然降り出す雨を「夕立」と呼んでいたそうだ。  夕立が降った後は空気が澄み、気温が下がり過ごしやすくなったそうだ。だから、僕たちの住む世界を清浄化するシステムが完成したとき、その夕立にちなんで「夕立」と名付けられたらしい。  そして僕たちは夕立を降らせるエンジニア。  誰が選んだのか、それとも産まれてきた時点で決まっているのか僕たちにはわからない。  それにしても、先輩はアンドロイドのくせに感傷的過ぎるんだよ。  人間の僕が出来ることがどうして出来ないんだ。  まあ、もういなくなっちゃったからどうでもいいけど。  明日には新しい相方が補填されるかな。    僕は伸びをひとつすると、珈琲を入れるために席を立った。
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