再会

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再会

 高校を卒業して大学に進学。そして特に苦労することなく就職もできた。きっとこの人生は順風満帆というやつなのだろう。しかし、仕事が楽しいかと問われればまったく楽しくはないし、他に良い仕事があるのならすぐにでも転職したいとさえ思っている。それでもこうして続けていられるのは、まだ自分のキャパを超えるほどの負担がないからだろう。  入社して六年目。同期の中にはプロジェクトリーダーを任せられている者もいる中、一花の職場での立ち位置は入社一年目とたいして変わりがない。ほんの少しだけ後輩に先輩風を吹かせられるくらいだ。重要な仕事や役割を任せられることもない。  一花の過ごす毎日は高校を卒業してからずっと同じだ。  変わらない色。  変わらない景色。  そんな穏やかで安定した世界に波が立ったのは五月の連休明けのことだった。 「こちら、今日から来年の三月までの間うちの課で働いてもらうことになった協力会社の方です」  朝礼の場。そう言った課長の隣にはパンツスーツを身に纏ったすらりとした女性が控えめに立っていた。彼女は薄く笑みを浮かべると「水無月と申します」と頭を下げる。 「短い間ですが、よろしくお願い致します」  よく通る落ち着いた声は記憶にあるものと変わらない。一花は挨拶をする彼女の姿をただ呆然と眺めていた。そうしているうちに朝礼は終わり、当然のように彼女は上司と共に一花たちのグループへとやってきた。 「ということで、彼女は今日からお前のとこのプロジェクトを手伝ってもらうことになるから」 「え……?」  プロジェクトリーダーの坂田にそう告げた課長の言葉に、思わず一花が反応してしまう。その声に課長と坂田が同時に一花へ視線を向けた。 「どうした、如月?」 「ああ、いえ。なんでもないです。すみません」  謝りながらチラリと水無月を盗み見る。彼女は穏やかな表情でそこに立っていたが、その視線が一花に向けられることはない。 「水無月さんには主に資料の作成と整理、その他細かな作業と業務サポートをしてもらう。業務に慣れるまでは如月にサポートをお願いするから」  坂田の言葉を聞き流していると、思わぬところで自分の名前が出てきた。一花は何度か瞬きを繰り返すと「え?」と坂田を見返す。 「え、じゃない。今日からしばらく水無月さんのサポートをしてあげてくれって言ってるんだよ」  呆れた表情の坂田に一花は再び「え?」と繰り返す。彼は深くため息を吐くと「まあ、頼りないかもしれないけど」と水無月に視線を移した。 「歳も同じくらいだと思うし、とりあえず社内や業務のことは把握してるから分からないことは何でも彼女に聞いてよ」 「はい」  落ち着いた声で頷いた水無月の視線が一花に向いた。思わず一花は背筋を伸ばして顎を引く。しかし彼女は薄く笑みを浮かべると「よろしくお願いします。如月さん」と一礼をしたのだった。 「え……?」 「如月、お前ほんとに大丈夫か?」 「あ、ああ。はい。すみません。大丈夫です」  ――大丈夫なわけがない。  内心、一花は動揺していた。だって目の前にいるのは水無月だ。見た目は大人っぽくなっているし、喋り方だって記憶よりも大人びている。しかし、ショートボブのサラサラな髪や白い肌。整った顔立ち。なにより静かな落ち着いた声は間違いなく水無月叶向のもの。 「とりあえず如月、水無月さんのデスク教えてあげて。で、プロジェクトの説明。お願いする作業内容については連休前にリストアップした通りだから」 「わかり、ました」  小さく頷いた一花を、まだ呆れた表情で見やりながら坂田と課長は自分の仕事に戻っていく。一花は密かに深呼吸をしてから水無月に視線を向けた。 「えっと、じゃあ、こちらに」 「はい」  澄ました表情で素直に頷き、一花の後をついてくる水無月はまるで初めて会ったかのような態度だ。居心地の悪さだけを背中に感じる。何だろう。彼女は本当は別人なのだろうか。水無月と名前が同じで容姿がよく似た誰かなのだろうか。 「デスクはここを使ってください。端末もこれを。パスワードは設定してないので起動後にご自分で設定をお願いします。わたしの席は隣なので、何かわからないことがあればいつでも聞いてくださって大丈夫です」 「わかりました。ありがとうございます」  言いながら彼女は椅子を引いて着席すると端末の電源を入れた。その様子を一花は立ったまま見つめる。 「あの、水無月さん」 「はい?」  不思議そうに振り返った彼女の顔は、やはり記憶にあるものと同じ。 「下の名前って……?」 「叶向、ですよ」  言って彼女は笑った。さっきのような他人に見せるような微笑みではない。高校時代、一花をからかってきたときによく見せたあのニヤリとした笑みで。 「忘れちゃったわけ?」  瞬間、一花は顔が真っ赤になるのを感じた。 「やっぱり水無月――」 「如月さん」  水無月は一花の言葉を遮り、静かな口調で言った。 「端末のパスワード設定ができたので、わたしが担当する作業について教えてもらってもいいでしょうか」 「え……」  彼女の顔には、もう笑みは浮かんでいなかった。すんとした表情で端末のモニタを見ている。  ――何なの、一体。  わけがわからない。いま目の前でポチポチとキーを打っている彼女は、あの水無月で間違いない。あの小憎たらしい笑顔は忘れたくても忘れられない。それなのに、どうしてこんな初対面のような振る舞いをするのだろう。彼女に仕事内容を教えながら悶々と考える。  もしかすると仕事中だからだろうか。だったら昼休憩にランチへ誘ってみようか。そうすれば普通に話してくれるかもしれない。そうすればまた、自分の世界が変わるかもしれない。この何もない世界が、少しでも。  ほんの僅かな期待が胸に宿る。しかし、その期待はその日の昼休憩にはあっけなく消え去ってしまった。
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