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昔の男
三井の話では、山規組が藤和会の力を借りて城の奪還を企んでいること自体、親分である山岩規三の耳には入れていないという。そもそも三井も他の構成員たちも、山岩の城を奪い返した後のことなど考えていないそうだ。たから、藤和会から迫られた成功報酬として、組が隠し持っていたボストンバッグ一杯の拳銃を横流しすることにも躊躇いはなかった。
「足洗う気なのか」
上山の問いに三井は答えなかったが、どういう意図にせよ結果そうなることは明白だった。うまくエンジン一派を追い出せたとしても、今度は山規組から資金と武器が底をつく。山岩規三の望まない、血で血を洗う抗争に発展した場合、今度こそ山規組に抗う力は残されていないのだ。
「腹括ってるわけか。なんか、あんたが常に一杯一杯で汗まみれな理由がちょっとだけ分かったよ」
上山は言い、自分のコップに酒を注いだ。
「……次の犠牲って何だよ」
ボソリ、と三井は呟くように聞いた。顔はテーブルについた腕に埋もれたままである。
「あの喫茶店で襲われた男は、俺のツレなんだよ」
「……へえ」
「でも、何で襲われたのかが分からない」
「揉め事じゃないのか」
「揉めてない……と、思う。いや、こっちには揉める理由がない」
三井は顔を上げて涙と鼻水を服の袖で拭った。
「他に狙われるとしたら誰なんだ?」
「それも分からん。ただ、お前が病院で言ってたこの街の売人の話」
「ああ」
「あれを潰したのは俺の身内で、喫茶店の男ともつながってる」
「おいおいおい、立派に揉めてるじゃないか」
「本当にそう見えるか?」
「……」
三井はいつになく真剣な目でテーブルを睨んだ。「……まあ、筋違いでは、あるよな。もしもうちなら、そういう素人さんを巻きこむような報復のやり方は選択しない」
「だろ。いくら半グレ連中でも意味なく街中で店を襲撃しないだろ。売人叩いた人間を直接攻撃せずに、ああいう回りくどい手段でくる理由があるんだよ、きっと」
「なんだかんだ、桐島も拉致られてるしなぁ」
「それもだよ、お前よく平気な顔して酒飲んでられるな。血眼になって探すべきなんじゃないのか?」
「ヤクザ呼び出しといてその言い草はないだろって。それに、舐めてもらっちゃこまるぜ兄さん。俺がもっとも優先するのは親父だよ。親父の為になることでしか俺は命をかけない」
「何だそれ。そんなんで藤和会に言い訳できんのかよ」
「藤和じゃないから」
「……え?」
パシ、と上山は無意識に三井の頭を叩いていた。絆創膏が剥がれ、
「いてー!」
と三井は大袈裟に仰け反った。
「いてえじゃねえよこの野郎。お前が藤和会の桐島だっていうから俺、あの人らにそう紹介しちまったじゃないかよ!」
「お、俺も後になって知ったんだよ!」
三井は必死の形相で言い訳を口にする。「あの後俺も調べたんだよ、したら桐島も名張も、もう藤和会じゃなかったんだよ」
「……は?藤和じゃ、なかった?」
「もともとは藤和の構成員さ。俺たち山規の何人かで藤和の若頭んとこいってナシつけて、今回の件で桐島を借り受けて来たんだ。けど後んなって分かったんだ、もうあの二人はただの厄介払いされたチンピラだったってこと」
「破門されたのか」
「ああ、さらに悪い。メバルに関しちゃ絶縁だよ。あれでも戦力には違いないから利用できるうちは利用しようと思ったけど、とんだ傷物掴まされたんだこっちは」
「名張、何やったんだ?」
「……」
三井はぐいっと上山に顔を寄せた。「薬だよ。あの女が絡んでる気がする、きっと」
「あの女って……押鐘美央か?」
名張はかなり前からドーピングマンとして有名だった。今更薬物の使用で御咎めもなにもあるまい。それでも破門より重たい処罰である絶縁を喰らうからには、それなりに酷く組の顔に泥を塗ったのだ。
「桐島も噛んでるのか」
「あいつは所払いだ。噛んでるかは分からんが破門と似たようなものだし、恐らくはそうだろうな。だから拉致されようがどうなろうが、そもそもあいつは家には帰れないんだよ」
「じゃあ山規は根無し草みたいな半端者を助っ人にして、エンジンたちを追い払うために戻って来たのか……。なるほど、もしもそっちの親分の為に城を奪還したとしても、組から切り離された凧なんてその後どうなったっていいって話か」
「ああ、それでも報酬はたんまり要求されたけどな。もともと山規側にヤクザとしての未来なんてないから、まあ、呑んだけどな」
「押鐘美央はどう絡んでる。本当にあいつが、ベイロンの後釜に名乗り上げたっていう薬の売人なのか?」
「……いや、正直確証はない」
「何だよ」
「だけどおかしいだろ。いくら可愛いったってただの一般人がどうやって名張を従えるんだ?俺だってそんな話聞いてなかったぞ。じゃあどこで繋がった?絶縁されたはぐれヤクザと若い女だ。そりゃ、あの話と関係あるって考えるだろ」
「あの、話……?」
その頃、翔太郎は昔懐かしい男を訪ねていた。ただ闇雲に探し回るのは無駄であると感じ、より簡単な方法を選んだ結果、思いがけず電話一本で目的とする男に辿り着くことが出来た。簡単な方法とはつまり、父親に頼ったのだ。
「ある男に会いたい」
居場所を教えてくれないか……。翔太郎の父はその男の所在を把握していなかったが、一旦電話を切った後ほんの五分少々でかけ直して来た。
「今から言う住所の所へ向かえ」
そうして翔太郎の向かった先は、東京都内にある小さな病院だった。
その男のいる部屋は古く狭いながらも、清潔感のある空気で満ちていた。ただしその清潔さは病院特有の匂いであるとも言え、翔太郎は入室するなり気持ちが沈み込むのを感じた。予想以上に早く、会いたかった男に会えたのだ。本来なら喜んだっていいはずなのに。
夕暮れ時であった。室内から窓の外を見れば黄色い空を眺めることが出来、敷地内に生えている木々の枝だろうか、まだ緑の葉を残したそれらが風に揺れていた。
「どないした、落ち着かん面して」
言われて翔太郎は顔を上げ、
「いや……病院が、あんまり好きじゃないんす」
と小声でそう答えた。すると男は豪快に笑い飛ばし、
「好きな奴なんかおるか?」
と聞いた。
「いや、まあ、そうっすよね」
「翔太郎、もっとちゃんと顔見せえ」
男は名を、山岩規三といった。年齢は翔太郎の父親とそう変わらない年代だから、まだ高齢者とは呼べない筈である。だが久し振りに見た山岩の顔はヨボヨボの老人と大差なかった。白髪頭は若干薄くなったが、鼻筋の通った、相変わらずの男前ではある。だが、覇気と呼べるものがなかった。
「お前の方から会いに来るとはなあ。……親父からなんぞ聞いたか」
「え?いや、違います。そういうわけじゃあ」
「ほなびっくりしたやろ」
「え」
「俺の顔。……びっくりしたやろ」
「まあ。入院、長いんすか?」
「白血病や。そろそろらしいわ」
「……まじすか」
翔太郎は知らなかった。電話で山岩の居場所を尋ねた時も、父は特にそういった事情を話さなかった。昔からベラベラ喋る男ではなかったが、これは言えよさすがに、と思った。翔太郎の引きつった表情を見て山岩は柔らかい笑みを浮かべ、自分の足元を見つめた。
「何で来た」
「……いやー」
普段は思ったことをすぐ口に出すのが翔太郎という男である。そのせいで何度もいらぬ諍いを方々で起こして来た。自覚はあるし、だが治す気もなかった。その翔太郎が、言い出せなかった。
――― 今あんたの街が燃えている。俺のツレが巻き込まれて面倒なことになってる。あんたはどこまで知ってるんだ?
とは、聞けなかった。余命幾ばくもない男である。かつて山規組の親分として、ただでさえ生きにくい世の中であえての極道を歩いて来た男だ。おそらく顔も名前も分からないガキどものいざこざなど、死を前にしたこの男の眼には映りさえしないだろう。極端な話、どうでもいい筈なのだ。
「何やねん。お前らしいないのう」
「……」
だが、黙って帰るわけにもいかなかった。「手島さんがやられた……す」
「お?」
山岩の顔つきが変わった。痩せ細った体の奥深くに隠し持っていた血潮が滾るのを間近で感じ、翔太郎の背筋に冷たいものが流れた。
「手島が?やられたて何や、あいつはもうただの商売人やろ」
「喫茶店のマスターです」
「言い方はなんでもええ、翔太郎、詳しい話せ」
そして翔太郎は事件のあらましを伝えた。自分の知っていることが全て事実であるとは限らないが、問題はそこではなかった。手島が襲われ今も死の淵を彷徨っていること、そして彼が目をかけて来た翔太郎と同世代の男まで同じく窮地に立たされていること、この二つは背後関係がどうあれ動かせない事実であった。
「知らんな、俺は何も聞いてない」
「でも、三井がうろちょろしてますけど」
「三井?」
「三井……さん、が」
「あれが何や」
「何やと言われても」
「あいつが一人で何をしてるて?ピストルを鞄一杯に詰めて何をしとるんやあの阿保タレは」
「いや」
というか、三井の行動が山岩の耳に入っていないことがまず翔太郎の想定外だったのだ。三井の考えていることなど翔太郎には興味がないし、何なら話のついでに山岩の口から聞けると思っていた。
エンジン一派が街で暴れていることを山岩が知らないのは、まだいい。だが渦中の押鐘美央や関誠と関わりを持った山規組の構成員が、親分の許可なしにピストルを所持して街をぶらついていた。しかもバックには藤和会から借り受けた子分を二人も引き連れて。傍から見ればどうしたってエンジン一派への報復行動に見える。それしか考えられない。だが、山岩は何も知らないと言う。
「俺の事務所を乗っ取った奴らが犯人なんは、間違いないんか?」
その山岩に問われ、
「間違いないす」
と翔太郎は頷き返した。
「ほなお前……いや、翔太郎に言うたらいかんな」
「何ですか?」
「いや、別にお前がやらんでもええことやけど。どれでもええし、そいつらの幹部一人拉致ってここへ連れてこいな。俺が話聞いたるわ」
―――変わってねえ。
平然と人をさらえと言ってのける山岩に苦笑し、
「おっけ」
と翔太郎は頷いた。「俺そういうのは得意っす」
「知ってる」
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