とわのゆりかご

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とわのゆりかご

目覚ましが鳴る前に目が覚めた。 久しぶりに天使が夢で逢いに来てくれたからだ。 カーテンを開けると、天使が空に帰った日と同じ十一月の空が薄っすらと白んでいた。 小学生の頃に訪れた、三角屋根の時計台のついているすすけた洋館。 まだ幼かった私はその洋館が大好きで、習い事の帰りに側を通りかかったときはいつも、時計台の時計が正時を指して鈍い『ボーン、ボーン』という音を鳴らすまで飽きもせず見上げていた。 緑の芝が広がる公園の真ん中にあるその洋館は、誰が住んでいるのかも窺い知れなかった。ただ建てられてもう何十年と経っているであろうその佇まいと、きっと建てられた頃から変わらない時計台の鐘の音が、私は堪らなく好きだった。 ある晴れた午後、習い事が終わり家に戻る途中、いつものようにその時計台の方を通って帰ろうと公園に足を踏み入れた。 休日だからか、家族連れや大学生らしきカップルがレジャーシートを敷いてピクニックをしていた。シートを踏まないよう気をつけて歩きながら洋館に近づき、時計台を見上げる。 何故かは判らないけど、その洋館の周りだけはレジャーシートを敷く人は誰もいなくて、だから洋館の側に立つと、その日がいい天気でピクニックをしている人もたくさんいるなんてことも忘れて、ただいつものように時計台が鈍い鐘の音を鳴らすまで、古くてだけど美しいその洋館を飽きることなく見つめていた。 そして正時に長針が辿り着き、あの古ぼけた鐘の音が『ボーン』と鳴り始めたのと同時に洋館の入り口が開いて、中からクラシカルな織目のロングワンピースを着たおばあさんが姿を現したときは、本当に驚いた。だって、その洋館に誰かが住んでいるなんて、想像もしたこともなかったから。 おばあさんは短い石畳を歩いてワイヤーワークの美しい黒い門を開くと、私としっかり目を合わせて微笑んだ。 私も思わず微笑み返す。だけど内心何を言われるのかと、心臓が壊れそうなほど音を立てていた。 彼女は笑みを崩さず石畳の上を進んで私の前に立った。 「あなた、いつもここの時計台を見ている子でしょう?」 柔和な笑顔と声。思わず引き込まれてしまいそうな輝きを放つ双眸。 綺麗なひとだな、と思った。 彼女に見とれて無言になっている私の視線を肯定と受け取ったのか、おばあさんは大きく頷くと、 「もしもこの後お時間あるようなら、一緒にお茶でもどう? ここ、綺麗なお館でしょう? 私、嫁いだときからこのお館が本当に大好きで、いつも家族にこのお館のお話ばかりしてしまうの。でも、家族は私の話を聞き飽きちゃったみたいで」 そう言って眉を少し下げて笑った。 「だから、もしも、よ? 少しお時間頂けるなら、一緒にお茶を飲んでいかれません? お忙しいのなら、また次の機会にお声かけするわ。どうかしら」 彼女の言葉に、私は赤べこみたいに何度も頷いた。 この洋館の住人とお茶を飲めるなんて、そんな奇跡が起こるとは想像もしなかったから、嬉しくって夢みたいで、天にも昇る心地だった。 期待を込めて彼女を見つめる私に優しく頷きかけると、おばあさんはアンティークフラワーが織り込まれたワンピースの裾をひるがえして、私を中へと迎え入れてくれた。
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