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冬の日に君と 4
「驚かせてごめん。俺が青鹿に頼んだんだ。青鹿を責めないで欲しい」
志野は、うなずいた。
「志野と直接会って話したかった」
僕は、会いたくなかったよ――
言ったら、椎葉をひどく傷つけることになるから、言えない。
嫌いになったわけではないのに、そんなことを思ってしまうのが、悲しい。
椎葉に抱きしめられると、懐かしい椎葉の匂いと温かさに体は無意識に反応し、思考が散らばっていく。きつく決意したことが、足元から揺らいでしまいそうで、怖い。
だから、会いたくなかった。
「志野、役者やめるのか?」
青鹿との会話は、どこから聞かれていたんだろう。
椎葉に言ったら絶対に反対されそうで、知られたくなかった。
椎葉の気づかないうちに、消えてしまいたかった。
志野が答えられずにいると、椎葉は志野の髪を何度か指で梳いた。宥めるように触れる椎葉の指が心地よくて、泣きたくなる。
「志野がよくよく考えたことなら、俺は反対しない」
「…え」
志野は、顔を上げた。至近距離で、視線がかち合う。
以前の電話の時のように、怒って問い詰められてもおかしくないのに、椎葉は静かな目でこちらを見ていた。
「もちろん、手放しで賛成ってわけじゃないけどね」
「…うん」
「…で。俺と別れたいの?」
別れたくない。
役者だって、やめたくない。
でも、もう、物理的に離れるしかない、との結論に達した。
心は悲鳴を上げたけれども。
「…うん」
「そっか…」
椎葉は深くため息をつくと、再び志野を抱きしめた。
「理由、聞かせてくれる?」
「……」
どこから話せばいいんだろう。
「この前の舞台の楽屋で、椎葉が寝不足だったことをマネージャーに厳しく注意されてたって、聞いたんだけど。…それって、あの地方公演から帰った時のこと?」
「そうだね」
「僕のせい…だよね」
「志野だけじゃなくて、俺も、だよ。二人のせいだ」
「ずいぶん無理してたんだろ? …椎葉とつき合えて、うれしくて周りが見えてなかった。ごめん…」
「それは、俺も一緒だ。今後気をつければいいだけだ」
「そうかもしれない…けど。…そもそも、男同士なんて、そう簡単に理解してもらえないし。もし、つき合っているのがバレたら……僕よりも、椎葉の方が売れてるから、影響は大きくなるだろ。ファンだって、離れて行ってしまうかもしれない。だから……今のうちに、別れたほうがいいと思って……僕と違って、椎葉は元々普通なんだから」
「周囲に何を言われても、俺は志野を好きだし、それでいいと思っている。…けど、志野はそうじゃないんだよな…?」
椎葉の腕の中で、志野はうなずく。
「…わかった、志野。…俺は志野の考えを大切にしたいと思う」
うつむくしかない。
わかったと言ってくれたことが、うれしかった。理解してもらえないと思っていたから。
全ては、僕のわがままだ。
でも。
このまま、何にも気づかないふりして椎葉とつき合うことはできない。
「じゃあ、俺から、志野の意見を踏まえて提案があるけど、いいか?」
「…うん」
「一旦、二人の関係をリセットして、役者仲間同士に戻ろう。…でも、志野には、役者はやめないで続けてほしい」
椎葉と、恋人でなくなる。
でも、役者は続ける――
それならば、今まで通り、椎葉と一緒に舞台に立つこともできる。
心はつらいかもしれないけれど、確かにそれは、一つのやり方かもしれない。
「志野。本当に本心から、役者をやめたいと思ってる?」
志野は首を振った。
「だろ? やめたくないのにやめたら、絶対に後悔するよ。だって、志野はまだまだ芝居をやりたいだろう? もっとうまくなりたいだろ?」
「……うん」
うなずくしかなかった。
「俺とのことは、急がなくてもいいから。俺は志野をずっと待つつもりだし、お互い、今は芝居に集中しよう」
「…うん」
やっぱり、椎葉はすごいと思う。
自分だけでは、ただただ落ち込む負のスパイラルに絡み取られ、身動きできなかったのに。椎葉の言葉で、ふっと解放された。
だから、惹かれるのだ。どうしようもなく。
きっと、役者仲間に戻ったとしても、椎葉のことを思い続ける――
「ありがとう、椎葉」
「どういたしまして。……で。”別れたい”っていう志野の希望は聞いたから、今度は俺の希望を聞いてくれる?」
「え……?」
まさか、そう来るとは思わなかった。
確かに、自分のわがままは聞いてもらえた。けど。
「なに…?」
「今日までは俺の恋人でいてほしい。別れるのは、明日からにしてくれないか?」
「…わかった」
志野の返答を聞くと、椎葉はすっと立ち上がり、手を差し出した。
「……?」
誘われるまま志野が手を伸ばすと、椎葉はその手を取り、笑みを浮かべた。
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