ほたるのうんめい

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週末の午後のカフェ。そこで会うことにしたオレたちは、つい5分ほど前に初めましての挨拶をし、オーダーしていたコーヒーが来たところだ。そのコーヒーを脇によせ、いまオレの前には白い紙が広げられている。 「僕のことを気に入ってくださって、ありがとうございます。僕とお付き合いしてくださるのなら、ここにサインをお願いします」 そう言ってペンを渡される。 目の前で妖艶に微笑む朝倉さんは実物もかなりの美人だ。 写真では分かりにくかったが、左の目尻の下に小さなほくろがある。泣きぼくろだ。それがとても色っぽい。それに声も落ち着いていて耳に心地よく、なんと言っても香りがとても上品だ。 見た目も香りもパーフェクト。 話し方も仕草も品がある。 ここまで来ると、本当になぜこの年まで結婚に縁がなかったのかと真剣に悩むところだが、オレの前に広げられた紙を見て、その答えがすぐにわかった。 「オレたちは一度だけメッセージをやり取りして、初めて会ってからまだ5分しか経っていないよね?」 思わず確認する声がうわずる。 「はい。でも僕は結婚を希望しているんです」 そう言って朝倉さんは艶やかに笑う。 「・・・だからと言って、これはまだ早くないか?もう少し話をして付き合って、互いのことを知ってからの方が・・・」 「お付き合いをして結婚するのなら、結婚してからお付き合いをしても変わらないですよね?」 ね?と小首を傾げる姿はかわいらしい。かわいらしいけれども、それ、全然違うから・・・! お付き合いをしてやっぱり縁がなかった、と言うこともあるだろう。その場合、結婚はしない。しないのだけど、オレは朝倉さんを見た。 きっと彼の中で、付き合った人と結婚することは決まっているのだろう。 つまり、結婚しないのなら付き合わない。 彼に会ってまだ5分。だけどオレには十分だった。 『蛍』と付くやつはみんな変わったヤツばかりなのか? なぜオメガなのにこうも無防備なのか。よく今まで何事もなく過ごせて来たものだ。 蛍と同じでこの朝倉蛍一も放っておけない。 オレはペンを手に取ると、目の前の紙を埋めていく。 これを書くのは二度目だ。 名前や住所など必要な欄を埋めていき、最後にバッグから取り出した判子を押した。 社会人になって、つねに持ち歩くようにしている判子は普段あまり出番がないけれど、こうしてたまに役に立つ。 しかし、こんなに早くまたこれを書くことになるとは・・・。 オレがいま判を押したものは『婚姻届』。 初対面でこれを出す人も大概だが、それを書くオレもどうかしている。
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