涙の理由

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涙の理由

 窓の外には、明るいうちこそ綺麗な海が見えていたのに、日が落ちてしまった今では、一面の真っ暗闇が広がっているばかりである。  ハワイのホテルの一室。  時間は午後九時を過ぎようとしているところだ。  雪がちらつく寒い十二月の東京と違い、ハワイの冬は平均気温が二十三度らしいので比較的暖かい。しかし雨季に当たるため、突然のゲリラ豪雨には要注意とのことである。  リゾート地は人を開放的な気分にさせるというが、体験してみると確かにそうであった。  彼女が二人の最後の思い出にハワイ旅行を希望した理由が少し分かったような気がする。  彼女。……名前を天音(あまね)みそらという。  俺の恋人で婚約者であった人。みそらは、俺の自慢の彼女だった。  みそらとは知り合ってから三年半ほど付き合った。  モノクロの味気なかった俺の人生を色鮮やかなカラーへと変えてくれた彼女。感情の起伏が大きく、よく笑ってよく泣いていた彼女。俺はそんな彼女の傍にずっといて、そんな彼女が(いと)おしくて仕方なかった。  何とかならなかったのだろうか。俺は今でも破局に至った二ヶ月のことを思い返しては最良の選択肢を探している。  でも、どんなに考えてみたところで、すべては終わってしまったこと。本当は綺麗さっぱりと別れてしまった方がきっとお互いのためにはなるのかもしれない。  だけど、俺の中のもう一人がそれを拒絶していた。そして、極めて異例なことに、一旦は別れたはずのみそらが再びすぐ傍にいることが、俺を終わることのない混迷へと(いざな)う原因になっていた。  みそらはちょっとした心の病を抱えていた。それはストレスが原因とされる病だった。  脅迫性障害。真面目で几帳面な人ほど発症しやすい病だという。  代表的な例としては手洗いなどが挙げられる。自分の手の汚れが気になってしまい、何度も念入りな手洗い行動を繰り返してしまう。もちろん、その手に落ちにくい汚れが付着しているわけではない。だけど、もし自分の手が汚れていたら、その手で触ったもの全てを汚してしまうと思って、過剰な手洗いを繰り返してしまう。  最初は理解できなかった。  彼女からそんな様子はまったく感じとれなかった。だけど、病の実態が掴めてきたところで思ったのは、それでも彼女を支えたいという自分の純粋な気持ちだった。  俺は楽しかった。初めて心から好きだと思える相手に出会えた喜び。自分を必要としてくれる人。頼ってくれる人。それがみんなが羨ましがるほどの美人だというのなら、これほど幸せなことはない。  どんなことがあっても、絶対にその手は離さない。俺は勝手にそう誓っていた。  誓っていたけれど、それはあっけなく壊れてしまった。  夢。そう、所詮は夢に過ぎなかった。  夢はいつか終わるもの。そして目覚めて心は悲しみで満たされる。  その夢の終わりが近づいていることを、俺はハワイのホテルの一室で感じていた。
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