千 代

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義母(はは)(うえ)さん。…こうして二人でのおめもじが叶いました故、かつてのこと、この場にて改めてお詫びを申し上げまする。 うちや女房らが致した義母上さんへのご無礼の数々、まことに申し訳なく思うております。我が吉子内親王の名ぁを持って、償いを致しとう存じまする」 「──」 「全てはうちの責任にござります。どうぞ、女房らのことだけでもお許し下さいませ。うちのことは、どうお責めいただいても…」 低頭して詫びる八十宮を見て、月光院は素早くその前に膝を進めると、宮の両手を優しく取った。 「もう良い…、もう良いのです御台様。……私も、意固地になり過ぎておりました」 八十宮は静かに顎を持ち上げて、月光院の美しい面差しを眺めた。 「…確かにかつては、そなたや女房方の仕打ちに傷付き、苦しめられた事もございました。きっと私たちは水と油のまま、決してこの先も交わることはないのだと」 「──」 「されど、そなたはご記憶を(うしの)うてから随分と変わって下された。武家の風儀に馴染み、今は立派に家継様の御台所としての役目を果たして下されておる。 御台様の目に見える変化に気付いていながら、私は受け入れようとしなかった…。冷たい態度を取り続けてしまったこと、私も深くお詫びを申し上げまする」 姑の心に直に触れ、八十宮の瞳にじわりと涙が浮かんだ。 「…いいえ、義母上さんは何も悪うあらしゃいませぬ。全ては、不束者であったうちの責任です。……寛大なお心でお許し下され、感謝致しまする」 「御台様」 「…有り難ぅ、義母上さん。有り難ぅ…」 二人は共に手を取り合って、涙ながらに微笑み合った。 春の陽光()を浴びて溶けてゆく積雪の如く、二人の間にあった見えない壁が、静かに消え失せていくのを宮は感じていた。 これも、言うなればお志保さんにご慶事があったおかげ──。 宮はこの場にいない友へも、深い感謝の念を抱いていたのであった。 「──…左様であったか。お志保の為に、御台はそこまで力を貸してくれていたのじゃな」 一方 家継は、中奥へ戻るべく、三室たちお付きの上臈、御年寄衆を従えて、御鈴廊下を歩いていた。 三室は此度の一件を家継に語りつつ、緩やかにその黒頭を垂れた。 「ご報告が遅れ、まことに申し訳ございませぬ。上様に第一に(しら)せるべきところを、私の一存で先走った真似に出てしまい…」 「いや、()い。身重のお志保にとっては一刻を争うことじゃ。早々に手を打ってくれて助かった」 「(おそ)れ入り奉ります」 「母上の御台への態度が急に柔らこうなった故、気になっておったのじゃ。…なるほど、此度のお志保のことが、良い転機となった訳か」 月光院が八十宮への怒りの念を解き、和解の機会を伺っていたことは、以前に月光院本人の口からも聞いていた。 それがいつになるやらと案じていたが、思った以上に早かったことに、家継はふっと、安堵と可笑しさが入り雑じったような微笑を浮かべた。 そんな将軍を他所(よそ)に、三室は悩ましげに浅い溜息を()く。 「一先(ひとま)ず、御台様と月光院様の間の溝が縮まったことに、私も安堵致しておりまする。……何せ大奥にはまだ、解決せねばならぬ問題が幾つかございます故」 「問題…。お志保や、あのお津重のことか?」 「それもありまするが、もう一つ大事なる問題が」 三室は神妙な面持ちで呟くと 「上様の──新たな御側室(ごそくしつ)のことでございます」 その切れ長な目を、然り気無く将軍の方へ向けた。 “ 新たな側室 ” という言葉を聞き、家継は思わず歩を止める。
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