第25章 わたしたちが結ばれない理由

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第25章 わたしたちが結ばれない理由

とりあえず、バーの営業の邪魔になってはいけない。もう開店の時間は過ぎている。 おろおろと動揺している牛島さんに大丈夫ですからと告げてから、顔面蒼白でまた表情のなくなってしまった柘彦さん、むっつりと重く押し黙ったままの呉羽さんと茅乃さんを連れて二階へと上がる。わたしたちが普段一緒に生活してる場所を見られるのかと思うと胃がきりきりと痛むけど。もうここまで来てじたばたしても仕方ない。 ふと思い立って振り向き、声をかける。 「牛島さん。…申し訳ないんですけど。ノマドを、お願いしてもいいですか?どのみちお店に出勤の時間だし。慣れない雰囲気でストレスになってもいけないから」 「あ、そうだよね。猫ちゃんにはきついよねぇ、修羅場の空気は。…いやその、はは」 彼は慌てふためいていそいそと後ろからついてきてくれた。 「…猫が出勤?て、何よ」 茅乃さんがやり取りを聞き咎めて眉をひそめる。なんかこの感じ、久しぶりだ。 思わず以前の慣れた感覚に戻っていつもの調子で彼女に説明してしまう。 「あ、ここは猫ジャズバーなんです。ノマドは従業員なんですよ。お給料をフードと猫砂でもらってるんです。お客さんたちにも可愛がってもらってて」 「ふぅん、猫カフェみたいなものか」 わたしたちの呑気なやり取りに苛立ったのか、呉羽さんがじろりとこっちを睨みつけたのに気づいて口を閉じた。今は再会を懐かしむタイミングではない。これからが断罪の本番だ。 牛島さんがいそいそとノマドを抱っこして階下に降りていった。手持ち無沙汰を恐れてキッチンに向かいかけたわたしの背中に向けて呉羽さんがきっぱりとした声をかける。 「お茶なんていいから。…こちらに来て、座ってくださらない。奈月さん」 わたしの名前覚えていたのか。てかまあ、失踪の時点で意識になかったとしてもこうなったらその時点で脳裏に焼きつけられて当たり前だ。 さすがに以前のろくに視界にも入らない雑魚のイメージのままではないだろう。極悪の要注意危険人物扱いのはずだ。 わたしはお茶を淹れるのを諦めて大人しく呼びかけに従った。ごく小さな座卓の周りにすっかり観念した様子で俯いた柘彦さん、部屋の中を品定めする目つきの冷静な茅乃さん。それからどこか底光りする眼差しで射るようにこちらを見据えてる呉羽さんが四辺のうち三辺を囲む状態で座っている。 全員畳に正座だけど脚が痺れないかな。だいいち呉羽さんは普段畳で正座する機会なんてほとんどないんじゃないか、とか余計な心配が脳裏にちらつく。多分、現実逃避の一種だ。 正四方形の一辺が空いてるので自然とその位置に座る羽目になる。目を細めた呉羽さんが底の知れないゆっくりした口調でまず切り出した。どうやらこの場を仕切るのはこの人らしい。 「…さて、と」 腕組みこそしないけどやや顎を持ち上げて心なしかこちらを見下げて睥睨する態度。わたしを威嚇するためか、抑揚のない抑えた低めの声で話し始めた。 「略取誘拐罪で訴えてもいいところだけど。世間体もあるわけだしね。三十を越えた大人の男性が二十歳そこそこの子どもに誘惑されて拐かされたなんて、みっともなくて。そんなことが知れ渡ったらあとで世間に顔見せできなくなるものね、柘彦さんも」 名前を呼びつつ彼の方には目もくれない。ただ引き締まった目許をますます細めて、わたしを冷たい眼差しで刺すように睨めつける。 「ここは大人しくこの人を黙って引き渡すなら、見逃してあげないこともないわ。何の遣いみちもない男をここまで一か月あまり、養って身の回りの世話もしたんでしょうしね。わたしの夫の面倒を見てくれて、慰めも充分与えてくれたってことよね。…一応、お礼を言った方がいいのかしら、わたし?それとも、お金が欲しい?身体で稼いだ分」 口調が実に怖い。この場に牛島さんがいたら多分泣き出してる。おそらく台詞の内容を鑑みるにわたしは侮辱されてる気がするが、怒る気にもなれない。向こうの怒りが強すぎてどうしても呑まれる。 「まさか既にちゃっかり妊娠してる、とか言い出さないわよね?まあ、見たところそれでも今なら普通に堕ろせそうね。大してお腹も大きくなってないようだし。あ、産むとか言い出しても無駄よ。養育費なんてびた一文引き出せないと思って。そんな形で能條家を強請ろうなんて目論見なら、こっちにも考えがあるわよ」 「してません、そんなの。もちろん」 落ち着け。ねちねちと繰り出される嫌味たっぷりの口撃にさすがに少しめげそうになる。何を言われるか大体予想はついてたけど、現実に自分の身に全力ストレートで集中攻撃的にぶつけられるとやはり精神にくるものだ。素で悪意をもろに正面から受ける経験なんか、普通はあまりない。 だけど、わたしだけじゃなく彼をもだいぶ侮蔑された気がする。勇気を奮って顔を上げ、彼女をまっすぐに見返した。 「わたしと柘彦さんは。そういうのじゃないです。…ただ、この方が。ほんとに精神的に参ってしまって今にも崩れそうだったから…。とても見ていられなくて」 「わたしが悪いって言いたいの?」
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