義眼の少女 3

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義眼の少女 3

 取り調べの結果、犯人達は不法に海外から妖気に抵抗力をつける人工抗体を持ち込もうとしていた密輸業者だったことが判明した。  楓が指さしたブイを引き上げて調べたところ、三百回分の未認可のワクチンが見つかり、一緒に配布先リストも出てきた。一回百万円で三億円。リストには大物政治家、有名な大会社の社長、芸能界のスターなど、権力者と富裕層が名を連ねていた。妖気に取り憑かれる者が増えている中、金と権力にまかせて身を守ろうとしている輩だ。  妖気ワクチンはある程度効果があるとされているが、販売元は麻薬シンジケートで違法だった。  高見澤は窓際の高くて大きな机、楓は壁際の低くて小さな机で、それぞれリストに見入っていた。  刑事らしくない焦げ茶色のワイシャツにえんじのネクタイが、きざに見えないのは高見澤ならでは。普通ホルスターは目立たない左の脇につけるが、高見澤はコンマ1秒でも早く抜ける左胸下につける。  こんもりしたボブヘアーの楓はベージュのブラウスに、高見澤とコーデしたような茶褐色のスラックスで飾り気がなかった。 「密輸業者よりも、このリストに載っている人達を逮捕したらどうですか。自分のことだけ考えて平気で不正を働く、金権政治家や富裕層こそ大元の犯罪者でしょ」  楓はずけずけと言った。 「冗談よせよ。しがない刑事風情がそんなことをしようもんなら、体よく理由をつけて首にされるのがおちだ。権力、金力がものを言うこの世の中では、俺みたいな一刑事は無力な地虫みたいなもんなんだ。社会の支配者に逆らっても、踏み潰されて無駄死にするだけだ」  高見澤は根は正義感の強い男だが、考え方は現実的で割り切っていた。自分の懐の中でできる範囲で、正義を守ろうと努力する。しかし、粋(いき)がって手に余るとわかっているものを追いかけようとはしない。 「マサさんは正義の味方だと思っていたのに」  楓はぷっと頬を膨らませた。 「リストに載っているだけで、そいつらが主体的に不法な密輸に関わっていたことを立証するのは難しい。密輸業者に騙(だま)された被害者だって言われればおしまいさ」 「マサさんったら、初めからやる気がないだけじゃないですか」 「それに密輸は俺の管轄外だ」 「パトカーで暴走したり、フルオートの拳銃で犯人を蜂の巣にしようとしたり、あんなにやる気満々だったじゃないですか。それがリストのお歴々の名前を見て怖気(おじけ)づくなんて、情けないです」 「楓はそんなに俺のことを首にしたいのか?」 「そんなことは言ってません」 「俺には本業の怪奇事件捜査で体を張らなきゃならんことが山ほどあるんだ」  高見澤は両手を広げて、部屋の壁を埋め尽くした怪奇写真を指した。 「それはその通りだと思います。私もそのためにこのバイトをしてるんですから」 「捜査第一課も捨てたもんじゃない。リストのうちの何人かは挙げられるかも知れんが、俺たちが深入りする話じゃない。それよりも身内の中に怪しい奴がいることのほうが、よっぽど問題だ」 「身内って誰のことですか?」 「お前だよ」 「私ですか?」  楓は目を白黒させた。 「あの時の楓の行動を振り返れば、犯人達と共謀していたとしか思えない点が多々ある」 「どうしてですか」 「俺の目は電子義眼じゃないが節穴でもないぞ。楓は撃たれて倒れていた警官を、見もしないのに、弾が急所を外れていることを知っていた。それに密輸のブツが入っていたブイを発見したのも楓だった。こんな不自然なことを、俺が見逃すわけがないだろう」 「私は目が見えないので、その分その他の感覚が鋭いんです」 「それに俺の許可なく、ハンドマイクで犯人に呼び掛けたりして、あれは職務妨害だ」 「短機関銃を撃ちまくりたかったマサさんのほうが、過剰防衛だと思いますけど」 「客観的な状況証拠からして、楓が初めから密輸事件に絡んでいたのではないかと疑わざるを得ない。万が一にも俺っちのバイトが犯罪に関わっていたなんてことがあってはならんのだ。職務質問するから、ちょっと取調室へ来い」 「えーっ、逮捕状も無しに取調ですか?」  口答えしたが、高見澤は無視して席を立って部屋を出ていってしまったので、楓も追いかけてついていった。  取調室は窓のない圧迫感がある部屋で、楓は中に入るのは初めてだった。  高見澤と楓は、どっしりした木のテーブルを挟んで、向かい合って座った。容疑者を威嚇するために刑事が天板をばんばん叩いても、ちょっとやそっとでは壊れそうにない頑丈なテーブルだった。 「まず聞くが、何故弾が急所を外れているとわかったんだ。自分が撃ったのなら当たり所は察しがつくだろうが––––––」  高見澤は楓を睨(にら)みつけて言った。 「音が聞こえていたんです。心臓の鼓動はしっかりしていましたし、呼吸もしていました。胸とか頭を撃たれていたらそうはいかなかったでしょう」 「何だって!お前そんなに耳がいいのか」 「眼が無い分、耳は犬とか野生の動物並みだと思ってください」 「なんて奴だ––––––」 「匂いも嗅げますよ」  楓は鼻をくんくんと鳴らした。 「マサさん昨日お風呂に入らなかったでしょ」 「ええっ、俺臭うか?」  シュッシューッ  楓がガラスの小瓶を手にして、オーデコロンを高見澤に振りかけた。 「エチケットですよ」  酸っぱい柑橘系の香りが取調室の中に漂った。  高見澤は深呼吸して香りを吸った。 「いい香りだな。それはそれとして、えーと、そうだ。なんで勝手にハンドマイクで犯人達に降伏を呼び掛けたりしたんだ?」 「ハンドマイクがパトカーの中にあるのは知っていたし、あの時はあれが一番正しいやり方だったからです」 「そうなんだよ。あれは極めて正しい対処だった。むしろそれが怪しいんだ。あんな危険な状況で、咄嗟に正しい判断をし、実行に移すなんて、予備知識のない素人にはできっこないことなんだ。即ち、楓はもともと犯人とつるんでいて、意図して奴らが殺されないように手助けしたとしか思えない」  高見澤は断定的に決めつけた。 「私は眼が無いですが、その分けっこう人の心が読めるんです。犯人は凶悪な殺人犯タイプではなくて、意外と臆病だって直感でわかったんです。それにあの時、マサさんみたいな強面(こわもて)の人でなくて私が呼び掛けたほうが、犯人も安心してこちらの言うことを聞きやすいと思ったのです」 「楓ってなんだか霊感者か超能力者みたいだな––––––」 「ただのバイトですけれど––––––最低賃金の。でも一応怪奇事件捜査専門の刑事の助手ですから霊感が働くのはいいことでしょ」  楓は胸を張った。 「人の心が読めるってどの程度詳しくわかるんだ?」  高見澤は仕事柄、霊感者や超能力者も扱っていたので、楓が全く荒唐無稽(こうとうむけい)な出鱈目(でたらめ)を言っているとは思わなかった。 「いい人か悪い人かとか。正直に話しているか嘘をついてるかとか。好きか嫌いかとか」 「確かに面と向かえば、本物の霊感者ならそれくらいのことは読み取れるだろう。しかし、相手とは距離があったし、倉庫の中にいて顔も見えなかったじゃないか」 「五十メートル範囲内なら霊感が届きます」 「それは霊感者にしても凄いロングレンジだな」 「たった今、私は占い師になったほうが、最低賃金のバイトをしているよりいいかも知れないと思い始めました」  楓はまじめな顔で言った。 「それとあのブイの中にブツが入っているのを見抜いたじゃないか。人の心を読む霊感者はいないことはないが、遮蔽されたモノを透視できる超能力者なんて滅多にいるもんじゃない。あれは予め知っていたとしか思えないぞ。犯人と協力していた強い疑いがある。状況証拠だけで、逮捕状は簡単に取れるぞ」 「そうですね。それは疑われても仕方ないと思います。私を逮捕してもいいですよ。それでマサさんのお手柄になるなら」 「馬鹿言うんじゃない。俺の眼をよく見ろ」 「こうですか?」  コンタクトをしていても虹彩(こうさい)に微細な星屑のような光が瞬いている。神秘的で底知れない眼に吸い込まれそうな感覚を覚える。 「俺がもう一つ疑ったのは、楓のその電子義眼だ。その電子の眼でブイの中を透視することができたんじゃないかと思ったんだ––––––俺は楓を犯人にしないために色々な可能性を考えてやっているんだ」 「そういう便利なことができればいいんですけど。でもマサさんが私を犯人に仕立て上げたいと思ってないのは嬉しいです」  その時高見澤の携帯が鳴った。 「はい、高見澤です」 「あー森田だ」  ––––––部長刑事の森田の銅鑼声(どらごえ)は、携帯からまる聞こえだった。 「昨日は大変なお手柄だった。捜査一課からも礼を言われたぞ。怪奇捜査と関係ない専門外だったが、よくやってくれた。ついては捜査一課と協賛で特別ボーナスを出すことにした。五万円ぽっきりだが、表彰金だ。給与口座に振り込むようにしておく」 「あ、ありがとうございますっ。表彰金なんて思いもよらんかったです」 「電子版の表彰状は後で送る。それと夜中に女の子をパトカーで連れ回している職務規律違反は、今回は大目に見てやる」  森田は品悪く笑って電話を切った。 「マサさん、やりましたね!お手柄ですよ。よかったじゃないですか」 「まいるなあ。俺は何にもしなかったし、実は全部楓の手柄なんだけどな」 「じゃあ表彰金、私にくださいますか?」 「いいや、この仕事これくらいの役得がないとやってられないよ。安月給なんだから」 「マサさん、見損ないました。もう少し太っ腹だと思ってました。私なんか最低賃金でこんなに頑張っているのに」 「まあ密輸業者との共犯の疑いは水に流してやるから」 「表彰金をもらえると、取調なんかどうでもよくなるんですね」 「全部ひとり占めにはしないさ。今度楓をいいところに連れていってやるよ––––––赤提灯にでも。焼き鳥でいいだろ?」 「私肉類駄目なんです」 「えーっ、そうだったのか。今まで知らなかった」 「一度も何もご馳走になったことがないですからそうでしょう」 「じゃあ鮨は?鮨ならいいだろう––––––回転してるほうの」 「すみません。魚も駄目なんです。基本的にベジタリアンなんです」 「なんと菜食主義者か。それはまいったな。それじゃあケーキはどうだ?」 「ケーキには『眼が無いです』–––––駄洒落です」 「そうか。じゃあとっておきのカフェがあるから、今度連れていく。OK、職務質問はこれにて終了だ。俺はちょっとここで用事があるから、先に席に帰っててくれ」  そう言われて楓は席を立ち、胡散臭(うさんくさ)そうに高見澤のほうをちらっと振り向きながら、取調室を出ていった。  ––––––楓は相手が嘘をついている時は霊感が働くのだ。  
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