プロローグ

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「一ノ瀬透吾君だね」 中学校からの帰りだと思わせるほど、学生服をきっちりと着こなしている男の子ーー透吾に声を掛ける。 唐突に、フルネームで名前を呼ばれたせいだろう。透吾は無遠慮に、胡乱な目を向けてくる。 「誰?」 不機嫌な声は、警戒心の表れ。前を向いているのに、今にも踵を返しそうなほど、意識は後ろに向けられている。 彼の中で俺は、不審者扱いなのかもしれない。悪いことではない。人に対して警戒心を持つのは、育ちの良さを意味している。 微笑を浮かべて歩み寄っても、和らげるどころか、色濃くさせてしまうだけ。そう判断した俺は、自分の背後にそびえ立つ、十五階建てのマンションを指差した。 「このマンションの七〇三号室に住んでる、天條怜於だ。君とは一回か二回、会ったことあるんだけど、覚えてないか?」 「……」 「覚えてないのか。悲しいな」 透吾の目線が左上に動いたのを、俺は見逃さなかった。思い出そうと試みた。が、記憶になかったのか、僅かに眉根を寄せた。 思い出せないのも無理はない。 俺は、透吾と会ったことがない。初対面は、露骨な警戒心を抱いている真っ最中。 だが、透吾と顔を合わせた経験はなくても、透吾の母親、一ノ瀬多香子とは親交がある。 同じマンション『SkyBlue』に入居している。俺は七〇三号室、一ノ瀬家は三〇一号室。 階が違うせいもあり、顔を合わせる機会は多くはない。だがエントランスや近所のスーパーで会えば、立ち話をする程度の仲ではある。 年齢、職業、趣味嗜好、特技。知人の一人に含まれるほど俺は多香子を知っていて、多香子も俺を知っている。 彼女の一人息子が、中学二年生、水泳部に所属している十四歳の一ノ瀬透吾。 「……何の、用?」 警戒心は消えていない。それでも素性を明かしたのが功を奏したのか、踵を返す気配は感じない。
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