願わくば、弦音の響く的前で。

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 夕陽が柔らかく道場に射し込んでいる。緊張と静寂に満ち満ちた道場では、ゆったりと微々たる埃が舞っており、わずかな衣擦れの音もいつもより大きく響いていた。さりさりと足袋の蠢く気配など、極限まで神経を研ぎ澄ませた世界から抹消する。代わりに、肘や鎖骨に意識を向け、弓手は上押し、妻手は引きすぎないように。先輩から耳にタコができるほど言われ続けた助言を反芻しながら、的を狙う。会は最低三秒以上。そして――!  ドス  弦音が響いたと思えば、返ってきたのは安土に刺さったと告げる小さな音。下唇を噛みながら、残心を三秒以上。ゆっくりと弓を下ろし、大前の体配に則って的前から退出した。 (……一中か)  一中とは、四本打って一本のみ的に(あた)るという全くもって芳しくない結果のことである。立ちと呼ばれる、いわゆる試合、それも部活内でやる小さなものでこの結果。緊張するはずもないのに、調子悪いせいか的に矢が中らない。  高校生になり、弓道部に入って約六ヶ月。最初こそ一年生の中で一番上手い、天才と持て囃されていたものの、今ではそこらへんに埋もれるような技量しか持ち合わせていない。 (それに比べ)  カンッ!  甲高い音がしたので顔を上げれば、東雲花純(しののめかすみ)が矢を中てていた。  東雲花純は、最近私を的中率で追い抜かした同級生だ。見事な濡れ羽色の髪には虹色の光が滑り、肌は透明感のある白磁のよう。長い睫毛に縁取られた黒目は大きく、かなりの美人と称される人物である。おまけに成績もよく人柄もいいときた。落ちの体配に則り的前から退場する動作も美しく、洗練されている。凛とした顔から一転し、ふわふわした嬉しそうな笑顔になるのも愛らしい。 「何中?」  私の隣で、弓掛けと呼ばれる硬い手袋を外す花純に尋ねる。 「三中」  所属しているグループが違うため、それほど親しくはない仲だが、話しかければ気さくに返してくれる。 「二本目で外しちゃった」 「それでも凄いじゃん」 「んー、でも今日調子いいからなぁ……皆中できるかなって思ってたから、ちょっと残念」 「あはは……何それ、嫌味?」  四本打って四本中てるのは皆中と呼ばれ、やれば拍手が起こる。三中と言えば、四本打って三本中てた、いわば皆中に近い成績だ。一年生でこれなら十分だろうに。思わず棘のある言い方になってしまう。 「ち、違う違う!ごめんね、そういう意味じゃなくて……」 「こっちこそごめん。冗談だよ。さ、矢取り行こ?」 「……うん」  弓掛けを袴のポケットに仕舞うと、サンダルに足をつっかけ、矢を回収する作業に向かった。 (……ほんっと)  嫌味にしか聞こえない自分が、嫌になる。
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