living doll 序章

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「さてっと」  時計を確認した優輝は、机の前に座りパソコンのスイッチをいれた。すぐに画面は立ち上がり、デスクトップにはアニメ絵の美少女が映し出された。少し前に流行ったアニメのキャラであるが、優輝の理想の女の子であった。  優輝はいわゆるオタク趣味をもっていた。そもそものきっかけは、姉と一緒に見ていた美少女たちが活躍する活劇的なアニメーションであったが、毎週のようにアニメを見ていた優輝は、そこに痛快さ以外の物も感じていた。  恋といえば大げさなのであろうその感情は、こんな女の子とともに毎日を過ごせたら――そんな、自分でもあり得ないと思うような憧れであった。萌えといわれるなのかといえば、言葉の定義が広く曖昧すぎる気がする。それならば愛しているのかといえば、頷ききれない優柔不断な自分がいた。  いつかほかのアニメのキャラクターに心変わりするだろう。優輝自身そう思っていたが、このキャラクターにはアニメを見始めてからはや数年、心変わりなどすることなく、どんどんのめり込みすっかり虜になっているのであった。  優輝は耳をすませた。下の階ではまだ洗い物が続いているようだ。咲が部屋に入ってくることはない。そう確認すると、画面に語り掛けた。 「おはよう、ルナ」  ルナ。画面に映っているキャラクターの名前である。パソコン画面に語りかけるなんていうあまりにもばからしいと自分でも思ってしまう行動が、優輝の中では日課になりつつあった。  やめなくてはという思いと、誰に迷惑をかけているわけでもない、という思いが半々にある。出会ってから数年、優輝はルナというキャラを心の中にひっそりとに宿し続けているのだ。  パソコンに声をかけ始めた折、天板がギシギシと音を立て始めた。優輝は天井を見上げる。ベッドの置いてある辺りの場所で、音はなり続けている。 「俺はルナに挨拶したんだぞ、お前が返事しないでいい」  ムスッとして天板に言う。木も草も虫も生きている。そんな風に考えている優輝には、色々なものに話しかける癖があった。ギシッ! と一際大きく天板がきしむ音がする。 「だから、返事をしないでいいって。それにしても、いつもより音が大きいな」  眉をひそめ立ち上がり、ベッドのそばまで歩く。良く見ると天板がギシギシという音とともにかすかに動いているように見えた。 「おいおい、だいじょうぶか、これ」  天板が崩れやしないかとベッドに目を落とすと、ルナのイラストの入った目覚まし時計が目に入る。優輝のお気に入りで、今はもう販売もしていないレアものである。 「とりあえず、危ないかもしれないからルナはこっちへ……」  そういってベッドに手を伸ばし目覚まし時計に手を伸ばした瞬間、バキッ!と天板の破れる大きな音がした。その音に優輝が顔をあげるよりも先に、優輝の身体に何か柔らかく大きいものが勢いよく覆いかぶさってきた。 「ご主人様ぁ!」 「うわっ! な、なんだぁ!?」  ずどん、という天板が抜けるけたたましい音とともに、可愛らしい女の子の声が背中の上から聞こえた。ふわりと香る甘い匂い。柔らかい感触が背中を動き回っている。 「なんだ! なんだなんだなんだ!?」  すっかりパニックに陥ってジタバタしている優輝。その背中にいる何かはぎゅうっと身体を押し付け、舌足らずな甘い声でまくしたてる。 「ご主人様ぁ。ずうっとずうっと会いたかったですぅ! お慕い申し上げております~!」 「わぁ! 誰だお前は!?」 「あ。いけない! あたしったらご挨拶もしないで!」  そういうと背中にのっていた物体はようやく優輝から離れた。態勢を立て直し振り返って優輝が見た先には、崩れた天板といくつかの散らかった雑誌。さらに転がっている人形。そしてベッドの上にちょこんと座っている、可愛らしい少女であった。 「えっ!? お前、いや君は、一体?」  優輝は目を疑った。目の前にいる少女。それは紛れもなく人間である。しかもなぜか裸だ。しかし、優輝が言葉を無くすほどに驚いたのは、その少女が裸であったことではなく、突然現れたその少女の容姿によるものであった。  長く伸びたふんわりとした銀髪。横の部分はきれいに編まれている。吸い込まれそうな大きな、うっすら緑がかった瞳。小さな口。色素の薄い白い肌。  その姿は毎日優輝がパソコンの画面越しに見ているアニメの少女、ルナそのものだったのだ。少女はちょこんとベッドの上で三つ指をつくと1度ぺこりと頭を下げ、顔をあげ笑顔で言った。 「この姿では初めまして、ご主人様。あたし、ルナと申します。ご主人様にこうしてお会いできる日を、ずっとお待ちしておりました」 「ご、ご主人様? それ、俺のこと?」 「はい! ご主人様はご主人様ですわ」 「な、なんで、俺がご主人様?」 「ご主人様! お慕い申し上げておりますわー!」  優輝の言葉を遮り、ルナと名乗った少女は裸のまま抱き付いてくる。いきなり目の前に現れた理想の少女の行動に優輝は混乱した。心臓が苦しい、鼓動がいつもの何倍もの速さでビートを刻んでいる。 「ちょ、ちょっとまって! お、落ち着いて、話をしよう!」  優輝は少女を引きはがし、呼吸を整えようとする。しかし、そんな優輝の心臓をさらに脅かす音がした。パタパタと姉の咲が階段を登ってくる音である。慌てて時計に目をやると、時刻はもうすぐ8時になろうとしていた。足音は優輝の部屋の前で止まった。  コンコン、と部屋をノックする音とともに咲の声がドア越しに話しかけてきた。 「優輝? さっきの大きな音はなに? それにもう学校行く時間よ。速く出てきなさい」 「お姉さんですか? あたし、もごっ」 「こ、こら! しっー!」  返事をしようとしたルナの口を大慌てで塞ぎ、優輝は叫ぶように返事をした。 「音は、あの、あれだよ! ちょっと転んじゃって! あー、もうそんな時間だっけー!?」 「え、転んだ? 大丈夫なの?」  ガチャ、とノブを回す音。優輝はドアノブに飛びつくようにしてドアを抑える。 「ちょーっと今は着替え中だから! 待って姉ちゃん!」 「なによ、着替えくらい今更。あと、誰かいるの? 今何か声がしたけど」 「あ~、これはね、ゲーム! そう、ちょっと今ゲームしててさ!」 「ゲーム? 今は時間無いんだからゲームは後にしてよね! 遅刻するわよ!?」 「了解! 今セーブするから!!」  小首を傾げる裸のルナに、必死にしっー! と唇に人差し指をあて合図をしながらドアノブを抑える姿勢に、優輝は我ながら情けなくなる。  しかし、今咲に部屋に入られてはなんと言い訳すればいいかなどわかりはしない。いや、そもそも優輝が何か言い訳をしなくてはいけないわけではないのだが、何せ状況が状況である。  ベッドには一糸まとわぬ、パソコンから抜け出したような美少女。そのうえ口を開けば優輝をご主人様と呼ぶのである。一体何をしたのかと詰め寄られ兼ねない状況だ。せめて優輝自身がこの状況を理解してから、咲に話をしたかった。  今のままでは、天板が壊れて上から裸の女の子が落ちてきた、としか言いようがない。少なくとも、自分が誰かにそんなことを言われれば相手の正気を疑うであろう。 「もうっ。とにかく、すぐに下に来なさいよね! 待ってるから」
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