2/6
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/36ページ
 私は毎夜、意識を手放し死んでおり、そして毎朝、意識を取り戻し蘇っている。さりとて夢の中で私は目を醒まし、これを誕生と呼ぶならば、夢が終わる頃に消失する私のことを死亡していると言い換えてみても過言ではない。  すなわち夢と現の狭間で生と死が見事に反転しており、もちろん私は正しい意味で死んだことなど一度もないが、意識の連続性を担保することこそが私にとっての生存の定義となるので必定そうなる。  夢に纏わる諸問題に頭を悩ませ、思いつきで始めた手記を書き進めていくにつれ、結局のところあらゆる不安の根源らしきものがその辺りにあるのだと私は確信した。  朝、目が醒めると、意識が現実に足を下ろした実感を得る。現実、という名の宇宙の表層に。その宇宙は夢に揺蕩う微睡みの中にあり、私は私の無意識を意識する。  そして私は目を開く。  スポットライトの許、煌々と照らされる高座には一人の噺家が鎮座ましまし、客席に詰め込まれたただの一般人に過ぎない私は、ただただ彼を畏敬の眼差しで見上げる以外に為すことがない。 「私の亭号にも使用している松、松竹梅の松ですが、これがめでたいものとして人々に知られている理由をご存知ですか。松は古来、寒い時期にも青々とした葉をつけ、また非常に寿命が長いことから、常盤木と呼ばれ、長寿延命の縁起の良いものとして親しまれてきたのですよ」  それだけ一生という有限の時間を、昔の人も意識していた訳です。と続き、 「松繋がりではありますが、かの有名な一休宗純も『門松は冥土の旅の一里塚』と詠んでおりまして。これは謂わば、お正月に飾る飾り松を、死へと突き進む時間の弓矢のマイルストーンに喩えているんですな。あるいは古典落語ではありますが、とても有名なので『寿限無、寿限無、五劫の擦り切れ』という一節くらいはさすがに皆さん聞いたことがあるでしょう」  ないという人が居るはずない。少なくとも今私が言ったでしょう。ないなと思った人はもっと他人の話を注意深く聞いたほうがよろしいと霧幻が毒づき、会場がどっと沸く。 「寿限無という言葉は読んで字の通り、寿命に限り無しという意味です。五劫の擦り切れもまぁ、似たような意味でして、悠久にも近い非常に長い時間を過ごせますようにという願いが込められているわけです。寿限無の名前の最後の方にある長久命も同様です」  長生きというのはなんだかんだ、それだけ願われるものだということです。その通り。
/36ページ

最初のコメントを投稿しよう!