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 朝、目が醒めると、意識が現実に足を下ろした実感を得る。私は今まで寝ていたのかと頭で理解し、ではさっきまでの出来事は夢だったのかと思ったところで、果たしてどこまでが夢だったのかの見当がつかないことに思い至る。  ここが一般に現実と呼ばれるものであることはわかる。わかっている、と思いたい。夢の中で夢を見て、その夢から醒めてみたという試しがないから、この着地感こそ現実に帰ってきた証拠だろうと考えている。時間の流れ方も非常に緩やかなもので、無駄を許容する感じに、いかにも現実という気配がある。総合的に鑑みて現実だという決断が下る。  それでいながら、夢の内容を思い出せない。いいや夢かもしれないという記憶はあって、しかしそれが本当に夢なのかそれとも実際の過去の記憶なのかの判別がつかない。私は記憶力に乏しく、過去に見た情報と、夢で見た情報がほぼ等しい強度を持ってしまう。どちらも現実じみた確からしさがありつつも、同時にひどくあやふやな不安定さがある。過去に見た夢は劣化の激しい場合が多い。  過去か夢かを見分ける指標に、物理法則というものが役に立つ。誰かが空を飛んでいたとか、誰かに尻尾が生えていたとか、そういうことをやってもらえるとこれは夢だと、この記憶は夢だと大いに気付く。  しかし夢の中でも物理法則が成り立って仕舞えば、こちらで記憶の正誤を確認することはとても難しい。現実で起こり得る夢──正夢でも逆夢でも何でもなく、脈絡の取れない、単に物理的には起こり得るだろうという夢──を見ただけで、こちらの認識は大いに狂う。  過去の記憶というのも大概適当で、母に服を着せてもらう子供の背中の記憶があったりする。その子供はもちろん私で、人は自分の背中を見れないのだから、当然これは誤記憶となる。誤記憶である割にはなぜか現実のような足元の確からしさがあり、これは現実に起こったことなのだろうとなぜか確信している。その第三者的視点がいつ挿入されたのかは定かでない。  友人と旅行した記憶があり、食事の席で話をすると、そこそこの確率で記憶が食い違う。私だけが食い違っているなら私の見た夢ということで決着を見そうなところ、私含め、友人たちは自分しか憶えていない記憶を話し出す。稀に他の誰かがそのことを憶えていて、「そんなこともあったものだ」と頷き合う。
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