繁栄せよ、とそれでも人は言う

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/1ページ
 担当官とのオンライン会議を終えた僕は、先輩とともに会議室を後にする。ニューヨークの国連本部にデスクを持つアメリカ人の担当官は、怒鳴らなければ話ができないのかと哀れになるほど終始がなり通しで、耳のランプもじつに景気良く灯っていた。あの様子なら一人でロックフェラーセンターのクリスマスツリーだって灯せるかもしれない。地球にやさしい、怒れる正義のヒーロー。  対する僕はというと、生来、頭に血がのぼりにくい性格で、いくら怒鳴られても詰られても、ああ、鬱陶しいなあとうんざりするばかり。この様子じゃまた月のノルマが未達で終わってしまう。それもこれも、実績欲しさに全ての公務員に発電量のノルマを課した前環境大臣のせいだ。まぁ、そいつは次の選挙で呆気なく落選しちゃったわけだけども。 「いやー、ほんと無茶言いますね、あの担当官。もっと国民の精神環境を向上しろ、でも発電量は維持しろ、なんて」 「WHOから何かしら介入があったのかもしれんな。だとしても、あの鈍重な組織が単体で動くはずがない。おそらく厚労省の……いや、さすがにこれは考え過ぎか」  僕の何気ないぼやきに、深刻顔で先輩が応える。経験上、先輩の〝考え過ぎ〟は良く当たる。最初は妄想の類に聞こえても、振り返ると実は的を射ていた、なんてことはざらだ。  まぁ、厚労省が我々の方針に横槍を入れたくなる気持ちはわかる。毎年毎年、あんな数字を突きつけられれば僕だってそうしただろう。 「ええと、仮に、仮にですよ。先輩の仮説が事実だとして……やはりネックは自殺者数ですかね」 「だろうな」  ここ十年、国内の自殺者数は右肩上がりで増加している。  その傾向は、我々が今のエネルギー政策を本格的に執りはじめてから特に顕著だ。実際、因果関係を示す科学的なエビデンスはいくつも挙がっていて、だからこそ、国民の健康を預かる厚労省としては、どんな手を使ってでも我々の政策にメスを入れたいのだろう。  だが、我々には我々の使命がある。  ただでさえ天然資源に乏しい我が国を、何とか先進国の地位に留め置くには何を置いてもエネルギーが必要だ。が、昨今の世界的風潮では化石燃料も、それに核燃料も使用を控える流れにあり、さりとて福音であるはずの自然エネルギーは、こと日本においては、地理的条件から産業を支え得るほどの量は確保できない。八方塞がりの状況で、辛うじて我々が飛びつくことのできた新時代のエネルギー。それが〝怒り〟だった。  今から二十年ほど前、アメリカの某生化学メーカーが、人間の感情、とりわけ怒気を電気エネルギーに変換することに成功した。環境にやさしく、何よりコストは限りなくゼロに近い。そうした理由から、この発電方式は瞬く間に世界を席巻し、日本でも、今や総発電量の三分の二を担うに至っている。人々は耳に補聴器型の発電機を装着し、それに拾わせた〝怒り〟を機械の中で電気に変換、任意の蓄電池に無線で送電する。蓄電池は民間企業が管理し、月々に送られた電力量に応じて契約者に買取代金を支払う仕組みだ。  契約者は年々増加し、それに比例して〝怒り〟の総発電量も伸びつつある。飛車角を奪われた日本が今なお先進国の地位にしがみついていられるのも、この、元手不要の次世代エネルギーのおかげだと言っても過言ではない。  たとえそれが、国民の生命と幸福を対価に得た地位だとしても。 「……経産省(われわれ)だって、決して人命を軽視しているわけじゃないんですよ」 「だが結果として、自殺者は増えている。自殺者だけじゃない、離婚率も、それに精神科への通院率も……当然だ。四六時中腹を立ててばかりじゃ誰であれ心が壊れてしまう。しかし、俺達の政策は国民にそうした生き方を求めているんだ。買取代金という分かりやすい餌だけじゃない、メディアを用いたヘイトの増幅。広告会社にも、できるかぎり怒りや憎悪を掻き立てるCMを製作するよう指導もしている。これだけ群集心理に手を加えておいて、人命を軽んじていない、は通らないだろう」 「……っ」  反論の余地もなかった。いくら綺麗事を口にしたところで、我々の手はとっくに血みどろに汚れているのだ。  そうとも、今やこの社会は綺麗ごとだけでは立ち行かない。有史以来、人は多くの幸福を手放しながら文明人としての快適な暮らしを手に入れてきた。そして今、我々は経済的な豊かさを維持する代償に心の自由を手放そうとしている。その笛を吹くのが僕たちの役目なら、当然、それに伴う罪も背負っていかなきゃならない。  理不尽だ、と思う。  どうして両立できないんだろう。どうして、幸福と未来はトレードオフなんだろう。どうして僕らは、いつだって大切なものを捨てさせられるんだろう。どうして。 「怒ったか?」 「えっ」  すると先輩は、自分の耳元にある発電機を指先でこつ、と叩く。 「光っているぞ。お前にしては珍しいな」 「あ、いえ……すみません。先輩に怒ったわけじゃないんです。ただ…………すみません、うまく言語化できないです」 「そうか、じゃあ、無理にしなくてもいい」  思いがけずあっさり受け流すと、先輩は到着したエレベーターにさっと乗り込む。慌てて追いかける僕。一階のボタン押すと、早速モーターが唸りを上げ始める。このエレベーターの動力も、誰かが抱いた怒りを動力源に動いているのだろう。ビルの室内を照らす明かりも、自動ドアのモーターも。 「そういう先輩はーー」  いつも怒ってますよね、と何となしに言いかけて僕は言葉を呑む。昼となく夜となく、常にひっそりと輝く先輩の耳元のランプ。でも、実際に話してみるといつだって物静かで、怒りなと微塵も感じられない。おかげで部署内では、先輩の発電機は壊れているんじゃないか、と噂されていて、でも僕は、それは違うと密かに思っている。  この人は、本当に怒っているんだ。いつでも。  その怒りが、何に対してかは教えてくれないけど、でも。 「……大臣への報告、だるいですねぇ」 「終わったら昼飯奢ってやるから、もう少し我慢しろ」 「はい」
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!