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朝八時になると、仕事に行くためにママはひとりさっさと起きて、太ましい身体をどすどす、ふうふうと動かしながら、自分用に大量の朝ごはんを作りはじめる。キッチンには、私へのあてつけみたいに油っこいにおいと、大量の洗い物が残されるが失業中であるがゆえに仕事へ逃げられないわが身をなげきつつ、毎朝片づけてため息をつく。
ママは、本当に手際が悪い。
毎日、毎日同じメニューを作っているのになぜ成長しないのかがむしろ感心してしまうほどだし、専門家から見ればもしかしたら研究材料にでもなるんじゃないかしら。なんて、棚上げるするようだけど。
大げさねえ、ってママは言うけれどもあながちそうでもない。
シンクはまるで初めてご馳走を作ったか、もしくは好きな子にあげようとお菓子作りに大奮闘した子供みたいな、手際の悪さを見せつける名残がぐちゃぐちゃと積み重なっている。
例えば、こげついたままのフライパン。
例えば、バターがべとべとについた菜箸。
トマトの赤い汁がついたままで放置されて、色素が沈着しそうなまな板。
コーヒーをいれようとして、毎回失敗するペーパードリップのぐじゃぐじゃになった、吸い殻でもふみつけたような残骸。
掃除して、片付けているとたちまちお昼になる。
それなのに「ありがとう」のひとこともなく、ママは見て見ぬふりして「ああ疲れた、役職があると責任がともなうから」と見て見ぬふりして、帰ったらすぐに洗面所で、大音量のうがいを何度もする。水回りはきれいにしないとなんて口ばっかりで、そこを掃除するのも私。ああ、ばからしい。なにも言えない状況も、それからなにもできない私の中途半端さも。
もしかしたら職場でも、ママのゴミ箱やデスクはこんな感じで、ゴミだの書類だの、あとはメールを印刷したものとかがまるでエベレスト状態で積み重なったり、ぐちゃぐちゃに詰め込まれたりして、誰も近づきたくない雰囲気なのかなとつい想像してしまう。気が利かない、なんて怒っても自分じゃ絶対動かない。きれいにしない。ぶつぶつ言いながら片づけてくれていた、パパやおばあちゃんのほうがまだましだ。
注意すれば、変な持論がレスポンスされてくるからそれもうっとうしい。
ママのスタイルじゃないんだもん。
周りがしてくれることでしょ、こういうのって。
自分からやったら負けよ。梅田みたいになるわよ。
梅田梅田梅田。
ああ、また始まったと私は耳をふさぎたくなる。
朝がくるたび、そんなことを反芻してベッドでもそもそ動く自分も傍から見れば、面倒くさいし、いらいらされそうだけど……。
こういうところが、私の悪いとこなんだろうか。
小野寺が指摘してきたように、私の生きる価値を下げて、仕事をする人間として「ふさわしくない」やつにしているんだろうか。
いや、やめよう。小野寺のこと考えるの。
あいつは別物じゃないか、どちらかと言えば、自分勝手でごり押しで、声だけが異様に大きくて、ステレオタイプに面倒だ。
私とは違う。
たぶん、ママの言っている相手とも。
階下からぶわぶわと、脂っこいにおいが部屋に入り込んでくる。
うえ、と胃がよじれだす。何も食べていないから、胃液しか出ないし、吐いても苦しいだけなのに。口の中には、嫌な生唾がたまっていく。
ちなみにママの朝ごはんは、いつも同じ。
バランス悪いよと注意したら「あら失礼だこと、これはモーニングルーティンよ、ママの」なんて格好つけられてしまった。
ぼいん、と大きく膨らんだお腹を張られて。どすこいどすこい、はっけよいという感じで。きっとたぶんおへそも、どこにあるかわかんないし、トイレも一苦労そうなお腹はママには失礼だけれども年齢のせいで、だんだんと垂れ下がってきている。矯正下着のパンフレットがたまに玄関ポストに入っていると「失礼ねえ」とか言いながらチラチラ見ているし、どうやら気にしているようだ。対策はしないけど。
ママの朝ごはんは、私からすれば、モーニングルーティンだとかいうそんなおしゃれな言葉を使うにふさわしいようなメニューには見えない。ビジュアル的にも、栄養面的にも。
だってすごくしつこそうだし、べたべたと肌にまとわりつくようなにおいをさせるメニューばっかりで、テレビに出て偉そうな、難しそうなことばかり言っているお医者さんたちが見たら「なんだこれ!」と叫んで、一瞬で気絶してしまいそうだ。
例えば砂糖たっぷり、マシュマロ山盛りのホットチョコレート。
その横には厚切りトースト。しかもバターをべたべた、これでもかと塗ったうえに、黒ゴマきな粉とはちみつを練り合わせたものをこれでもかと重ね塗り。塗りすぎてレジン加工みたいに盛り上がっている。
野菜もとらなくちゃと言って、申し訳程度にガラスの小鉢に盛られたくし形に切ったトマトは、泳げそうなぐらいオリーブオイルをかけられ、そこへ岩塩とパルメザンチーズがばさばさふりかかっている。
メインはバターとオリーブオイルを、たっぷりフライパンに溶かして、じゅわじゅわと焼いた目玉焼き四個とカリカリベーコン。
ちなみに育ち盛りの子供も、フードファイターも我が家にはいない。
私が半分食べるっていうことでもない。見るだけで、嗅ぐだけで嫌悪感を抱かせる食事なんて、好き好んで食べたくないし。
つまりこれらは全て、ママのお腹に吸い込まれてしまうというわけだ。
もちろんランチは食べないという選択肢などなく、職場近所にできたファミレスでがっつりと大盛りパスタを平らげて、チョコレートパフェも忘れないらしい。これぐらい食べないと、午後はもたないのよなんて言い訳して。
見ているだけで胃もたれしそうで、私はあまりママの朝ごはんには付き合いたくない。どうせ食べられないし、食べたくないし、食べられるようにも見えなくなってしまうから。ママには悪いけど。
作り終わるとママは「ああお腹すいた」と、パステルピンクに大きな青い花のプリントがどかどかついたシミだらけのエプロンをとって、椅子の背もたれへくしゃくしゃのままかけて、どかっと腰掛ける。
好きなものばかりがテーブルに並び、大音量でテレビからワイドショーが流れると、意地汚いモッパンみたいなママの朝ごはんが始まる。
言い訳じみているけれど、スマホで見るモッパンは嫌いじゃない。食べたことはもちろん、見たことのない料理が出てきてびっくりさせられるし、食べている配信者も可愛い女の子や、まあまあイケメンな男の子が多いから不快感はない。たまに大食いみたいなので、ずるずる飲み込むように、もとい吸い込むように食べている配信者はいるけれど、ママほどじゃないから、まだましに見ていられる。どんな味かとかもレポートしてくれるから想像できて、むしろ楽しい。
テーブルだって、食器だって綺麗だし。
我が家と比べて清潔感も、ちゃんとある。
スタジオでも借りているのかもしれないけれど、それでも清潔感があるから好感も持てる。
それに比べて、我が家は安っぽいし、毒々しい。
ママが気に入って、大型家具店で衝動買いしたテーブルはおそろいの椅子もついたダイニングセット。ここまではごく一般的な流れだが、そうはいかないのが私が存在している日常だ。
派手さやかわいさを重視するママが選んだカラーは、なぜか鮮やかなショッキングピンク。お店じゃないんだよって反対したけれど「可愛いじゃないの、この方が。ねえ」と苦笑いする店員さんにゴリ押しして、あれよあれよと言う間にクセの強いダイニングセットの会計が済まされてしまった。
綺麗に使わないと、なんて言っていたけれどそんなことはママにとって口だけでしかない。すでに使用三日目で、話す時バシバシと手のひらでテーブルを叩くママの仕草が災いして、細かい傷がいくつもついて塗装もだんだんとはげていった。
椅子には食べこぼしたシミで汚れたままのチェアクッションがそのままだし、足元には埃がからまっている。一日おきにむしり取っているのに、どこから集まってくるんだろう。嫌になっちゃう。私のもやもやした心みたいで、余計むかつくし、嫌になる。
「……うるさい」
もぞもぞと、ベッドの中で半分寝ている頭にがちゃがちゃ、ごちゃごちゃ、ばたばたというママのにぎやか、むしろやかましい音が聞こえてくるせいで階下の風景を想像してしまい、胸がムカムカしてきて、ひとりごちてしまった。
どっちみち、私は食べないから関係ないのに。
大量の洗い物を片付けさせられるなんて、納得できない。
自分でやっても「ママには仕事があるし、あんたは失業中なんだからいいじゃない」と丸投げするし「お片付けなんてママのスタイルじゃないからやりたくないわ、そういうのは梅田みたいな地味で馬鹿な女の仕事よ」なんてまたまたわけわかんない持論が口から吐き出されてくる。
作るのもママだけ、食べるのもママだけなのに。なんかずるい。
というか今の私には食べられないし、食べたくないのに。
いや、言い方を変えよう。表現はだいじだ。
国語の授業で、もといいろいろなシチュエーションで学んだはず。
ママと一緒だと、食べられない。
ママと一緒だち、食べられるものがない。
うん、これで正解だ。
ちょっとだけ満足して、ベッドの中でうんと伸びをして、カーテンから透ける朝日恨めしく思いながら、天井を見上げた。
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