泡沫の情人

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 決して安い金額ではないが、佑月に対する誠意でもあった。  凝った首や腰を温泉で癒やし、兵藤は部屋へと戻る。  佑月を待ちながら、夕食に舌鼓を打つ。  女将が特別にと、松茸を焼いて出してくれたので、有り難く頂いた。  最後の晩餐になるかもしれないと思うと、何もかもが恋しく感じてしまう。  もう一泊したいという気持ちもあったが、これ以上此処にいた所で、自分の気持ちが揺らぐだけだった。まだ、佑月が引き留めてくれたり、少しでも悲しい顔をしてくれたのならば、考えも変えただろう。だが、今の所そんな様子は見受けられなかった。  食事を終えて、膳が下がった所で、佑月が現れる。さっきとは違って、高価そうな仕立ての良い白地の着物を着ていた。 「大丈夫か? 疲れてるんじゃ無いのか?」  さっきまで絵を描いて、それから座敷を回っていたのだ。少し疲れて見えるのは、気のせいだろうか。 「別に。いつも通りだけど。それより、あんたの方が疲れてそうじゃん」  佑月が腰を下ろして、三味線の準備を始める。 「同じ体勢なのは、意外と苦心すると始めて知った。だが、良い経験にはなったな」 「そう……ならばこれからは、人物画のモデルに敬意を持てるんじゃない」  それから撥を弾き、三味線を弾き始める。  あまり会話の無いまま始まった演奏に、兵藤は少しだけ首を傾げる。何だかいつにも増して、冷たいように感じたからだ。  だが、それも仕方がないことかもしれない。もう得意客にならない相手に、いつまでもかまけてはいられないのだろう。  胸が痛くなったが、兵藤はそれを口にはしなかった。  佑月は数曲弾くと、いつものように最後は泉田の好きだった曲で締めた。 「何か弾いて欲しい曲はある?」  珍しい問いかけに、兵藤は少しだけ驚く。
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