バカしかいねぇ殺人事件

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バカしかいねぇ殺人事件

 雪山のペンションは悲痛な空気に包まれていた。本来であればスキー客が和やかに談笑する所を、今ばかりは嗚咽が聞こえるばかりだ。談話室に煌めく無機質な蛍光灯が照らし出すのは、鮮血で赤黒く染まる男だった。 「背中をひと突き。これはもしかすると……」  くたびれた帽子にスーツ姿。近代値(きんだいち)鳳雛(ほうすう)は倒れ伏した男の側で呟いた。 「おいキンダイチさん。アンタは警察か何かかね?」  たしなめたのは真玄(まぐろ)という名の中年男性で、真っ赤に染めた口元を歪めながら言った。 「いえいえ。まぁ、警察にお友達は多いですがね。本職じゃあありませんよ」 「ふん。素人が気取るもんじゃないよ。こういう時はプロに任せるべきだ」 「そうですよ。粗末に扱うと死者の霊に取り憑かれて不幸になりますよ」  賛同の声は多い。気を良くしたマグロ氏はスマホを手に取ると、すばやく指先を動かした。そして端末が抑揚のない声で「23時10分をお知らせします」と辺りに響かせた。 「あと10分で来るそうだ。それまで大人しくしておけよ」 「もちろんですよ。皆さんも現場にはお手を触れないように」  それから一同は談話室を出て食堂に集合した。殺人事件に巻き込まれるなど、おおよその人間は未経験である。老婦人は身を震わせて怯え、女子大生の2人組や異国風の青年も無言となり、ただ時計が刻む音を聞き続けた。しかし待てど暮らせど警察は来ない。いつしか皆は居眠りをはじめ、夢の世界へと旅立ってしまった。  やがて柱時計が昼の12時を告げる。時計が奏でる小気味良い音曲は、爽やかな目覚めを与えてくれた。 「ふわぁぁよく寝たなぁ。でもなんで食堂で寝てるんだろ?」  キンダイチの声に他の者も目を覚まし、特にオーナーは目を白黒させて騒ぎ出した。 「ああ、皆様すみません! 朝食のご用意どころか昼食も間に合わず!」 「良いんですよ小名田(おなだ)さん。全員ネボスケだった訳ですから」 「オーナーさん。何でも良いから早くして、もうお腹ペコペコだよ」 「分かりました、とにかく急ぎますんで!」  オナダは固定電話を手に取るとダイヤルし、早口で告げた。かき揚げウドンを8人前、小名田ペンションまでと。 「さて、どうですか。リバーシでもやりませんか? 昼食まで暇でしょう」  善意から提案したキンダイチだが、周りの客たちは首を傾げた。 「リバーシって何だっけ?」 「あれじゃない? 役を揃えてロンってやつ」 「違いますよ。お互い白と黒に分かれて、どっちが早く盤面を埋められるか勝負するんです」 「へぇ、だったらアタシ得意だよ。反射神経には自信があるもん」 「ミホちゃん卓球部だもんね」 「あはは。お手柔らかに頼みますよ」  そうして談話室にやってきた一行は異変に気付く。現場は昨夜と変わらず、死体が横たわっている事に。 「あぁ何て事だ、阿久樋(あくどい)さん!」 「そう言えば死んでるんだった!」 「なぜ警察はまだ来ないのか、あの税金泥棒め!」 「ねぇ皆、あそこにパトロール中のお巡りさんが居るよ、話してみようよ!」 「警察とお巡りは別モンだろうが。これだから最近の学生は頭が悪くて困る」 「似たようなもんでしょ、文句言わない!」  こうして事件は明るみになった。マグロ氏の言う「プロ」の手によって事態は進展を見せたのだ。科学捜査班が現場を調査する間、場所を食堂に移し、刑事によって事情聴取が開始された。 「ええと、被害者の死亡推定時刻は27日の午後9時から9時半の間と。あれ、今日は何日だ?」  刑事が胸元を探り、続けてポケットをまさぐるが、手帳は見つからなかった。業を煮やしたマグロ氏が苛立ち気味に言った。 「今日は26日だ。日めくりカレンダーで確認した、間違いない」 「これはどうもご丁寧に。今日は26日なので、被害者が亡くなったのは……」  この時、キンダイチに衝撃が走った。これまでの事実を鑑みると、信じがたい結論に辿りついたからである。 「待ってください。今日は26日、殺されたのは27日。つまりアクドイさんは未来で殺されたという事になります!」 「な、何だってぇ!?」 「私も非現実的だと思いますが、そうとしか考えられません」  あまりの言葉に全員が息を飲んだ。しかし唯一、異国風の青年だけは含み笑いを見せ、やがて高らかに笑い出した。 「アッハッハ、これは愉快だ。キンダイチさん、そんな推理を披露して恥ずかしくないんですか?」  彼の名はジャン・アルフレッド・田吾作と言い、父祖の血が濃いせいか、東洋人とは異なる風貌だった。それよりも刮目すべきは彼の知能だ。なんとIQ18という驚異的な数字を叩き出した事のある人物で、知る人ぞ知る才人なのだ。その知性はこの場においても如何なく発揮される。 「タゴサクさん。そんなに面白いシーンがありましたか?」 「今日が26日だって? バカバカしい。良いですか、今日は28日ですよ。だからアクドイさんは昨夜にこの世を去った事になるんです」 「なんだと! 日めくりカレンダーが間違っていたとでも言いたいのか!」 「僕はねぇ、毎週金曜にアナウンスされるようにアプリを活用しているんですよ。大好きなアニメを見逃さないためにね」  タゴサクが見せつけた液晶には大きく、29日(土)と表示されていた。これには周囲も唸り声を上げるしかない。 「キンダイチさん。アンタの推理、これで崩れたね。何か言いたい事は?」 「いやぁ別に。犯人が見つかった訳でも無いですしね」 「ふん、まぁ良いさ。どっちが上か証明する機会は他にもあるはずだ」  ひとしきり盛り上がりを見せたところで、引き続き刑事が進行を促した。話は事件当時について触れられる。 「鑑識の報告によりますと事件当時、談話室の窓は開いていたそうです。ちょうど大人ひとりが通り抜けられるくらいの」 「このクソ寒い中、どうしてそんな事を」 「さぁてね。そして談話室のドアですが、鍵が掛かっていたそうですね?」 「はい。9時前には閉めるようにしてますんで。あの夜も同じく施錠しました。でもしばらくして、忘れ物があったのを思い出したので開けてみたんですが、その時には……」 「事切れていたと」 「恐ろしい事ですよ、ええ」 「刑事さん、ちょっと良いですか?」 「何だねアンタは」 「キンダイチって言いましてね、まぁ名前なんかどうでも宜しい。これは密室殺人というものでは?」 「み、密室殺人……!?」 「野良猫ならいざ知らず、人はドアから入るものです。しかし事件当時、ドアは施錠されていた。これ即ち……」 「す、すなわち」 「完璧な密室が完成するのですよ!」  皆は衝撃を受けたように黙りこくった。密室殺人。なんておぞましい響きを持つ言葉なのか。そんな中で静寂を破ったのは刑事の言葉だ。事件がまきちらす恐ろしさについて、職業柄、耐性がついているのだ。 「27日の9時頃、皆さんはどこで何を?」 「何してたっけなぁ、覚えてないなぁ」 「順番に尋ねましょう。マグロさん、どうですか?」 「ワシは晩酌を楽しんでおった。生ハムの原木をナイフで割いて、タバスコをドバァとかけてな」 「辛そうですね。お腹を壊したりしないのですか?」 「慣れだ、慣れ。そんな訳で9時頃は客室で酒を飲んでいたよ、旧友のアクドイと一緒にな」 「被害者とご一緒だったのですか?」 「ああそうだ。だがピンピンしていた。死んではいなかったよ」 「ふむぅ。事件直前まで一緒とは、怪しいですね」 「何が怪しいか。生きていたと言ったろう。つまりは殺していない事になるだろうが」 「ええ、まぁ、そうなりますがね」  周囲も納得したような声を出しつつも、飲み込めないものを感じていた。それは胡乱な視線になって現れたので、さすがのマグロ氏もバツが悪くなる。そんな劣勢を跳ね除けるようにして、殊更大きな声で告げた。 「刑事さん。私を犯人候補から外してもらえんかね?」 「どうしてですか。確かな証拠でもなければ、軽々しい事は言えませんよ」 「聞いて驚くなよ、ワシにはアリバイがある!」 「アリバイ……!?」  すぐさま周囲はザワつき始めた。アリバイって何だ、聞いた事あるような。そんな言葉ばかりが囁かれる。 「マグロさん、そのアリバイとは?」 「正直言って、それが何かなど知らん。だがワシは金持ちだ。屋敷の蔵を探せば、アリバイの1つや2つ見つかるだろうよ」 「なるほど、確かにあなたは地主にして実業家。その言葉には説得力がありますね」 「そしてアリバイを持つ者は無罪放免としなければならない。そんな事が本に書いてあったぞ」 「仰る通り。先輩の刑事も似たような事を言ってましたよ」 「そうだろう、そうだろう。だから犯人探しをするのは勝手だが、ワシを巻き込むのは止めてもらおう」 「分かりました。念のため皆さんにも聞きますが、アリバイ持ってるよとか、家にありますって人が居たら教えてください」  刑事の言葉に応じる者は居なかった。おおむねが庶民であり、得体の知れない物を買い求める習慣などないのだ。さすがのタゴサクも口をつぐむしかなかった。  しかし唯一、キンダイチだけは平然としていた。そして辺りを睥睨し、一言だけ告げた。 「アリバイは、崩せる」 「おいアンタ、今何か言ったか?」 「マグロさん。アリバイってのは崩せるんですよ。風の噂で聞いた事があります」 「そんな馬鹿な、デタラメを抜かすと承知せんぞ」 「デタラメではありませんよ。株価にしろ地価にしろ崩れないものなどない。実業家のあなたは良くご存知のはず」 「確かにそういう物かもしれん、しかしワシのアリバイは完璧だ! もし仮に危うくなったとしても、ロスカットで損切り出来るよう設定されているはずだ!」 「では伺いましょうか、あなたの蔵へ。そこでアリバイが見つかれば潔白で、何も無ければ犯人と決めますが、よろしいですね?」 「ああ構わん。先祖代々、地元に君臨してきた王の私財に圧倒されてしまえ」 「期待してますよ、マグロさん」  こうして一同はペンションを後にした。最寄りのバス停で路線バスに乗り込み、長々と揺られて大きな駅へ。新幹線は自由席。車内販売のジュースで空腹をごまかしつつ、車窓から見える雪景色に心を躍らせた。  そして陽がとっぷりと暮れた頃の事。タクシーを2台借りてまでやって来たマグロ邸は、豪語するだけあって立派であった。蔵も石造りの土台にしっくいの壁で、歴史と風格を存分に感じさせた。 「早速ですがマグロさん。中を拝見しても?」 「良いだろう。ちょっと待ってろ」  蔵には大ぶりな錠が下ろされており、古めかしい鍵でガチリと開いた。そうして明かされた蔵の中は整然としつつも、多数の品々で溢れかえっていた。 「すごい量ですね。探しているうちに日が暮れそうです」 「実際もう夜だ」 「時間が惜しいので手分けして探しましょう。僕は奥を当たりますので、刑事さんは入り口付近をお願いします」 「分かりました」 「他の皆さんも、探す場所が被らないよう気をつけてください」  こうして始まったアリバイ探しだが、想像以上に難航した。正体の分からないものを見つけろと言われても、誰一人として正解を知らないのだ。桐の箱を開けては小汚ない石を見つけて渋面を作ったり、刀剣の鞘を払ってはウッカリ斬り殺しそうになったりと、一向に作業は捗らなかった。  そんな中でキンダイチだけは成果をあげた。明るい口調が響き渡るなり、皆は安堵の息を漏らした。 「見つけましたよ、こんなにも明確なものが」 「見せてよキンダイチさん。アリバイってどんなやつなの?」 「いいえ、見つけたのはアリバイじゃないんです。犯人である証拠ですよ」 「えぇ!?」  驚きのあまり駆けつけた全員は、キンダイチの手元に注目した。そこには一冊の古びた本があった。 「それは何です?」 「卒業文集ですよ。中学校時代のものですね」 「その文集がどうしたってんですか」 「中にはこのように書かれています。絶対許さねぇぞアクドイ、いつの日か雪山のペンションで刺し殺してやるからな、覚悟してろ。真玄デザスター」  そこで皆はマグロ氏を見た。視線を一身に浴びた彼は、これまでとは打って変わって、乏しい表情を露わにした。 「見つかってしまったか、参ったな」 「マグロさん。あなたは予言したのですよ、今回の事件についてね。そして強い殺意も見受けられる。これだけの条件が整えば死人が出ても不思議ではなく、アナタを犯人と断言する事も出来るのですよ!」 「クッ。アリバイを証明するつもりが、まさか破られてしまうとは……!」 「刑事さん。彼を連行してください。逃げる心配は無さそうですが、気をつけて」 「え、えぇ。分かりました」  こうしてマグロ氏は逮捕され、事件は解決を迎えた。そして、不意に湧いた勝負の決着もついたのである。 「キンダイチさん。今回は主役を譲ったけども、次はこういかないよ。文集を見つけたのも運が良かっただけじゃないか」 「まぁ僕は別に、勝ち負けに拘らない性質なのでね」 「ふん。その余裕が気に入らないね」 「それはそうと小名田さん、早いとこペンションに戻りましょう。今なら終電に間に合いますよ」 「どうしたんです、そんな急ぐ用事なんか無いでしょう」 「お昼に頼んだかき揚げうどん。急がないと折角のサクサク加減が無くなってしまいますよ」 「言われてみれば、出前を取ったままでした! ペンションを出る時、ボンヤリするうどん屋の倅を見ましたが、宅配に来てくれたんですね!」 「そのようです。さぁ帰りましょう!」  こうして、難解な事件をものともせず犯人にまで辿りついたキンダイチは、グッダグダに伸びた上に冷めきったうどんを食わされる羽目になった。そもそも終電に間に合いはしたものの、路線バスはとっくに終わっており、何時間もかけて暗い夜道を歩かざるを得なかった。  ちなみに後の捜査で判明したのだが、マグロ氏は犯人ではなかった。彼はあくまでも個人的な恨みを抱いたというだけで、事件当夜も酒を飲んで居眠りをしていた。そこで暇を持て余したアクドイは、切り分けたハムをナイフに突き刺し、食べ歩きしながら談話室へと向かった。リバーシ目当てである。ドアが閉まっていたので、玄関を出て窓から侵入。しかし酒が回っていた事が災いして背中から落下。さらに運悪く、ナイフが刺さってしまったというのが真相だ。  しかしキンダイチにとっては最早どうでも良い事だ。極めて不味くなったうどんを、しかも8人前を6人で平らげなくてはならないのだから。マグロ氏の抜けた穴は大きい。逮捕は少しだけ待ってもらうべきだったと、泣き言を漏らしつつ麺を啜るのだった。冤罪で捕まった知人が釈放されるのはもう数日ばかり先の話。少なくとも、うどんの処理に間に合う事は無かった。
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