週一ナチュラルデエト

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 僕の恋人は、とても恥ずかしがり屋で車で迎えに行かないと絶対デートに来てくれないし、人の目の届きにくい場所じゃないと一緒に行ってくれない。普段はガサツでひどいものだけど、この時ばかりは大人しくて、それが可愛くてそんな我侭は些細なものに思えてしまう辺りすっかり駄目なのだとは思うのだけど。 「今日の格好も可愛いじゃないか!」  うそだ、と小さい声が返ってくる。さらさらとした黒髪にチョコレートカラーのベレー帽。ミントブルーの花飾りは以前僕が贈ったものだ。焦げ茶のハイネックにミントグリーンの着物。帯は茶に青と白で花の刺繍が施されたものだ。羽織は淡い青で、羽織紐はチョコレートミントをイメージしたカラーリングで、ビーズで作られたものらしい。べっ甲縁の眼鏡の向こうから、じとり、と僕を見てくる。 「大丈夫だって。今日行くカフェは僕の知り合いのお店で一室貸し切りにしてるから」  それでいいだろう? と笑うと、漸く傍らで安堵の息がこぼれた。その後で、でも、と言葉は続く。 「……お前、俺の趣味に付き合わなくてもいいんだぞ?」  馬鹿だなあ、と僕は軽やかに笑う。  学生時代、そりゃあ彼は数々のスポーツで活躍をした。その最もたるは野球で、創立以来予選一回戦凡退の常連だった我が校の野球部を二年で決勝進出まで連れて行った立役者だった。勿論、最後の年は甲子園出場で飾る筈だった。  腕さえ、脚さえ、壊さなければ。  日常生活には支障は出ないとはいうものの選手生命は絶望的、と言われた彼はあっさりと退部届を診断を食らったその日のうちに提出し、そして数日のうちに学校から姿を消した。退部届を出したその足で退学届も叩きつけたと知ったのは、後々のことだった。  さて。僕は、彼のことを好きである。これはこの頃から、現在進行形だ。  彼が消えてから進級した僕が始めたのは、彼の行方を探すことだった。コツコツと貯めていた貯金を抱えて探偵事務所へと足を運んだ。彼が現在住んでいる場所、健康であるかどうか、そして住処を変える気配はないかどうか。それらを突き止めてからその近辺にある専門学校へと進路を決めた。  で。  彼を捕まえたのだ。  何もしなくなって無気力になって、どうせ学校に居ても憐れまれるだけだと思った、と彼は言った。見かねた親の勧めもあって親戚の家に転がり込んだのは退学後で、そこで決定的な出会いを果たす。 「従姉の……ええと宮子さん? 着物の蒐集家だっけか」 「呉服店に勤めてるうちに、ハマったんだと。まあ、押し売り上等の職場だから数ヶ月で辞めたけどさ。今アンティークの着物の店やりたいって資格取ったりなんだりと大忙しだよ」  『ちょっとコレ着てみなよ。ド派手で気分アガるわよ』と、宮子さんに言われて着せられたのは、派手な牡丹が描かれたそりゃあ華やかを極めたものだったらしい。それを着た時に、彼は今までにない高揚感を覚えたという。一番近いのは、試合を勝ち抜いたその瞬間の、絶頂感だ。しかしそれともまた違った。  無理な運動を禁止された身体は筋肉を落とした。その代わりに柔らかな線を彼に与えた。身長はまあ、平均値より少し低いくらいか。とはいうものの、女性ものが合うことは本当に稀で。しかしそれでも、従姉殿は様々な細工とコーディネートでそれをクリアしてきた。  今日の着物の下からは、ダークブラウンのプリーツスカートが覗いている。非常に、いい組み合わせだ。可愛いと思う。  まあ、そんな状態だったもので、僕が彼に再会した時はえんじの着物に鮮やかな青の帯だった。立襟の白のブラウスがひときわ白を際立たせていて、非常にうん、その、控えめに申し上げても最高だった。勿論向こうとしてはそれどころではなかったわけで。蒼白になって逃げ出そうとした彼の腕を慌てて捕まえなければならない。僕もそう運動は得意ではないし、彼が必死で逃げようと走り出せば追いつける自信がなかったからだ。  そして、そりゃあ大きな声で叫んだ。 「そのままの君とお付き合いさせてください!……って後悔してないのか?」 「事あるごとに繰り返すのやめてくれないか、照れちゃうから」 「後悔してんじゃねえのかって何度でも確認してんだよ」 「後悔してるんだったら、まずわざわざ君のクッソややこしいお願い事全部叶えてまでデートするなんてコト、しないんじゃないかい?」  ほらついたよ、と笑って言えば、うう、と呻き声が助手席から漏れた。  宮子さんからしたら、週に一度、彼を存分にコーディネート出来る楽しい機会が出来る。  彼は、自分の好きな姿でのびのびと過ごせる時間が出来る。  そして僕は、大好きな彼の他には見せない可愛い姿を独り占めできる時間が獲得できる。  はっきり言って得しか無い。 「ねえちゃん、今和裁習い始めてさあ……」 「何、とうとう君の為に仕立てるのか」 「細工何もしなくても着せられるようにしたいんだと」 「いいねいいねえ、その時は僕も参加させてもらいたいな。君に合うものを選ぶなんて機会、是非乗りたいものだ」  物好き共め、と呟いたのを聞かない振りして僕は車を降りる。そして、助手席のドアを開けるとすい、と手を差し出した。 「お手をどうぞ」 「……どうも」  裾から覗くは無骨な、骨ばった手。でも僕はそれを大切に取るとゆっくりと引き上げた。  君はどう思っているか知らないけれども、君は昔も今も僕にとっては眩しくて仕方のない人なのだ。そして今はそこに可愛いひと、って言葉がついてくる。  週に一度、僕は自然体の君を迎えに行く。  この役目は、一生誰にも譲る気はない。  そんなことを言ったら君は「そんな物好きな役目は、誰も欲しがらないぞ」と返すんだろうけどもね。  ふふ。  それならそれで、こちらは好都合というやつさ。
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